【2月8日開催】福田秀世 写真展・トークイベント“Vivi e lascia vivere.” -思うままに生きよ。自分は自分、人は人-
  1. >
  2. >

映像の力を使い、できることをする。
旅ばかりする中で、見つけたこと。

斉藤 勇城さん/NHKディレクター・NGOインターン

はてぶ

テレビ局に勤めながら、局の海外派遣制度を使い、世界最大のシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」にて、映像メディアの立ち上げを行う斉藤さん。学生時代から旅に魅了され続ける中で、なぜ難民問題に興味を持ち始めたのか。お話を伺いました。

旅に憧れて、旅に飽きて

東京生まれですが、0歳から4歳までは香港で過ごし、日本に戻ってからは横浜南部で暮らしました。自然の多い場所で、学校に行く間にある森で木登りをしたり、部屋から見える海を眺めたりするのが好きでした。

中学生になった時に、父に「何かやりたいことはあるか?」と訊かれて、頭に浮かんだのは「釣り」でした。小学生の時に1回だけ友達とハゼ釣りをしたことがあって、それが楽しかったんですね。3000円くらいの釣り竿を買ってもらい、父や弟と一緒に釣りに出かけるようになりました。

海に行くと、ずっと飽きないんですよね。あそこの海底は岩っぽいけどカサゴがいるかなとか、海流っぽいのが近付いてきたけど、表面だけかな、深いところも流れているのかなとか。将来は、漁師になりたいと思って、16歳の時には学校を休んで小型船舶免許まで取りましたが、船酔いが激しいことに気づき、諦めました。

大学に入ってからは、旅に夢中になりました。『深夜特急』という小説や、『電波少年』でヒッチハイクが流行っていた影響です。特に深夜特急は、幼少期に過ごした香港から旅が始まるので、興味を持って一気に読みました。旅に出たら世界のことが分かると思い込んで、アルバイトで稼いだお金を旅につぎ込みました。

行き先は、東南アジア〜南アジア〜アフリカ諸国。まだインターネットの速度が遅く、メールを一通開くのに5分くらいかかるようなスローな時代。宿屋の旅人ノートや乗り合いトラックで出会った人から得た情報をもとに、その場で行き先を決めながら旅をすることで、ささやかな自由を感じていました。それからは、世界地図をいつも眺め、次はどこへ行こうかと考え続ける学生生活前半でした。

ところが、3回くらいバックパッカー旅行をしたところで、旅の熱が冷めてきました。中学の時からの友人が、高校をドロップアウトした後、ロンドン大学で現代物理学を勉強し始めていると聞いて、「自分は何でこんなところでふらついているんだろう?」と感じたんです。自分も何かをしなきゃという焦りを感じ始めました。

2001年の夏、19歳の時には、小さい頃から憧れていたアフリカのサバンナでライオンを間近で見たり、タンザニアのザンジバル島というサンゴの美しい島に滞在したのですが、心は空虚でした。浜辺でぼけっとしながら、地元の英字新聞を覗くと、「World War III」という見出しとともに、崩壊するワールドトレードセンターの写真が掲載されていました。見出し以外英語が読めず、他に情報も入ってこないので、本当に世界戦争が始まったのだと思い、日本に帰れるか心配した記憶があります。

ニューヨークへの旅で惹かれたもの