トラブルが起きる前に、相談される存在へ。
弁護士として、事業活動を支える。
主に顧問業務を通して、企業やNPOの事業活動全般を支援する弁護士の石橋さん。トラブルが深刻化する前に相談を受けることで、事業者のリスクを軽減し、さらにより良い事業活動ができる環境をつくっています。石橋さんが弁護士を目指し、その中でも事業活動の支援に特化しようと考えた背景や想いとは。お話を伺いました。
石橋京士
いしばし あつし|弁護士
一京(ひとみや)綜合法律事務所代表弁護士。
いじめられた幼少期と、両親の離婚
千葉県で生まれました。1つ下の弟と、6つ下の妹がいます。小学校入学前に宮城県仙台市に引っ越し、それから仙台で育ちました。
小学校では、1年生のときにマッシュルームカットをからかわれて「毒キノコ」とあだ名をつけられて以来、いじめられるようになりました。サッカークラブに所属してサッカーに熱中するなど活発な面もあったものの、いじめられっ子という立ち位置は変わりませんでした。5,6年生のころは毎日死にたいと思っていましたね。庭のブロック塀から下を見て、ここから道路まで落ちたら死ぬかな、と考えたり。中学生になっても状況は変わらず、鬱々とした日々が続きました。
小学校のころから両親は共働きで、特に父とはあまり触れ合う時間がありませんでした。中学生くらいになると、母が父と喧嘩するたびに「あの人は本当のお父さんじゃないんだからね」と言うようになったんです。むかついて言っているだけだろうと思ってあまり気にしていませんでしたが、成長するにつれ視野が広がり、だんだん状況を把握し始めました。
結果として、母の言っていることは本当だったんです。実は、物心がついたころから側にいた父は、僕と血縁関係がなく、母の再婚相手。弟と僕は1人目の父親との子どもで、妹は2人目の父親との子どもでした。ずっと普通の環境で育っていると思っていましたが、実際は違っていたんです。事実を知ったときは驚きましたが、突然大きなショックを受けたというより、徐々に受け入れていった感じでしたね。
高校2年生のとき、両親は離婚しました。離婚間際は、母が働きすぎで体調を壊し、辛そうにしているのを見ていたので、早く別れた方がいいと思っていました。僕たち兄妹3人は母と一緒に暮らすことに。母に楽をさせたい、弟と妹を守らなければという気持ちが強くあり、将来は安定して働ける公務員になろうと考えるようになりました。ただの公務員よりも、専門性があった方が食べていくのに困らないだろうと思い、検察官を目指すことにしました。
消極的な守りから、攻めの姿勢に転換
ところが、大学受験で失敗し、どこにも受からず浪人することになってしまいました。高校は志望校に進学し、いじめられることもなくなり、このまま順調にいくんだろうなと思っていたのに、急にお先真っ暗になりました。空が灰色、世の中がモノクロに見える。そんな感じでしたね。
母が応援してくれたので、新聞配達をしながら予備校に通い、勉強しました。国公立の法学部は偏差値が高すぎて行けないので、とりあえず経済学部を目指そうかなと思っていました。
そんな時、宮城大学の糸瀬茂先生が取り上げられている地元のローカル番組を見たんです。糸瀬先生はガンの闘病をしながら、一生懸命に学生を教えていて。こんなに熱く教えようとしてくれる人がいるんだと感動し、この人に教わりたいと思って先生のいる宮城大学を調べました。そこで、事業構想学部事業計画学科というものがあることを知ったんです。
それまでは安定のために公務員になろうと考えていましたが、糸瀬先生を知ったことで考え方が180度変わりました。なりたい自分の理想像がほぼなく、消極的な発想で公務員になりたいと思っていた自分がだめに思えたんです。ただの安定のためではなく、世の中のためになる大きなことをしたいと思いました。そのために、自分で事業を興そうと決めました。
これまでの守りの姿勢から一転して攻めの姿勢になって、予備校のクラスを変え、宮城大を目指しました。残念ながら僕が入学する前に糸瀬先生は亡くなってしまいました。しかしがむしゃらに勉強を続け、合格。大学の掲示板で自分の番号を見つけた時は、思わず叫んだほど嬉しかったです。
困りごとを解決したい
大学では、学生団体に所属して営業をしたり、コンサルティングをしたりとさまざまな経験を積み、どんな事業を作りたいか考えました。ちょうど大学に入るタイミングで母が再婚して、家族は仙台から東京へ。僕は仙台で一人暮らしをすることになったので、生活費を稼ぐためにTSUTAYAでアルバイトもしました。
アルバイトをする中で、お客さんから映画やCDなどを探してほしいと頼まれることがよくありました。そのたびに探して見つけてあげると、いつも感謝されるんです。お客さんの問題を解決したときに「ありがとう」と言われるのが、すごく嬉しいことに気が付きました。こんな風に困っている人の問題を解決することを仕事にできたら良いな、と思うようになりました。
そんな時、ちょうど法科大学院の制度ができました。当初は法科大学院に入れば8割は弁護士になれるとうたわれており、これなら自分もいけるかもと思いました。社会的な問題を解決したいなら、自分には弁護士が一番良いと思ったんです。起業したいという気持ちは変わらずありましたが、なかなか事業のアイディアを見つけることができず、自分には向いていないのではないかという思いもありました。だったら問題解決のプロフェッショナルである弁護士になって、困っている人の課題を解決しようと決めました。
法科大学院に入学してからは、とにかく勉強が大変でした。ゼロからの挑戦なので法律用語が全く分からず、教科書を数ページ読むのに何時間もかかりました。しかし入学したのだから、もう後には引けない。弁護士になるんだ、という強い思いを持って、死ぬ気で勉強しました。
1度目の司法試験は、あと一歩のところで落ちてしまいました。これでだめだったら就職しようと覚悟を決めて臨んだ2度目の司法試験。合格がわかったときは、法務省の中で突っ伏して泣きました。本当に嬉しかったです。
その後、司法修習で裁判所、法律事務所、検察庁を回ってそれぞれの業務について学びました。弁護修習中、相談に来たクライアントと向き合ったとき「これだ!」と思いました。難しい問題もありますが、クライアントと話し合いながら解決への道筋を立てていくことに、とてもやりがいを感じました。一緒に解決策を考えていると燃えてくるんです。俺のやりたいのはまさにこれだと、強く思いました。
どうにもならなくなる前に
司法修習ののち、ご縁をいただいて交通事故専門の法律事務所に就職し、経験を積んでいきました。依頼者一人ひとりの困りごとを解決していくのはやりがいのある仕事でしたね。だんだんと仕事の中でも、それ以外の場面でもいろいろな人とのご縁ができ、交通事故だけでなく事業関係の相談も受けるようになりました。
しかし、いろいろな相談を受けるうちに、自分の力の使いどころはここではないのではないかと考えるようになりました。だいたいの場合、弁護士のところに相談に来るのは事態が悪化した後です。一般の人なら離婚、相続、詐欺被害など、何かあったときに弁護士のところに来る。企業も同じで、仕事をしたのにお金を払ってもらえなかったとか、契約を取り消したいとか、話がこじれてしまってから来るんです。
世間一般のイメージでは、弁護士はどうにもならなくなったときに相談を受け、裁判を起こすなどして対応する存在だと思います。でもどうにもならなくなってからだと、それなりの金額が必要になってしまうし、かかってしまう時間も精神的な負担も大きくなります。もっと手前の段階で相談してもらえれば、こんなことにならずに済んだはず。何かあってから来るのではなく、事前に相談してもらう必要があると思いました。
また、もともと自分が起業したかったこともあって、世の中をより良いものにしようとしている会社を応援したいと思うようになりました。自分では事業を興すことができなくても、良い事業をしている企業、団体を支援できれば結果的に世の中をより良くすることができると思ったんです。せっかく良い事業をしようとしているのに、法的なトラブルで精神的なもやもやを抱え、時間やお金を使ってしまうのはもったいない。そんな状況に陥らないよう、特に事業活動に絞って事前にお手伝いできる弁護士になろうと考えました。
そこで、4年ほど働いたタイミングで独立し、事業活動全般をサポートする法律事務所を立ち上げました。
事業の担い手と一緒に走る弁護士に
現在は、一京綜合法律事務所の代表弁護士として、主に企業の顧問業務を行っています。やっていることは、日常の業務の法律相談や、契約書の作成、チェックなどですね。顧問をしているのは、IT企業や製造業、人材派遣業、アプリ制作の会社、NPOなどさまざまです。はじめは、トラブルに遭う前から定期的にコミュニケーションをとり、事業活動を支援していくという自分のやり方が社会に受け入れられるかどうか、不安もありました。しかし徐々に顧問にしていただける会社が増え、独立前の想定を超える数になりました。
僕は法律関係の話だけして終わり、というスタイルはあまり好きではありません。それだけでは、事業者にとって本当に実になる力を提供できていないと思うんです。社長の想いやビジネスモデルの理解、取引先との関係などさまざまな情報があってはじめて、確度の高いアドバイスが可能になります。顧問としてお付き合いを長く続けて対話を積み重ねることで、新しい展開に向かうときのアドバイスができたり、落とし穴を予見することができると思っています。
僕が目指すのは、事業者と一緒に走って、よりよいルートをお伝えすること。車の運転にたとえると、危機意識がない事業者は事故に遭うかもしれないという考えもなく、漫然と運転している状態。これは結構危ないですよね。また、注意はしているけれど、どこに気を付けたらいいかわからない事業者もいます。そんな事業者には、助手席に僕を乗せてほしい。ここが危ないから気を付けましょうねとか、目的地がそこならこんなルートがありますよとか、ここはアクセル踏んでいきましょうとか、そんな提案ができる存在になりたいです。トラブルの予防というだけでなく、ビジネスの視点から事業をもっと良くするお手伝いをすることが理想です。
事務所は、2018年の8月1日で開業2周年を迎えました。今後は事務所の規模を拡大し、社会へのインパクトを大きくしていきたいです。これまでは「何かあったら弁護士のところに行く」というのが一般的だったと思いますが、「何かする前に弁護士のところに行く」ことが普通になったら良いなと思います。
今の僕は結婚して子どももできて、すごく幸せな状態です。妻と結婚して自分自身が満たされたあたりから、周りの人のために何かしたいという思いが強くなりました。仕事の中でNPOの人と接するようになったこともあり、お金儲けのためじゃなく、人のために行動できるのが良いなと思うようになったんです。プライベートでも少しずつ、マラソン大会でチャリティランナーとして寄付金を集めたり、自分自身も寄付をするなどの活動を始めています。仕事でも、それ以外の活動でも、世の中をより良くするために行動できたらと思っています。
2018.08.30
石橋京士
いしばし あつし|弁護士
一京(ひとみや)綜合法律事務所代表弁護士。
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