夢破れ、打ちのめされた経験を力に変える。
キックボクシング世界王者と会社員という挑戦。

【アデコグループジャパン提供】キックボクシング元世界チャンピオンであり、働きたいと考える方々に寄り添いながらキャリア構築を支援するキャリアコーチとして働く会社員でもある牧野さん。格闘家とビジネスマンという2つの生き方を同時に追い求める背景にある思いとは?お話を伺いました。

牧野 智昭

まきの ともあき|キックボクサー・アデコグループジャパン キャリア開発本部 東日本第2キャリアマネジメント部
2007年アデコ株式会社に入社。同時期にキックボクサーとしてプロデビュー。2009年、後楽園ホールで行なわれたスーパーウェルター級王座決定戦で勝利し、日本王座に輝く。その後、2011年に東京の後楽園ホールで開催されたWBKF世界スーパーウェルター級王座決定戦で勝利し、世界チャンピオンに。現在も格闘家としてK-1等のリングに立ち続けながら、キャリアコーチとして働く。

活発で明るいお調子者


兵庫県神戸市で生まれました。兄が、テコンドーの全日本に出場するほどの選手だった影響で、少年時代に自然と「強さ」に憧れるようになりました。流行していた格闘漫画の影響もあったと思います。

体を動かすのが好きで、小学校の時から野球やサッカーなどのスポーツチームに所属していました。目立ちたがり屋で、学校の中ではお調子者キャラでクラスメートを笑わせるのが好きでした。

中学生の時には、流行していたビジュアル系バンドをテレビで見て衝撃を受けました。「男なのにメイクをして、何をやっているんだろう」と最初は驚きました。しかし、なぜか気になって曲を聴いたり、ライブ映像を見たりするうちに、彼らの見た目やステージング、音楽性に強い信念のようなものを感じ、それがたまらなくかっこよく思えるようになっていきました。

彼らみたいになりたいと、ギターを買って暇さえあれば練習をするようになりました。一人で弾くだけでなく、どうしても人前で演奏したくなりバンドを組みました。初ライブの舞台はキャンプ場のビニールシートの上。エレキギターとボーカルとアコースティックギターという謎のスタイルでしたが、聴いてくれた人から反響があり、すごくうれしかったですね。

高校生になると、本格的にバンドを組んで、ライブハウスに出演するようになりました。高校の文化祭では会場のお客さんが大きな歓声を送ってくれて、これ以上ないくらいに気持ち良かったです。

当時はバンド以外の事にも興味があり、遊んでばかりで勉強しなかったので、大学受験はすべて不合格でした。でも、大学には行きたいと思っていたので、浪人することに。音楽活動をするためには、人も音楽事務所も集まっている東京がいいだろうと考え、翌年東京の大学に合格し上京しました。

バンドマンとしての夢の終わり


進学後、大学で出会ったメンバーとバンド活動を開始しました。必ず音楽で成功しようと、当時色々なバンドを研究し、気づいたことを自分たちのバンドに反映しました。

試行錯誤を繰り返していくうちに、少しずつメディアへの露出も増えバンドの認知度が上がり、ワンマンライブでチケットが売切れるようになりました。関東だけでなく、地元関西の人からも「ファンなんです」と声を掛けられるほどになったんです。この頃には本気で音楽で食っていけると思うようになっていました。このまま着実に力をつけ、最終的には、年末の音楽番組に出演するというイメージを描いていました。

ところが大学4年生の時、ボーカルが「バンドをやめたい」と言い出しました。あまりに突然だったので衝撃が大きく、頭が真っ白になりました。理由を聞くと、「もうついていけない」と言うのです。振り返ってみると、他のバンドに技術で負けないようにという気持ちが先行し、気が付けば過酷ともいえる環境をメンバーに求めていたことに気づきました。

自分と同じような音楽への情熱をメンバーにも求めてしまい、厳しくしすぎていたのだと思います。私自身、そんな自分のやり方を反省し、なんとか説得を試みましたが、ボーカルの決意は固く、バンドは解散することになりました。

思い描いていた夢がいきなり崩れ去り目の前は真っ暗、最初はその事実を受け入れられなかったのですが、もう手の施しようがないことを悟り、終わりを受け入れる覚悟を決めました。ただしっかりとケジメだけはつけて悔いなく終わりたい、そしてこれまで応援してくれたすべての人たちに感謝の気持ちを伝えたい。そう伝えるとバンドのメンバーも同意してくれて、解散ライブを行うことに。

解散決定後、バラバラになっていたメンバーの心を再び結び付けてくれたのは「これまで応援してくれたすべての人たちに今までの感謝の気持ちを伝える」という思いでした。

そして迎えた本番当日、上京して初めてメジャーバンドを観に行った憧れの会場でのワンマンライブでチケットは完売。満員のお客さんを前に、自分たちのバンドマンとしてのすべてをぶつけました。メンバーやスタッフ、ファンの思いがひとつになった最高のライブになりました。

ライブ終了後、楽屋に戻ると涙が溢れてきました。慌ててトイレにかけこみ、一人でずっと泣きました。とにかく、悔しくて悔しくて。これが、10代の頃から目指してきた夢の終わりかと思うと涙が止まらなかったですね。

夢をあきらめ、途方に暮れる


音楽で生きていくつもりだったため特に就活はしていませんでした。新しいバンドを組もうと準備をしましたが、それもうまくいかず挫折。それなら一人でできることをしようと、作曲家としてメジャーレコード会社にエントリーし、なんとか内定をもらえました。

ですが、内定をもらったら急に怖くなって、レコード会社の担当者に相談しました。「これまで好き勝手に自分達のために曲を作ってきたのに、これからは作曲家として、裏方として、人のために曲を作ることができるのでしょうか」と。すると「そんなことを言っているならやめたほうがいいよ。この仕事がしたくてたまらない人はたくさんいるんだから」と言われてしまいました。確かにこの人の言う通りだなと思いました。こんな中途半端な気持ちでは継続は難しいと判断し、内定を辞退しました。

その後、しばらくは曲を作っては音楽事務所と今後の打ち合わせをしていました。そんなある日、何の気なしに自分の作った曲を親友に聞かせると「その曲、お前らしくないね」と言われて気づいたんです。改めて聞き返すと、確かに親友の言う通り、学生時代に必死で生み出してきた音楽とは違っていました。良い音楽とは何かを追求するあまり、評価される事を優先し自分らしさがなくなっていたのです。それで、目が覚めました。バンド時代の仲間がテレビで活躍する姿を見て、自分はこれからどこへ行くのかと途方に暮れました。

格闘家への転身


何もすることなく過ごしていると、たまたまテレビでキックボクシングの試合を見ました。そういえば昔、強くなりたいと思っていた頃のことを思い出しました。手足が長く、運動も得意で自分の強さに自信があったので、もしかしたら格闘家の素質があるかもしれないと考えました。藁をもすがる思いで、キックボクシングジムのドアを叩きました。

キックボクシングを習い始めてから1年後、空手の全日本王者と別流派の空手の全日本トーナメントで戦うことに。相手は試合前に取材されるほどの有名な選手で、一回戦では対戦相手が失神し、担架で搬送されてしまった程の凄腕です。かたや私は格闘技を始めて1年ですから、正直、不安しかなかったです。しかし、いざ試合が始まると、余計な考えがスッと消え、勝負に集中できたんです。

その結果、なんとか勝利を収めることができました。格闘技を始めて1年でこんなに強い相手に勝てるなら、自分の強さは格闘技界で通用するに違いないと確信を持ちました。そして、いつしか世界チャンピオンになりたいと夢見るようになりました。

その後、2年ほど練習を続けて自分の戦闘スタイルを磨き続けました。そしてキックボクシングのアマチュア全日本大会で優勝し、プロキックボクシングの各団体王者が集まり、一番を決める大会への出場が決まりました。この大会で優勝できれば、格闘家として次のステージへ進めるという、重要な大会でした。私自身それまで負けなしだったので、本気で優勝を取りに行こうという意気込みで臨んでいました。しかし結果は1回戦で敗退。またゼロから実績を積まなければいけないのかとかなり落ち込みました。

しかし、心が折れることはありませんでした。自分さえあきらめなければ、また夢に向かって頑張り続けられる。まだ結果は何も出ていない。ここでやめる選択肢なんて、まったくありませんでした。

格闘技に専念するため、勤めていた会社を退職し、働き方に融通がきく仕事を探すため、人材サービス会社であるアデコ株式会社に派遣社員として登録することにしました。すると次の日にエリア長を務める方から突然連絡があり、「ウチで社員として働かないか」と打診されました。自分のやりたいことを聞いて全部理解した上で、お声を掛けてくださったんです。ここでなら、夢を追いかけながら働けるのではと思いその会社への就職を決めました。

ビジネスマンとしても成長したい


入社後、平日は終業後の夕方から夜中にかけて練習し、週末は一日中練習や試合に明け暮れる毎日でした。フルフレックス制度が導入されたため時間に融通が利き、働きながら練習する生活の私にとって、ありがたい環境でした。

また、「格闘技、頑張ってください」と声をかけてくれたり、試合を見に来てくれたりする上司や先輩、同僚もいて、すごくうれしかったです。周囲の期待に応えるためにも、試合はもちろんですが、仕事でも成果を出して、恩返ししたいと思うようになりました。

そんな環境の中、着実に実績を積み上げ、入社して4年後には、キックボクシングの王座を決定する大会のスーパーウェルター級で勝利し、夢だった世界チャンピオンに輝くことができました。

バンドマンとしては叶えられなかった夢を叶えられたこともうれしかったですが、何より、周りの人たちが自分の事のように喜んでくれたことがうれしかったですね。この人たちのためにも、まだまだ頑張ろうと思いました。

その後はムエタイでもチャンピオンになり、K-1等のビッグマッチにも参戦しましたが、決して満足はせず、もっと強くなりたい、もっと周囲の人に喜んでもらいたいとトレーニングに打ち込みました。

人生、「遅すぎる」ということはない


現在は、アデコグループでキャリアコーチとして働くかたわら、キックボクシング選手として練習に励み、試合に出ています。格闘家としてまだまだ成長したいと思う一方で、ビジネスマンとしてもスキルを磨いていきたいと考えています。

現在メインで任されているのは、働きたいと考える方々のキャリア構築を支援する業務です。一人ひとりに寄り添い、それぞれの希望や志向にあったキャリアをコンサルティングしています。特に意識しているのは、希望条件をヒアリングするだけではなく、「キャリア開発があたりまえの世の中をつくる。」という会社のビジョンを実現するべく、長期的なキャリアのあり方そのものを考えてもらえるように働きかけ、支援していくことです。

私自身、派遣社員として仕事に就こうと考えた時は、融通のきく働き方ができるかどうかが一番で、キャリアについて考えたこともありませんでした。しかし、実際に働いてみると、「未来の自分」を踏まえた上で、いかに自身のキャリアを築いていくかを考えることの重要性に気づきました。働くことを通じ、未来の自分の姿に向かって、どのように歩んでいくかを一緒に考える。それぞれの人が望む「未来の自分」に近づけるような、そのためのサポートをしていきたいです。

周りからはよく、キックボクシングと仕事と全然違う分野のことを同時によくやるねと言われますが、両方やるからこそ、うまくいっているんだと思っています。私は性格的に、1つのことにのめりこむタイプなので、何かうまくいかないことがあった時、どうすればいいのかわからず立ち止まってしまうところがあります。

しかし、キックボクシングから仕事、仕事からキックボクシングと異なる環境に身を置き、頭を切り替えることで、仕事でもキックボクシングでも、それぞれで直面している問題を俯瞰して捉え直し、「あ、こうすればよかったんだ」と閃きが生まれることがあるのです。異なる2つの世界があることが自分の中で最良のバランスとなり、それが強みになっています。

今後も、二足のわらじで活動を続けていくつもりです。格闘技においては、生涯トレーニングを続けていきたいです。

ビジネスパーソンとしては、もっと会社の役に立てるよう力をつけていきたいですね。周りに優秀なビジネスパーソンがたくさんいるので、そんな人たちの中で自分ももっと戦えるようになりたい、必要とされる人財になりたいです。

今後も、常に自分がやりたいことに夢中になりながら生きていくつもりです。年齢も年齢なので、選手としてはそろそろ見切りをつけなければならないかもしれません。たとえそうなったとしても、また新しいやりたいことを始めていければいいと考えています。

キックボクシングを始めるとき「今からやるの?」と周りからよく言われましたが、本当にやって良かったと思います。人生において何かを始めるときに「遅すぎる」ということはないと私は思います。何があっても、自分がやりたいと思ったことをあきらめない。そんな人生を歩んでいきたいですね。

2019.11.07

インタビュー・編集 | 種石 光
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