全ての人が夢を語る社会を!
「俺ヤバいな」と感じたのがキッカケでした。

「全ての人が夢を語る社会」という目標に向け、夢を語るプレゼンテーション・イベントを運営する新田さん。「やりたいことのど真ん中にいる」と話す背景には、挫折の先に訪れた、「全てが繋がる瞬間」がありました。

新田 達也

にった たつや|夢を語るプレゼンテーション・イベントの企画・運営
(株)アントレプレナーセンター ドリームプラン・プレゼンテーション事務局 ・2010年学生ドリプラを創設し、代表を務めながら、
2013年4月よりドリプラ事務局として全国各地のドリプラの開催支援やドリプラ世界大会の運営にあたる。

ドリームプラン・プレゼンテーション

文系のトップだから弁護士に


物心ついた頃から、「やるならとことんやってトップを目指したい」というような性格でした。中学の頃から、良い高校・良い大学に入りたいという気持ちがあり、高校は、地元で一番の公立校に進学しました。

高校では小学校から始めた剣道部に入ったのですが、顧問の先生もいない、あまり強くない高校だったんです。

「これはまずい」と思い、経験者の力のある学生を集めて入部し、試合に出る人を選抜する基準を、「学年」ではなく「実力」順にしようと提案し、1年生4人が出場するような風土に変えていきました。

それからも、強豪校の試合のビデオを撮って分析したり、「坊主信仰」をぶち壊したいという思いから、髪をオレンジ色に染めて大会に出場したりと、とにかく部活一本の生活でしたね。最終的には大阪府立の中で1位を獲得することができました。

ただ、正直部活に打ち込みすぎた感はあり、勉強は周りから遅れをとっていました。また、受験の時期になり、将来の方向性を考えたのですが、親が公務員だったこともあり、サラリーマンとして働くイメージはあまり湧かなかったんです。

とはいえ、他にやりたいことも特になく、文系だったこともあり、その中で偏差値のトップが法学部だということを知ってからは、漠然と弁護士を目指すことに決めました。

「こんなことのために生きているのかな」


公立の大学に進学してからも、どうせやるならぶっちぎってやろうという思いから、在学中の司法試験合格を目指すことに決めました。

そのため、資格学校にも1年生から通い始めることにしたんです。やはり1年生から通うような学生は珍しかったのですが、授業を受けていると、自分の他に、もう2人1年生がいることに気づきました。その2人は友達のようで仲良く話をしていたので、自分も仲間になりたいと思い、話しかけてみることにしたんです。

実際に話をしてみると、「すごいなこいつら」というのが第一印象でした。経済や政治の話など、色々なテーマで話をするのですが、全ての話が、「俺たちが日本を変えるな」というオチなんですよね。半ば圧倒されながら、どんどん仲良くなっていきました。

ある時、3人で話をしている時に、「なぜ弁護士になりたいのか」という話になったんです。一人は、「学生中に弁護士になり、経験を積んだ後は政治家になり、日本を変えたい」と、もう一人は、在日韓国人という理由でいじめや差別を受けた背景から、「日本国籍を取得して呪縛から逃れるのではなく、外国人という立場で問題に取り組みたい」という話をしていたんです。

その話を聞いて、「俺ヤバいな」と思いました。そんな話の後では、恥ずかしくて自分のことを話せなかったんですよ。「この国のため」とか、「誰かのため」なんて考えたことがなかったんです。

結局、自分が弁護士を目指していたのは、私利私欲のためだったんですよね。それに気づいてからは、「こんなことのために生きているのかな?」と悩むようになってしまいました。きっと自分にも「使命」みたいなものがあるんじゃないかと思ったんです。

考えていくうちに、弁護士は諦めることに決め、大学に行く意味も分からなくなってしまいました。何かしないと始まらない、という危機感から政治や経済、自己啓発の本を読みあさっていましたね。「なんのために生きているのだろう?」とモヤモヤする日々でした。

ドリプラとの出会い、自分の使命だ


そんな時、その2人が政治をテーマにした学生団体を作るという話を聞き、彼らみたいになりたいという憧れから、一緒に立ち上げに参加することに決めました。

実際に団体を立ち上げてからはイベント開催等の活動を行っていたのですが、ある時、イベントに登壇していただいた経営者の方の人間性に惹かれ、思わず、「着いていかせてください」と申し出て、鞄持ちにしてもらったんです。

それから実際に鞄持ちや運転手をする中で、「夢がなく、自分のしたいことが見えていない」という相談をしたところ、「俺の師匠がやっているイベントがある」と『ドリームプラン・プレゼンテーション(ドリプラ)』という、大人が自分の夢をプレゼンするイベントに連れて行ってもらうことになったんです。

正直、よくわからないまま見に行ったのですが、いざ始まってみると、自分の親と同じくらいの歳の方が、涙をぼろぼろ流して夢を語るのを見て、自分自身、涙が止まらなかったんです。

「夢を語ること」でこんなに人に影響を与えられるんだ、ということに驚いたのと同時に、大人が夢を語るのは特別なことではなく、自分は大人を誤解していたことに気づいたんですよね。

その後、鞄持ちをしていた社長から、「人の夢を応援することを自分の夢にしてみたら?」と言われたこともあり、大阪での『ドリプラ』に、運営として携わるようになりました。

実際に設計運営に携わることで、知れば知る程のめり込んでいき、自分と同じような大学生こそ、『ドリプラ』をする意味があるんじゃないかと思うようになったんです。しかし、自分にできるか?という不安があり、自分の中に考えを押さえつけていました。

そんなある時、『ドリプラ』の実行委員長である、福島正伸氏の話を聴く機会があったのですが、その姿を見ていて、「この人どっかで見たことある気がするな」と感じたんですよね。

その後、家の片付けをしていると、自分が悩んで本を読みあさっていた時期、学生団体を立ち上げた時に、尊敬する二人から勧められて読んだ本の著者が福島氏だったんです。それは、自分にとって、すごく特別な本でした。

その瞬間、「あ、そっか。俺のやりたいことはここにあったんだ。」と全てが繋がった気がしました。学生がやりたいことを見つけ、実現していくのを支援するのが自分の使命なんだと感じたんです。

全ての人が夢を語る社会


それからは、学生版の『ドリプラ』をやろうと周りに宣言し、イベントの準備を始めました。ところが、最初の手応えは思わしくなく、3ヶ月間色々な人に語り続けたのですが、「夢を語ってどうなるの?」「誰が見に来るの?」と、仲間が集まらなかったんです。

それでも、なんとか成し遂げようと動き続け、結局1年かかりましたが、無事、イベントをやり遂げることができたんです。正直、全てイメージ通りに進んだかと言えばそうではなかったのですが、信じてやりきった結果、そのイベントを見て火がついた人の声も聞くことができ、「自分がやっていることでいいんだな」と思えるようになりました。これを、自分の生きる道筋にしたいな、と思えたんですよね。

それからは、どうやったら『ドリプラ』を仕事にできるかを考え、一番大きな世界大会を運営する本部の事務局で働きたいと思うようになりました。福島さんに直接イベントに参加させていただいたり、手紙を書いたりと関わらせていただけるようにアクションをとりつづけました。その結果、2013年4月よりドリプラ事務局に携わらせてもらえることになったんです。

実際に事務局として働き始めてからは、すごく感慨深かったですね。ステージへのキュー出しの係をやりながら、お客さんが涙を流しているのを見て、自分がやりたいと思ったことで、人にキッカケを与えられている感覚を持つことができました。

気づけば自然に涙が流れていました。自分にとってはこれ以上ない幸せで、やりたいことのど真ん中でした。

今後も、一生『ドリプラ』を続けていきたいという思いがあります。「全ての人が夢を語る社会」というミッションに向け、多くの人が、あたりまえのように夢を語り合うような文化を作りたいですね。それが、僕が見つけた使命だと思うんです。

2014.07.29

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