食や環境、次世代に残せる仕事をしたい!
楽しく気軽にできる社会貢献とは。
「社会貢献って、する側も気軽に楽しめるものなんです」TABLE FOR TWOという、肥満と貧困、どちらの問題も一括で解決する仕組みを運営する張さん。大手総合商社からNPO法人に転職した背景にはどんな思いがあったのか、お話を伺いました。
張 一華
ちょう いちか|肥満と貧困を解決するNPO事務局員
TABLE FOR TWO Internationalの事務局として、「カロリーオフセット」の拡大に努める。
カロリーオフセット
TABLE FOR TWO International
中国から日本へ
私は、中国の蘇州という場所で生まれました。上海に近く、日本で言うと、東京と横浜のような位置づけの場所です。
私が4歳の頃、両親が仕事の関係で日本に行ったので、祖父母のもとで暮らしました。祖父母は、ちょっとおせっかいなところがあり、近所に困っている人がいるとすぐに飛んで行き、手助けをするような人でした。祖母は元看護婦で、引退をしているものの看護師仲間に頼りにされ何かあると相談に乗っていて、祖父は元教師で、私にいつも英語を教えてくれましたね。そんな影響を受けて、自分も誰かのためになることをするというのが、感覚として身についていくようになったんです。
5歳の頃、両親のもとに呼ばれ、私も日本で住み始めるようになりました。当時、私が住むことになった岐阜県では、外国の生徒はまだ珍しく、最初に通った小学校では、外国から来た生徒は私一人でしたね。
最初は異端児扱いされ、仲間はずれにされることもありました。子ども心にとても悔しくて、必死に勉強しましたね。すると、1年も経つ頃には自然にまわりと打ち解けていきました。日本に来る前は内気な性格だったのですが、徐々に積極的な性格になっていき、いたずら好きのやんちゃな子どもに育っていきました。
次世代のための仕事
中学ではバレーボール部に所属しながら、1年生の頃から生徒会に入り、学校新聞を作っていました。最初は、学校内でインタビューをしたり、学校の行事を取り上げていたのですが、途中から地元の新聞社とコラボして、「子ども記者」として色々な人にインタビューに行くようになったんです。「大人って何歳からだと思いますか?」なんて聞いたりしていましたね。
高校生になってからも、その新聞社で高校生記者という枠をもらい、色々な人にインタビューに行きました。これはすごく面白かったですね。自分が知らないことを知ることができたし、記者という肩書があると、普段は会えないような方にもお話を聞くことができたので。また、記事になり形も残るし、見た人の反応があるのが良かったですね。
そんな背景もあり、将来は記者になりたいと思うこともありましたが、大学受験の時に、私は違う道を選ぶことにしました。将来何をやりたいか考えた時に、やっぱり私は人のためになるようなこと、次の世代に何か残せるような仕事をしたいと思ったんです。また、裕福ではない中国と豊かな日本、その両方を知ることになった自分は、何か使命があるのではと感じていたんです。
そこで、当時、特に興味のあった食料問題や環境問題に関係する知識を学ぶため、大学は農学部の応用生命科学科に進むことに決めました。
ビジネスで課題解決
大学時代は学校の他に「東海若手起業塾」という、地域の課題解決を目指す若手起業家の支援団体でインターンをしていました。
この活動を通じて、初めてソーシャル・ビジネスというものを知り、本当に社会問題を解決している実業家の人に触れ、その生き方や行動力に魅力を感じるようになりました。
一方、大学では、ある種類のアミノ酸を運動前に摂取することが、疲労低減にどのような効果をもたらすか、といった研究をする研究室に所属していました。学科の中では珍しい分野の研究だったのですが、教授に惚れ込んだんです。
理系の研究室だと、研究が忙しくその他の活動ができなくなることが多いのですが、私は、将来社会課題を解決するという目標のためにインターンでの活動も大事にしたいと思っていて、そのことを教授に話し、研究に割ける時間について相談したんです。すると、「あなたの人生ですから」と背中を押してくれ、時間の使い方も配慮してくれたんですよね。こうやって応援してくれる人がいることが、励みになりました。
就職活動の時期を迎え、総合商社を志望するようになりました。研究の分野で社会を良くすることもできるのですが、成果が出るまでに何十年もかかり、下手したら自分が生きている内に実用化されないこともあるので、私にはそれは待てないと思ったんですよね。また、様々な資産を組み合わせて、大きなビジネスを作っていくことができる仕組みに惹かれたんです。
30歳まで残り4年
大学卒業後は上京し、総合商社で働き始めました。元々は食料部門か環境問題を扱う部門に入りたいと思っていたのですが、配属は化学部門で、石油化学製品の輸出入の仕事に就きました。
希望と違うとはいえ、大きな会社なので配属希望は通らない可能性が高いと思っていたし、どんな仕事でも学びはあり、思わぬところで自分の目指すものに繋がるかもしれないので、5年は働こうと思っていました。
実際、仕事はとても面白かったですね。大企業がどうやって回っているのか仕組みを知ることができたし、ビジネスを作っていく現場にも携わることができました。また、色々な企業が関わる仕事で、重役の方々とどうやって物事を動かしていくのか、コミュニケーションにおいても多くのことを学べましたね。
しかし、仕事を始めて4年目、26歳の誕生日の時に、これからの自分の人生を考えて、方向転換をすることに決めました。30歳になるまでに残り4年。30歳までには自分の軸を確立し、なにかやりきった感覚が欲しかったんです。
やはり私は「社会貢献を仕事にしたい」と考えて、色々な人に会ったり本を読んでいく中で、「TABLE FOR TWO」というNPO団体で働きたいと思うようになりました。
TABLE FOR TWOは、社員食堂やレストランで少し健康的なメニューを選ぶと、20円が寄付され、開発途上国で1人分の給食が提供されるという仕組みで、先進国の肥満と開発途上国の貧困の問題を一緒に解決できるものなんです。「自分のために楽しみながら何かをすることが、他の人の支援になる」というのが、私の考え方とシンクロしたんですよね。
そして、4年間勤めた商社を辞め、2014年4月よりTABLE FOR TWOで働くことに決めたんです。
気軽な社会貢献
今の私の仕事は、TABLE FOR TWOが新しく始めた、「カロリーオフセット」という取り組みを広げていくことです。今までの仕組みだと、社員食堂を使うような方しか参加できなかったので、より多くの個人の方が、日常生活の中で参加できる新しい仕組みとして考えられたのが「カロリーオフセット」です。
温室効果ガスの排出量を相殺する「カーボンオフセット」のカロリー版に近く、先進国で抑えられた分のカロリーをお金に換算し、開発途上国でカロリーを生産するための設備投資などに充てる仕組みです。
例えば、日本でカロリーオフの食品を買ったら、通常よりも抑えられたカロリーを計算し、開発途上国でその分の食料を生産するための、畑などの設備にお金がまわるのです。これは摂取カロリーを抑えるだけではなく、消費しても良いので、例えばジムなどで運動をしたり、夏フェスなどでカロリーを消費しても、同じように開発途上国の支援ができます。
特に私は、スポーツジムやスポーツ用品店さんなどと提携するために動いています。ダイエットや健康など、自分のために運動を始めても長く続かないことが多いですが、自分が消費したカロリーが誰かの食料を作る助けになると思ったら、長く続けられるんじゃないかと思うんです。
こうやって、日々の生活の中で、気軽に楽しみながら社会貢献ができるということを世の中の人に伝えながら、この仕組を世界中に広げていきたいと思っています。これこそ私の取り組みたかった、次世代に残るような仕事だと思っています。
また、最近は個人としては古民家に住んだりして、和の文化に興味が出てきました。古き物を大切にする日本の文化に、食や生活とどう向き合うか、人が本来もつもの、気づくべきものが秘められていると感じるんです。
なので、将来は、自給自足しながら暮らす、地域コミュニティみたいなものも作っていきたいですね。
2014.08.19
張 一華
ちょう いちか|肥満と貧困を解決するNPO事務局員
TABLE FOR TWO Internationalの事務局として、「カロリーオフセット」の拡大に努める。
カロリーオフセット
TABLE FOR TWO International
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