佐賀県佐賀市に生まれました。3歳の時に弟が生まれましたが、その2日後に姉が小児がんで亡くなりました。同じ頃、僕は網膜色素変性症という難病を患っているとわかりました。治療法が確立されていない、視界が徐々に狭くなる病気です。

大学病院の医師をしていた父は大きなショックを受け、医療の現場を離れることも考えたようですが、当時の上司のすすめもあり仕事の一環で一家でアメリカに引っ越すことになりました。

アメリカ生活は楽しかったです。人見知りせずたくさんの人と話し、世の中にはいろんな人が暮らしていると感じました。好奇心旺盛だったのは、母の影響があると思います。母は、僕の強みや好きなことを引き出そうと、いろんな場所に連れて行ってくれましたし、英会話や水泳、ピアノなど、いろんな習い事をさせてくれました。

2年で日本に戻ってからは、盲学校ではなく、一般の小学校に通い始めました。視界は徐々に狭まり、サッカーボールくらいの範囲しか見えなくなりましたが、僕にとってはそれが当たり前で、病気だとは思っていませんでした。

ただ、漫画とゲームと部活ができなかったのはつらかったです。友達と会話するネタがないんです。それに、目を守るためにいつもサングラスをかけていたので、いじめられたこともあります。なんとなく、周りとは違うのかなと感じ始めました。

中学生になり、いつもと違う病院に行って精密検査をしたときに、はじめて目の病気について聞かされました。ショックというよりは、「ようやく明らかになった」という気持ちでしたね。それまでふたをしていた何かがひっくり返されて、人生が動き始めようとしている感じがして。言葉に言い表せない、そわそわした感覚でした。

障害がわかってから、より一層勉強に打ち込むようになりました。障害がある僕には、勉強ができることくらいしか価値がないと思ったんです。それに、勉強はゲームや漫画と違って、僕がいつでもできる唯一のこと。勉強さえやっておけば、人生なんとかなるんじゃないかと考えていました。