アーティストの価値が正しく評価される世界を。 ブロックチェーン活用で美術史をアップデート。

アート業界でブロックチェーンを活用し、アーティストの知名度に関わらず、作品を後世に残していけるシステムの構築に取り組む施井さん。中学生のときに読んだレオナルド・ダ・ヴィンチの本をきっかけに、歴史に名を残すようなアーティストを志すようになりました。施井さんがアート業界に起こす革新とは。お話を伺いました。

施井 泰平

しい たいへい|スタートバーン株式会社代表取締役
1977年生まれ。幼少期をアメリカで過ごす。2001年多摩美術大学絵画科油画専攻卒業後、美術家として「インターネットの時代のアート」をテーマに『IT』『IT -TOKYOBAR version-』といったアート作品を制作、現在もギャラリーや美術館で展示を重ねる。2007年から2011年まで、東京藝術大学講師。2014年、東京大学大学院学際情報学府在学中にスタートバーン株式会社を設立。

信じたことは諦めない


東京都江戸川区で生まれ、4歳から父親の仕事の関係でアメリカで過ごしました。

自分の世界があって、信じ込むと諦めの悪い子どもでした。たとえば、おもちゃ付きのシリアルを買ってもらったときのこと、シリアルをボウルに全部出してみても、おもちゃが入っていなくて。もっと平たいボールに広げてみても、やはり入っていない。最後はシリアルを一列に並べてみたのですが、やはり見つかりません。そこまで試してやっと、おもちゃが入っていないことに納得できました。強く信じ込むと、誰が何を言おうと気の済むまでやり続けるくせがありましたね。

アメリカでは理数系の学校に通い、放課後と週末には日本語学校のアフタースクールにも通いました。

小学4年生のとき、日本に帰国。日本語は話せましたが、日本の小学校には馴染めませんでした。初めて登校した日は、上履きに履き替える習慣を知らず、靴のまま校内を歩いてしまって。誰も教えてくれなくて学級会で取り上げられ、注意を受けました。日本の学校は怖いと感じ、文化の違いに苦しみました。

幼い頃は、絵を描いて過ごすことが多かったです。アーティストになりたいと思っていました。目に映る物理現象を正確に描き出し、まるで写真のような絵を描いていましたね。良い意味でも悪い意味でも「数学者の絵のようだ」と評価を受けていました。

「問いを与える」アートの存在


中学1年生になると、自由に本を読める学校の図書の時間があったので、自分の進路について考えながらいろいろな人の人生を見ていきました。もともと理数系の学校に通っていたこともあり、まず手に取ったのは物理学者の本。

物理学や数学の世界は、数式で解ける答えがあります。様々な問いと答えを見ていて、なんとなく答えがあるって面白くないと感じたんですよね。

ほかにも、様々な職業の偉人の本を読む中でそれまでも気になっていたレオナルド・ダ・ヴィンチの本はすっと自分に入っていく感じがしました。彼は芸術家として作品を作り出す一方、学者として、科学にも精通して社会に大きなインパクトを与える作品をを残していました。画家なのか発明家なのか学者なのか、知れば知るほどよくわかりませんでしたが、改めて「この人、いいな」と思いました。

人類史に残るものを生み出せることを、とてもかっこいいなと思いました。また、ダ・ヴィンチのように、芸術作品を作るだけではなく、他の分野でも社会に影響を与えられる人を「アーティスト」と呼ぶのではないかと感じたんです。自分も彼のように歴史に名を残すアーティストになりたいと意識するようになりました。

高校は、両親からの反対もあり、アート系ではない普通の高校に進みました。アートができなくなるんだと感じて気が抜けてしまって。環境を変えたいと思い、2年生の頭からアメリカへ留学しました。

日本ではアメリカ人のような扱いをされてきましたが、アメリカでは、当然のように日本人として扱われました。その中で、いったい自分は何人なのだろう、と考えるようになったんです。

ホームステイ先の近くには美術館があり、よく通って、現代美術の展示を眺めていました。最初は何だかよく分からないと感じていましたね。ですが自分も、日本人なのかアメリカ人なのか、何者か分からない不安定な存在であるという点で共通していて。アイデンティティに揺らぎを感じていた自分と、芸術作品が重なり、自然と惹かれ感情移入するようになっていきました。

9時間かけ決心したアーティスト人生


帰国後は、アートへの想いが募り、美術大学の油絵科に入学しました。父は進学に反対し続けていましたが、母は自分が美大への入学に反対されて行くことができなかった経験から、応援してくれたんです。

アーティストになりたいという気持ちで入学したものの、周囲は、絵を描くのが上手いという理由だけで入学した人がほとんどで、本気でアーティストを目指そうとしている人はあまりいないように感じました。

本気で思っていても、アーティストになる方法は誰も教えてくれないんですよね。大体は、ギャラリーに何年も通いつめて、少しずつ発表の機会を得ていく方法をとるようでした。そのため、学生時代からギャラリーのお手伝いをする人が多かったです。でも、僕はそれが嫌で。

2001年に大学を卒業してからは、父が働く会社の工場でアルバイトをするように。卒業してしまえばアート業界との接点もなく、アーティストになるにはどうすればいいのだろうと悩んでいました。ある日、工場から自宅まで9時間かけて歩いて帰ったんです。その間、今後の人生設計をじっくり考えました。

アーティストになることはもう決めている。どんなに貧乏をしても、死ぬまでアートを続けるだろう。ならば、最初から登る山を決めようと思ったんです。ものすごく高い山に早い段階から一目散に挑戦していけば、才能がなくても誰も追いつけないくらいの成果が残せるんじゃないかと。

時代を象徴するアーティストを洗い出していくと、社会の技術革新が起こるときに生まれていると気づいたんですよね。これからはどういう時代なのかを想像したとき、インターネットの普及とともに、情報社会が日を追うごとに広がっていくと思いました。だから、情報社会を象徴するアーティストを目指せば、自ずと歴史上重要なアーティストになれるだろうと考えました。

情報社会を象徴するアーティストに


時代を象徴するアーティストになろうと考え、イタリアの未来派などを参照しました。未来派は産業革命初期の頃に起こった前衛芸術運動で、鉄道や飛行機といったダイナミズムを絵画に持ち込もうとしていたんです。情報社会で同じようなことをやれないかと考え、模索を続けました。

2006年には、現代版の自由律俳句「ネオ自由律」をインターネット上で公募し展開するプロジェクトを開始。インターネット上の掲示板に投稿された面白い作品の中から、毎月「泰平賞」を選んでいました。プロジェクトは話題を呼び、東京や広島の美術館で作品を展示することになったんです。

東京の美術館のプレオープンのイベントで展示した際には、およそ2万人が来場しました。しかし一方で、プロジェクトを展開していたインターネット上の掲示板には、1日に10人もアクセスがなかったんですよね。10人にしか見られないような作品では時代を象徴することはできないと思いました。全く手応えを得られず、自分の中でこの取り組みは失敗に終わりました。

そこで、改めて活動の軸を考えることにしました。情報時代のアートとは何か、試行錯誤を続ける中で、二つの軸で活動していくことを決心しました。一つは、パソコンやマウスなど、情報社会で使用されるテクノロジーの表象を使わず、インターネットを喚起させる芸術作品を作ること。もう一つは、テクノロジーを使ってアートの価値付けに関わるインフラそのものを作ることです。

社会ではインターネットがどんどん普及していました。一般の方が趣味のコンテンツを発信したり世界とすぐに接続できたりして評価されるプラットフォームが生まれ始めていて。例えば音楽業界では、YouTubeやニコニコ動画での発信をきっかけにメジャーデビューできるようになっていました。アート業界でも同じように、インターネットのダイナミズムの中で新しい才能が世の中に出ていけるようなインフラが必要だと考えたんです。

この2つを軸を定めて、新しく活動を始めました。

ブロックチェーンで革新を


まず、テクノロジーの表象に頼ることなく情報社会を表現する作品づくりに取り掛かりました。2007年、文庫本の背表紙を集めて加工し、疑似本棚の作品を出しました。情報社会には、大量の情報のうねりがあって、捉えきれないレベルの複雑さがある。未来派のようなアプローチでそのダイナミズムを形にしようとしたんです。現代芸術の祭典に出展し、審査員だった建築家・安藤忠雄さんから賞をいただきました。そんな風に、作品づくりの方は少しずつ軌道に乗り始めました。

ただ、作品はたとえ誰も評価してくれなくても作り上げることができますが、もう一つの軸であったインフラ作りは、一緒にやってくれる人がいないと実現できないと思っていました。会社を作り、人と一緒にやっていく必要があると。

また、インフラを作るにはエンジニアの力が必要です。何度か発注に失敗して、そこで、自分で学んで詳しくなりたいと考えSNSや短縮URLサービスを自作しました。でもエンジニアの知り合いも少なく、お金もなかったし、起業する環境もありませんでした。

そこで2013年、東京大学大学院へ入学。起業のメンバーを集めたり資金調達などのアドバイスをもらったりできるのではないかと考えたんです。

アートの世界からビジネスの世界に飛び込み、ギャップを感じました。アートと違い企業ではチームで仕事を進めていかなければなりません。僕はコミュニケーションがもともと苦手で、自分のやりたいことを人に上手く説明できず、仲間を巻き込んでいくことができませんでした。でも、僕のやりたいことは一人ではできない。特に投資を受けなければ成功させることはできないと分かっていたので、インフラを作るという目的だけを見据え、苦手なことも頑張って克服していきました。

翌2014年にはスタートバーン株式会社を設立しました。まず、アーティストがアート作品の登録と売買ができるプラットフォームを作ったんです。アーティストが作品を売るだけではなく、購入者が二次販売することもでき、作品が売買されるたびにアーティストに還元金が支払われる仕組みです。作品の流動性を高め、アーティストにも売り上げを還元することができるようにしました。

しかし、プラットフォームの外で売買が行われると、作品が誰に販売されて、どこに保存されているか、追うことができません。その結果、アーティストにも還元金が支払われなくなってしまいます。悩んでいたとき、ブロックチェーン技術を活用してアート作品の証明書を発行する海外のサービスを見つけました。ブロックチェーンを使えば自分たちの課題も解決できるかもしれないと背中を押されましたね。ブロックチェーンを活用した、アートの流通や評価のインフラの構築を考えていきました。

アートの世界では、何十万もする作品でなければ、管理のために費用がかかってしまうといった経済効率性の理由から、ギャラリーに置かれたり世の中に出回ったりする機会が少なかったんです。また、市場に出ている作品の約50%が贋作とも言われていて、作品の管理をしっかりしているギャラリーなどを通さないと、本物だという証明が難しい側面もありました。

しかし、テクノロジーを使えばそこを解消できるはず。つまり、取引が記録されるブロックチェーンを使って作品の来歴を管理し、本物であることを証明すればいいと考えたのです。そうすれば、ギャラリーに所属するようなトップアーティストになる前でも本物の作品を流通させ、管理できるようになります。還元金の送金管理も可能になります。さらに、これまではなかなか活躍できなかった無名なアーティストの作品でも、世の中に評価してもらえるようになるのです。

一部の人しかアーティストとして活躍できない既存の枠組みを拡張して、価値あるものを生み出せる人にはチャンスが与えられる仕組みを作りたいと思いました。

インフラの構想を発表するまでは、10円ハゲができてしまうほどきつかったですね。自分たちだけでは成立しない仕組みなので、アート業界の方々に参加してくださいとお願いしなければならない。一人も返事がなかったらもう終わりだと覚悟していましたし、すごく怖かったです。ですが、プレスリリースを出してみるとすごく反響がありました。もう今後何があってもどうにかなる、と信じられた瞬間でした。

普遍的な価値が還元される世界


現在は、スタートバーン株式会社の代表として、ブロックチェーン技術を活用し、アートの流通や評価のインフラの構築を目指しています。アート作品に関する情報のデジタル証明書を登録・管理するためのインフラ「Startrail」の構築の推進、「Startrail」上に登録される作品情報とICタグをセットで提供するサービス「Startbahn Cert.」の展開をしています。

「Startbahn Cert.」では、「Startrail」上に登録された作品情報をもとに、作品のブロックチェーン証明書とそれに紐づくICタグが発行されます。ICタグにスマートフォンのアプリを近づけると、証明書の内容を読み取ることができます。作者やタイトルなどの作品情報だけではなく、展示歴などの来歴情報も確認することができます。

作品の購入者であるコレクターにメリットを提供できるものなので、作品を販売管理しているギャラリーなどの法人が顧客対象になりますね。。現在の発行件数は、販売べースだと5000以上あります。ここからさらに国内外に広げていきたいと考えています。

アートは、人間が発行する株券のような側面もあると思っています。単に作品だけではなく、作家の思考や人生そのものが評価されるものなんですよね。絵が上手いか下手かではなく、アーティスト自身が世界にどう対峙したか。何を感じ、何を問うて、何を残したか。その生き様こそが評価されるのではないかと思っています。例えば、ゴッホではない人が、ゴッホと同じ絵を描いたとしても同じ感動は与えられません。

ゴッホは亡くなった今でも評価され続けています。生き様は生きている間だけではなく、亡くなった後も感動を与え続けるんですよね。そんなふうに普遍的な価値をもつアートは数百年後まで残り続けるべきだと思っています。加えて、一部の著名なアーティストだけではなく、無名のアーティストにもその機会が与えられるべきなんです。現代の価値に還元できないものは未来社会への投資として扱い、取引や展示、研究で価値を何度も問い直し、価値が上がればアーティストと、そのサポートをした人にも還元されていく。そういった環境を作っていきたいです。

情報社会のインターネットやテクノロジーを使って、世界中のアーティストが必要としている仕組みを提供する。100年先にも影響を及ぼすような美術史のアップデートに挑戦をしたいです。

2020.09.24

インタビュー | 粟村千愛ライティング | 宮武由佳
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