群馬県桐生市で生まれ、三人姉弟の真ん中で育ちました。小さい頃から、姉弟と比べても、同級生と比べても、これといった才能がないことがコンプレックスでした。常に、人と違うことをしないと生きていけない、と感じていましたね。

小学生の時、3つ上の姉の英語の教科書を見て、これは同級生の誰も知らないことだと感じ、英語に興味を持ち始めました。中学生になってからは、お年玉で大人用の英語教材を買い、熱心に勉強したので、英語の成績はとても良かったですね。将来は漠然と、通訳者や翻訳家など、英語を使う職業に就きたいと考えていました。

高校に入ると、英語を使いこなす帰国子女や留学経験者という人たちが世の中にいることを知りました。「この人たちには英語で敵わない」と感じてしまい、英語プラス何かを必要とする自分にしかできない仕事を見つけなければと思いました。ただ、それが何なのか見当もつかず、将来のことを考えるのを先延ばしにしていました。

卒業が近づき、先生に「進路が決まってないのはお前だけだ」と言われ、ようやく進路を考え始めました。情報収集のために新聞を読み漁る中、ルワンダ虐殺の記事で、亡くなりかけている母を子どもが泣きながら支える写真が目に留まりました。

それまでも紛争地のニュースを見たことがありましたが、その時初めて、紛争地で暮らす人と自分との間に共通点を見いだしました。

バブル崩壊、消費税増税、汚職事件。常に、「偉い人が勝手に決めたことに巻き込まれている」「自分も進路が決まらないし」と不満を持っていました。ルワンダの親子も同じで、自分から虐殺に巻き込まれたわけではありません。同時に、置かれた状況に圧倒的な差があるとも痛感しました。日本で暮らす自分は、努力すればいくらでも道が拓けるのに、不満ばかり言っている。彼らは声をあげても、その声は拾われすらしない。激しい怒りと憤りを感じました。この問題を見過したくない。「これって解決できないのかな」と思いました。

どんな仕事につけば紛争をなくせるのか調べて行き着いたのが、紛争解決の専門家でした。日本には、そういった人達がいないことが分かりました。頭の中で化学反応が起きた気がしました。専門家が誰もいないこの分野なら、自分が必要とされる可能性がある。平和や紛争解決に関わる仕事をしようと決めました。