映像の力を使い、できることをする。旅ばかりする中で、見つけたこと。

テレビ局に勤めながら、局の海外派遣制度を使い、世界最大のシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」にて、映像メディアの立ち上げを行う斉藤さん。学生時代から旅に魅了され続ける中で、なぜ難民問題に興味を持ち始めたのか。お話を伺いました。

斉藤 勇城

さいとう ゆうき|NHKディレクター・NGOインターン
NHKに勤務し、文化・福祉番組部ディレクターを務める。

旅に憧れて、旅に飽きて


東京生まれですが、0歳から4歳までは香港で過ごし、日本に戻ってからは横浜南部で暮らしました。自然の多い場所で、学校に行く間にある森で木登りをしたり、部屋から見える海を眺めたりするのが好きでした。

中学生になった時に、父に「何かやりたいことはあるか?」と訊かれて、頭に浮かんだのは「釣り」でした。小学生の時に1回だけ友達とハゼ釣りをしたことがあって、それが楽しかったんですね。3000円くらいの釣り竿を買ってもらい、父や弟と一緒に釣りに出かけるようになりました。

海に行くと、ずっと飽きないんですよね。あそこの海底は岩っぽいけどカサゴがいるかなとか、海流っぽいのが近付いてきたけど、表面だけかな、深いところも流れているのかなとか。将来は、漁師になりたいと思って、16歳の時には学校を休んで小型船舶免許まで取りましたが、船酔いが激しいことに気づき、諦めました。

大学に入ってからは、旅に夢中になりました。『深夜特急』という小説や、『電波少年』でヒッチハイクが流行っていた影響です。特に深夜特急は、幼少期に過ごした香港から旅が始まるので、興味を持って一気に読みました。旅に出たら世界のことが分かると思い込んで、アルバイトで稼いだお金を旅につぎ込みました。

行き先は、東南アジア〜南アジア〜アフリカ諸国。まだインターネットの速度が遅く、メールを一通開くのに5分くらいかかるようなスローな時代。宿屋の旅人ノートや乗り合いトラックで出会った人から得た情報をもとに、その場で行き先を決めながら旅をすることで、ささやかな自由を感じていました。それからは、世界地図をいつも眺め、次はどこへ行こうかと考え続ける学生生活前半でした。

ところが、3回くらいバックパッカー旅行をしたところで、旅の熱が冷めてきました。中学の時からの友人が、高校をドロップアウトした後、ロンドン大学で現代物理学を勉強し始めていると聞いて、「自分は何でこんなところでふらついているんだろう?」と感じたんです。自分も何かをしなきゃという焦りを感じ始めました。

2001年の夏、19歳の時には、小さい頃から憧れていたアフリカのサバンナでライオンを間近で見たり、タンザニアのザンジバル島というサンゴの美しい島に滞在したのですが、心は空虚でした。浜辺でぼけっとしながら、地元の英字新聞を覗くと、「World War III」という見出しとともに、崩壊するワールドトレードセンターの写真が掲載されていました。見出し以外英語が読めず、他に情報も入ってこないので、本当に世界戦争が始まったのだと思い、日本に帰れるか心配した記憶があります。

ニューヨークへの旅で惹かれたもの


もともと、ニューヨークには並々ならぬ憧れがありました。ジョン・ゾーンというニューヨークのジャズ音楽家に心酔していましたし、ニューヨークが舞台の『DOWNTOWN81』という映画に魅了されていたんです。そこに、9.11の新聞記事を見たことでスイッチが入り、ろくに英語もできないのに、アメリカの大学へ編入することに決めました。

アメリカに居た2年の間に、イラク戦争が始まり、子ブッシュが2期目の当選を果たしました。「God Bless America」とか愛国的なフレーズがそこら中に踊り、よく車の後ろには、「Support our Troops」というシールがはってあった頃で、復讐への執着心を感じ暗澹たる思いになったこともあります。

開発学や国際経済学といったメインの勉強は、卒業できる程度にしっかりやっていましたが、心が惹かれていったのは、ニューヨークで見るジャズやロックの演奏、映画や、舞台といった表現の世界でした。

特にお気に入りだったのが、ハーレムにあった「St. Nick Pub」という、地元のジャズミュージシャンが夜な夜なセッションを繰り広げるジャズバーです。入れ替わり立ち替り、ミュージシャンが楽器を持って現れ、数曲吹いてさっと帰っていく。プロもアマも、黒人も白人も、若者も老人も混じっていたけど、みんなめちゃくちゃうまくて。表現の手段を持った人は、本当にかっこいいなと憧れました。マウスピースから滴るヨダレすらかっこいいんです。

ただ、表現者たちに憧れつつも、自分には特にこれといった技能があるわけでもないので、これから表現者を目指すのは難しと感じていました。人生を小学生からやり直したい。そんな悲観的なことを思っていたところに、NHKの職員募集要項が目に止まりました。多くの企業が、一般職募集、総合職募集などと、一体何をするのか分からない募集項目で求人していたのに対し、NHKは「番組の企画・制作職募集」としていて、詳細を読むと、学生の自分の頭でもなんとなく仕事をしている様が想像できたんです。この仕事だったら、ギリギリ「表現者」の末席に入りこめるんじゃないか!って思ったんです。それで、NHKに入局しました。いつかまた仕事でニューヨークに戻りたいと思っていましたね。

南スーダンと難民への関心


社会人としてNHKに入っても、旅の魅惑には勝てませんでした。海や川が綺麗な高知局に配属にしてもらい、小さな島に3週間住み込んで子どもの成長を撮ったり、仁淀川という清流に1年近く通い詰めてドキュメンタリーを撮ったり。東京に転勤になってからも、北極圏に生きるエスキモー少年の話や、南太平洋絶海の孤島滞在記など、制作プロセス自体が旅みたいな番組ばっかり作っていました。

そんな生活を送っていた後、2013年にアフリカ中部の南スーダンに1ヶ月滞在したことがきっかけで、難民問題に関心を持ち始めました。南スーダンは、半世紀にもおよぶ内戦を経て2009年に独立した世界で最も新しい国。戦争は終わったものの、「UN」とでっかく書かれたランドクルーザーや、日本の自衛隊の車両が街を行き来していますし、道はぼっこぼこ。夜外に出かけると、警察が道で賄賂を要求してくるような有様で、まるで戦争映画を見ているようでした。

そんな状態の中、私たち撮影班は、ミスコンが開催されるという情報を聞きつけ、参加する女性たちを撮影しました。自衛隊がPKO活動しているすぐ近くで、ミスコン参加のために決めポーズやスピーチの練習が行われている。戦争からの復興の最中で美を競い合っているという対称性が、平和について多くを語ってくれるような気がしたんです。参加者たちの多くは内戦時代、国外に避難していましたが、独立を機に祖国に戻り、新しい国で一花咲かせたい、国を盛り上げたいという意欲に燃えていて、とても力をもらいました。

ところが、帰国して編集作業を始めた矢先、南スーダンで大規模な戦闘が発生し、500名近くが死亡、再び紛争状態に突入したというニュースが入ってきました。取材させてもらった若者たちや現地の通訳が無事だということは分かり一安心はしたものの、ほんの1,2週間前までステップやスピーチの練習をしていた女性たちが、再び避難民化しているという事実に、自分の想像力が追いつきませんでした。もう一度自分の目で彼女たちの様子を見に行きたい。そんな思いに駆られました。

しかし、その後も南スーダンでは、和平への光が見えては消え、見えては消えを繰り返し、たびたび戦闘が起こっていて、取材に出かけられるような状態ではありません。難民問題に一度足を突っ込んでおきながら、その後何もできない自分に無力感を覚えました。

どうにかシリア難民にアプローチしたかった


さらに2015年11月、パリ同時多発テロが起こったことをケーブルテレビで知りました。事件の3ヶ月前に撮影でフランスに滞在していたこともあり、他人事とは思えませんでした。

事件そのもの悲惨さもそうですが、事件の後、youtubeで公開された映像に、心を掻き乱されたのを覚えています。パリの街中で、ムスリムの男性が目隠しをして立ち、足元に置かれた段ボールにはマジックで「私はムスリムです。テロリストと呼ばれました。私はあなた方を信じています。あなたたちは私のことを信じてくれますか?もしそうなら抱きしめてください。」と書かれていました。ジハーディスト、過激派ではないムスリムの人たち、特にシリアから逃げてきた方々が今何を感じ、何を考えて生きているのか、ひとりひとりじっくり聞いてみる必要があるんじゃないかと思うようになりました。

シリア難民にどうアプローチしたらいいものかと考えているうちに、関心を持ち始めたのが中東のヨルダンという国です。紛争が続くシリア・イラクと国境を接しながらも、ヨルダンは、比較的治安が安定していて旅行者でも入国することができ、国連発表で80万人ものシリア難民を受け入れています。この国に行って、シリア難民ひとりひとりに話を聞ききたい。現在進行形の戦争が、市民に一体どんな影響を与えるのか浮き彫りにしたい。そんなことを考え始めたんです。

そこで、NHKが設けている「海外派遣制度」を使うことにしました。年に数名、海外の有名放送局や教育機関に職員を派遣する制度です。今回のように難民キャンプでプロジェクトベースの派遣を行うというのは、珍しいのですが、海外での活動に理解のあるNHKの上司が後押してくれ、許可を得ることができました。

シリア難民と起こす映像プロジェクト


そんな時に出会ったのがヨルダンで支援事業を展開するNGO「JEN」でした。JENは2年前から、ヨルダン北部の「ザータリ難民キャンプ」で、事業の1つとして、シリア難民が主体的につくる月刊情報誌を発刊しており、この雑誌の事業を拡張する形で、映像配信を一緒に進めていこうという話になったんです。

ザータリ難民キャンプは、8万人が暮らす世界最大のシリア難民キャンプです。でも、「キャンプ」とは名ばかりで、誰もテントを張っているわけではありません。1家に1棟与えられるプレハブ小屋が並び、「シャンゼリゼ通り」という名の違法商店街では活発に商売が行われ、学校も、モスクも、病院も、スーパーも、サッカーコートやテコンドー道場すらあって、さながら「ザータリ町」だと感じました。普通の町と違うのは、そこら中に支援国の国旗や、支援団体のロゴが貼ってあること。それを見ていると、まるで「支援合戦」のようだなと感じることもあります。

そんな砂漠にできた難民キャンプの中で、シリア難民たちが作る短編映像プロジェクト「IN TRANSIT」が始まりました。1週間に1本ほど、5分程度のビデオを15歳から27歳までのシリア難民のメンバーとともに制作しています。

リーダーを務める男の子は、祖国で戦争を体験する中で「世界に正しい情報が伝わっていないのではないか。ジャーナリストになって正しい情報を世の中に伝えたい」と語り、またある女子高生メンバーは、「友達の結婚式のビデオを撮りたいの」と、映像制作に関わる動機を語ってくれました。日々、難民たちが自分でみつけてきた題材をもとに、ディスカッションをし、撮影、編集と進めていくので、うまくいかないことや、大変なこともあります。ですが、難民たちに、支援が終了したあとも自立する力を残したいという思いでやっています。

映像の力でできるかもしれないこと


ある日のミーティングで、「メディアは困っている人の声を届けるのが大事だよね」という話をメンバー内でしたところ、一人が「からだが成長しない病気のために苦しんでいる私のお姉さんを取り上げたい」と提案しました。お姉さんに会いに行くと、ふるまいや話しぶりは大人びているものの、確かに幼い容姿でした。

聞けば、脳にできた腫瘍が原因で、成長ホルモンの分泌に異常があり、10歳の頃からからだの機能の成長が著しく遅いそうです。腫瘍は徐々に拡大し、すでに視神経に接触していて、このままでは失明する可能性すらあると分かりました。

彼女は、国連機関や各国のNGOに支援を求めましたが、今現在も支援を受けられていません。ザータリ難民キャンプでは、手厚い医療支援体制が敷かれていますが、彼女のように、治療費が高額で、ただちに生命に関わらないケースは、優先順位が下げられてしまうんです。

私が「難民支援業界」に少しだけ関わらせてもらって驚いたのは、支援する際の事前調査や事後評価が徹底されていることです。例えば、トイレや飲み水のタンクを設置する際には、対象エリアの家を一軒一軒たずねて家族構成や障害の有無などを調査します。あらゆる支援が、公平で効率よく渡るように気を配っているんです。多くの団体の資金は公共のお金ですし、ちょっとした不公平感が致命的な争いに発展してしまう可能性があるからです。

ただ、皮肉にも、公平・効率を徹底するからこそ、マイノリティーで「非効率な支援対象の人」には、なかなか手が届かないという現実があるわけです。「人もお金も限られている中で、仕方ないよな」と正直に思います。ですが、もしこの子が「私は誰からも助けてもらえなかった」という記憶を抱えたまま年を重ねていったら、どうだろう。シリアが平和になっても憎悪がまた残るんじゃないかなと思うんです。

彼女や彼女と似た境遇にある子どもたちに、様々な支援網から抜け落ちてしまい困っている人たちに、映像やインターネットの力を使って光を当てる良い方法がないかなと、悩み考えているところです。

5か月間のシリア難民キャンプ派遣プロジェクトも、2016年9月末で終わりました。映像制作者の種は蒔いてきたはずなので、願わくは、近い将来シリアに平和が戻り、彼ら彼女らが祖国で映像制作活動を始められたら、日本とシリアの共同制作でドキュメンタリーを撮れたら面白いなと思います。

私自身、日本に戻ってからも、シリア危機の取材を続けたいと思います。日本人がわざわざ危険を冒して行くなと言われるかも知れませんが、アラブの人がシリア危機を扱うのに比べればリスクは低いです。彼らは、ちょっと何か主張するだけで、反対勢力から村八分にされたり、家族が脅迫されたりするリスクを背負いながら、命がけで情報を発信しようとしています。幸い、日本は今の所は紛争からある程度距離を置いているので、第3者として客観的に事態を見ることができるのではないかと思っています。

今の時代は、10年とかもっと先の未来になって、「あの時、君は報道機関に勤めながら何をしていたの?」と言われる時代になるかも知れません。その時に、何もしなかったと後悔しないためにも、今自分ができることを手探りで続けていきます。失敗ばかりですが。

2016.10.11

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