入省後、4ヶ月の研修を経て、8月から熊本県庁に出向しました。せっかく勉強したのだからという思いで弁護士試験も並行して受験し、1年目の10月に合格することができました。翌11月に財政課へ異動になりました。県庁勤務の場合、通常1年目は市町村周りの仕事をして、2年目に財政課に配属になるんですが、僕の場合は3ヶ月後に異動でした。

財政課にとって11月は一番忙しい時期で、配属した矢先に熊本県の警察予算400億を査定することになりました。僕の場合「査定って何?」ってところからのスタートでした。朝4時まで仕事して、一旦帰宅し、朝8時半に出勤。週末も働いていました。職員一同で命を削って議論をしましたね。「本当にこの制服いるんですか」とかいうレベルまで。しんどかったですね。なんとか議論をまとめて予算案が完成したのは2月でした。

しかし、そこに書かれているのは費用名と費用の数値のみだったんです。それを見て愕然としました。自分たちがした議論は最終的には数字でしか現れないんだな、うわ、やばって。本当に大切なのは、その数字の先にいる人、そこで働いている人が何をモチベーションにしているのか、どう保っていけばいいのかなんじゃないのか。命削ったのに何してんだろうと悔しい気持ちでした。

2年目からはそこを意識して査定していきました。それでも、自分の命をかけたことと成果物の距離を感じ、本気で辞めたいと思うようになりました。3年目に総務省に戻り、採用担当になりました。辞めたいと思っている自分が学生に向かって職場の良さを伝えなければいけない。最初は辛かったですね。けれど、総務省の志望理由を話す機会が自然と増え、原点回帰できました。20年後に「日本を一緒に変えよう」って言いたくて入ったんだよなって。

翌年の3月、父親が亡くなりました。友人の結婚式に出席するためたまたま帰省していたので、最期を見ることができました。普段テレビの中では人がどんどん死んでるじゃないですか。それに対していちいち心を痛めたりしないし、自分からは遠い世界で起きていることだったんです。でも、いざ目の前で死を見た時に、むちゃくちゃ「生」を感じて。「うわ、俺、死に向かって『生きてる』んやわ」って思ったんです。

そこから全てのことに対して、自分の限られた時間、命を何に使っていくのかという発想に切り替わりました。うちの親が一番くれた、僕にとって大事なものは「やっぱり人って死ぬんだよ」ということ。そこから「どう生きるか」をめちゃくちゃ考えるようになりました。人はいつか死ぬし、それがいつかわからない。この2つがある中で、じゃあ今日を一生懸命生きないとなって。だた、どう生きるかについての明確な答えは出てきませんでした。