「自分らしい生き方」を証明し続ける。
世界を駆ける、リーマントラベラーの挑戦。
広告代理店で働きながら、週末は世界を旅する「リーマントラベラー」として活動する東松さん。海外への旅で多様な生き方に触れ、日本では知ることのできなかった人生の選択肢に衝撃を受けたといいます。「自分らしい生き方」を体現し続ける東松さんが、現在の活動に込める想いとは。お話を伺います。
東松 寛文
とうまつ ひろふみ|リーマントラベラー
広告代理店に勤務する傍ら、週末は世界を旅する「リーマントラベラー」として活動する。
ゴールへの最短ルートを考える性格
岐阜県の羽島市に生まれました。小さい頃から目立ちたがり屋で、ガキ大将的なキャラクターでしたね。勉強もスポーツもそこそこできました。母はピアノの先生で、父は銀行員。両親は僕のやりたいことを、基本的に全て応援してくれました。特に、音楽と読書には喜んでお金を使ってくれて、ピアノ・ギター・ドラムを習いました。
小学校では少年団で野球に打ち込みました。ただ、硬式野球になるとデッドボールが痛そうだなと思い、中学からはバスケをはじめました。中学入学時点で175cmほどあったので、バスケなら生きるだろうと思ったんです。
高校は、難関大学の合格者を多く出す、県内の進学校に入り、変わらずバスケを続けました。進学校なので、学業が優先で、部活の練習時間は1、2時間程度しかありません。それでも、インターハイに向け、例年優勝していた強豪校を倒すことを目標にしました。相手校との圧倒的な練習時間と体力の差を埋めるために、5人チームで8人を相手にする練習をして鍛えました。
結果的に、大会では その学校に勝つことができて、初めて県でベスト4まで上がることができたんです。ただ、その学校に勝つための練習しかしなかったので、他校と当たる決勝リーグは準備不足で負けてしまいました。目標を定めてちゃんと取り組めば叶えられる、だからこそ、何を目標に定めるかが大事なんだと感じましたね。
高校卒業後は、神戸大学の経営学部に進学しました。両親からは、実家から通える名古屋の大学を勧められました。でも、インターハイ後から受験までの勉強の伸びしろを考えたときに、自分ならもっと上の大学を狙えると思ったんです。候補の中でも、神戸大学なら、街の雰囲気も良くて、岐阜からそこまで遠くない。直感でここだと思いました。
まだ学びたいことが明確に決まっていない中で、経営か経済ならマルチに学べて役立ちそうだと思いました。日本で最も歴史のある神戸の経営学部で学べることも魅力的でした。
志望校を決めてからは、学校を休んで図書館で受験勉強しました。受験までの残り時間を考えたときに、自分で勉強する方が効率が良いと思ったんです。みんなが学校で演習問題を解く間に、僕は基礎から勉強し直しました。その結果、なんとか合格することができました。