誰もがイノベーションを起こせる世界に。持ち運べるホワイトボードで描く未来の形。

父が職人だったことから幼少期からものづくりに親しみ、現在は持ち運べるホワイトボード「バタフライボード」の開発と生産を手がけている福島さん。ものづくりに向き合い続けながら見据える未来とは。お話を伺いました。

福島 英彦

ふくしま ひでひこ|バタフライボード株式会社代表
鈴鹿工業高等専門学校機械科卒業。音響メーカーを経てマーケティング、事業開発に携わり、副業としてバタフライボードを開発後、独立。「誰もがイノベーションを起こせるように」との思いから、製品の開発や生産体制の構築などを行う。

身近にあった「ものづくり」


愛知県海部郡に生まれました。大工だった父が建築現場で働いていたため、小さい頃からよく現場に遊びに行っていました。どんどん組み上がっていく建物をみるとワクワクしましたが、怪我で入院して仕事ができなくなる父の姿を見て、大変な仕事だなとも思っていましたね。

6歳の頃、父が自分たちの住む家を建てました。知り合いや友達を呼んで2、3カ月で仕上げてしまう様子を見て、なんだか簡単そうだな、自分にも、ものづくりができそうだなと思うようになりました。

将来はものづくりがしたいと思いながら小学生時代を過ごして中学生になった時、ある先生から高等専門学校の存在を教えてもらいました。国語や数学など普通の高校で学ぶ科目だけでなく、工学など技術系の知識を学べると聞いて魅力を感じました。自分の興味があるものづくりになるべく早く携わりたいと考えた時、高等専門学校に通うのが一番良い方法だと思ったのです。

それまで全然勉強をしておらず、学校の成績は良くなかったのですが、目標ができたので一生懸命勉強しました。入試の難易度は高かったですが、他の選択肢はないと思い込んでいたので必死でしたね。その結果、なんとか志望校に合格できました。

技術を体で学ぶ


高等専門学校の機械科に入学して、寮生活がスタートしました。定期テストの内容が難しく、クラスの1割は毎年留年するほど厳しい環境で、ついていくのに必死でしたね。

どうすれば赤点を回避できるだろうと考えた結果、先輩と仲良くするようになりました。テストの傾向を教えてもらうためです。寮生活で生まれる雑務を積極的にこなし、先輩に気に入ってもらえるよう立ち振る舞いましたね。おかげで留年せず、順調に進学していけました。欲しい結果に対し、いかに近道を見つけるか考えて動く大切さを学びましたね。

授業では教科書や専門書を読んで学ぶだけでなく、基本的なものづくりの手法を実際にやってみて学べました。鋳造の授業では砂で型を作るところから始め、作った型にアルミを流し込み、鍋敷きなどを作りました。あらゆる製品を作るベースとなる技術を体で学べました。

特に興味を持った技術は、音楽を聴くのに使うスピーカーなどのオーディオシステムでした。もともと兄の影響で音楽を聴くのが好きだったのですが、父が買ってくれたオーディオシステムで聞いているうちに「もっと良い音を出すにはどうすればいいのか」に興味が湧いてきたのです。

常識にとらわれない「ものづくり」


音響機器の設計や開発に携わりたいと思い、卒業後は東京の音響メーカーに入社しました。高等専門学校が比較的田舎にあったので、東京への憧れがずっとあったのも会社を選んだ理由でした。

入社当初は知識が全くないところからのスタートで、開発のイロハを覚えるのがとても大変でした。オーディオ関連の専門性の高い知識、開発するためのノウハウ、新しい学びばかりでしたね。

配属された部署ではスピーカーの開発を任されました。自分で設計したスピーカーの音を一発目に聴く瞬間は、ものすごくゾクゾクしましたね。大変でしたが、ずっと携わりたかったものづくりの世界に入れて楽しかったです。

その後、会社の組織改編があって、所属部署や勤務地が変わることになったんです。せっかく学んできたノウハウが使えなくなるのと、勤務地が東京から地方に変わるのが嫌だと思い、転職を決意しました。

転職先は外資系の音響メーカーで、主に新商品の開発を任されました。前の会社では、開発する音の良し悪しは設計者に委ねられる部分が大きかったのですが、新しい会社では理論が固まっていて、誰が作っても理想の音がでるようになっていて、当初はやり方の違いに戸惑いましたね。

しかし、やっていくうちに新しい会社の良さに気が付き始めました。「ステレオシステムとはこうあるべき」という固定概念や常識にとらわれず、先進的なものづくりをしていたんです。例えば、スピーカーを全て後ろ向きにつけた商品。前方に向けて音を出したいのだから、前向きにつけるのが普通です。しかし、後ろ向きにつけて音を壁に反射させることで、より良い音が出る。

イノベーションだと思いました。常識を疑ってかかって、どうロジカルに覆すか。新しい考え方や技術を学ぶチャンスだと思い、吸収しようと目の前の仕事に一生懸命取り組みました。

新しい仕組みを開発した時は仕組みを理論的に整理し、特許登録する必要があります。専門の部署にお願いしに行った時、その部署で働く人たちの優秀さに大変驚きました。海外の有名大学の出身者ばかりで分析力に優れ、ものづくりの現場に長く携わっている自分でも敵わないなと思ったんです。自分より頭のいいやつはたくさんいて、この会社では自分は一番にはなれないと思ってしまいました。

やがて立場が上がって部下もできましたが、マネジメントしている感覚はなく、お互いが対等な立場で議論できる関係でした。同僚や後輩たちとも張り合いながら仕事をしていましたね。

それから数年して、所属していた部署がなくなってしまいました。このまま会社に残って、エンジニアとして別の部署でやっていくか、それとも別の会社に行くか真剣に悩みました。

「ものづくり」の上流を学ぶ


悩む中でエンジニアを続けていても、経営側の意向で突然部署がなくなってしまう事態を防げないと思い至りました。働く環境を自分でコントロールするためには、ものづくりのさらに上流のことにも精通しなければいけない。そんな考えから、会社から声をかけてもらっていたマーケティングの部署へ異動しました。

そこで3年ほどマーケティングを学びました。これまではただ商品を作っているだけでしたが、お客さんはなぜ商品を買うのか、購入してもらうために会社はどんなストーリーで売り出すべきかを考え続けました。

しかし、マーケティングをするようになっても、まだ自分は単なる本社の戦略実行部隊で、働く環境をよくすることはできないと感じ、事業開発を行う会社に転職しました。マーケティングよりさらに上流を学ばなければいけないと考え、事業全体の戦略を練る力をつけようと思ったんです。

転職先は、海外の商品や技術を日本で展開させる事業を行っていました。これまで勤めていたメーカーとは全く違う業務内容や文化で、周りの人たちとうまくコミュニケーションがとれないと感じたんです。

これまでは、技術者だけ、マーケティング担当者だけと、同じ職種ばかりが集まって仕事をしていました。でも、この会社はいろいろな職種の人たちが入り交じってプロジェクトを進めていきます。扱う商品自体も音響システムなど特定のものだけではなく、世界中のあらゆるものが対象です。共通言語がなく、お互いに理解しあえないフラストレーションが溜まる状況が続きました。

ホワイトボードはコミュニケーションツール


そんなとき、会議室のホワイトボードに自分の考えを書いてみたんです。すると「いや、それ違う違う」ってみんな書いてくるんです。そこでようやく、みんなの考えが理解できました。書いてあることがみんなで見られる、何回でも書いたり消したりできる、ホワイトボードはコミュニケーションを促進させる良いツールだなと思ったんです。

とはいえホワイトボードは会議室にしかなく、他の場所では使えませんでした。運び出して使うにも、あんなに大きなものは持ち運べません。持ち運びできるホワイトボードを探しましたが、ちょうど良いものはありませんでした。

ないなら作るしかないと、自作のホワイトボードを作り始めました。長い間ものづくりに携わってきた経験から、とりあえず何でも作ってみるという考えが染み付いていたんだと思います。

100円ショップのホワイトボードを何枚かテープで貼り合わせたものを作ってみました。なかなか使い勝手が良く、会議室に行かなくてもコミュニケーションに困らなくなりました。その時ふと、もしかしたら同じ課題を感じている人は大勢いるのではと思ったんです。まとまった数を作るため工場に量産できるかどうか相談してみました。

しかし、数を安定してたくさん作るのに不向きな構造であるのを理由に、量産は難しいと言われてしまいました。どうすれば安定して簡単に作れるか試行錯誤を重ね、テープで貼り合わせている部分をマグネットで止める方法を考えつきました。この構造なら誰でも簡単に安定して作れます。

新しい作り方を提案しに工場に行くと、今度は生産ラインを組むための初期投資が必要だと言われました。なんとか資金を集めようと、クラウドファンディングを活用。ありがたいことに目標金額を集められて、43歳の時、「バタフライボード」という名前で持ち運べるホワイトボードを商品化して発売しました。

その後もクラウドファンディングでお金を集めながら、製品を改善しました。3回目の資金調達が成功した時、世の中にはバタフライボードのニーズがあるのだと確信が持てました。会社を退職し、バタフライボードを専門に開発する会社を立ち上げました。

世界中のイノベーションを加速させる


現在は、バタフライボード株式会社の代表としてバタフライボードを開発・生産・販売しています。大きさや形、仕様など改良を重ね、使うシーンや用途に応じた、いろいろな種類のホワイトボードの開発にも取り組んでいます。

今後も商品のラインナップを増やしていきたいと思っています。ユーザーの細かい要望を反映させた、オーダーメイドなツールを製作したいですね。方眼をプリントしてほしい、違うサイズが欲しい、様々な要望に合わせて個別のユーザーに最適な商品を作りたいのです。

そのためには、現在工場で使われている大量生産を前提とした生産システムではなく、もっと小型で作る製品に合わせて柔軟に対応できるロボットが必要です。パートナー企業と連携しつつ、多くの品種を少なく生産ができる仕組みづくりを進めていきたいです。

私は、もっともっと世界のイノベーションを加速させたいと思っています。そのためのコミュニケーションツールとして、持ち運べるホワイトボードは有効だと思っています。多くの品種を少なく生産ができるロボットの開発や仕組みづくりも、新しい製品を作るハードルを下げる意味で重要だと思っています。

人々が今より楽に、豊かに暮らせる世の中にみんなで近づいていくためにも、イノベーションが起きやすい環境づくりに挑戦し続けたいです。

2019.09.16

インタビュー・ライティング | 種石光
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