夢はエンジニア、今はジャーナリスト。ザータリ難民キャンプ内で伝えたいこと。

ヨルダンにあるシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」にて、キャンプ内のことを綴った雑誌の製作に携わるバラガシュさん。エンジニアの夢を戦争で絶たれた彼が、雑誌を通じて伝えたいこととは。お話を伺いました。

Mohamed Ahmed Barghash

モハメド アハメド バラガシュ|雑誌のディストリビューター
シリア生まれ。難民としてザータリで暮らす。難民キャンプ内の雑誌『The road』の編集を行う。

エンジニアになるのが夢


シリアのダーラにある、マハッジャという街で生まれました。一人っ子だったので、家族や親戚からは過保護に育てられました。何をしても悪いことをしていないか見られていて、あまり自由がなく、厳しく育てられたように思います。

小さい頃は、おとなしく勉強をしていることが多かったですね。家族とハイキングに出かけたり、友達とメールでやり取りをしたりもしていましたが、子どもの頃は我慢ばかりしていた記憶があります。

将来はエンジニアになりたいと思っていました。身の回りはテレビや携帯電話、パソコンなどテクノロジーが詰まった製品にあふれていて、それは生活にとって必要不可欠なもの。僕も、生活を便利にするようなものを作りたいと思っていたんです。

特に、スマートフォンは素晴らしい道具だと思っています。ありとあらゆる情報に即座にアクセスできるので。プログラミングなど、もっと複雑なことをする時はノートパソコンを使いますが、普段の生活はスマートフォンがあれば済んでしまいますから。

また、将来の夢を持ち始めたのには、叔父がエンジニアとして働いていた影響もありました。叔父がなれるなら、同じ血を引いている僕にもエンジニアになる才能があるだろうと、確信があったんですよね。

将来のためのに、学校での勉強はしっかりしていました。特に、高校時代に週1回あったパソコンのクラスでは、常にトップの成績でした。毎週の授業が待ち遠しかったですね。他の教科でも高得点を納めていたので、高校卒業後はエンジニアリングを学ぶ大学に入学できることが決まっていました。

そんな時に、シリア内戦が激しくなり、一時的にヨルダンに逃げることになったんです。2013年、18歳の時のことでした。

子どもに勉強をする重要性を説く


初めてヨルダンに来た時は、恐怖でいっぱいでした。知り合いもいない知らない土地で暮らすということが想像できず、本当に怖かったんです。ヨルダンに親戚がいたので、彼らに助けを求められるかとも思ったのですが、それは難しく、結局ザータリ難民キャンプに来ました。

難民キャンプでの生活は、ひどいものでした。ひたすら広がる砂漠。以前住んでいた場所は緑も多くて綺麗な場所だったので、故郷を思い出すととても悲しい気持ちでした。また、キャンプがまだ整備されていなかったので、水もないし、トイレだってどうしたら良いかわからない。お金もなかったので本当に困りました。

家も、友達も、夢も、全てをシリアに置いてきてしまった。文字通り、ゼロから新しい人生をはじめなければならない。どうしてこんなことが起こるのか、悲しみと怒りが湧き、シリアのことばかりを考えていました。

それでも、母や家族を助けなければならないので、気持ちを切り替えて仕事を探しました。ところが、難民キャンプ内では仕事がなかなか見つかりません。周りの人も仕事を探していましたが、働き口がないんです。

ただ、何もしていないと悪いことばかり考えてしまうので、状況を変えるために、難民キャンプ内で支援を行っているNGOの一つ、Save the Childrenでボランティアを始めました。Save the Childrenは、子ども向けに色々な教育的なプログラムを提供していて、僕はSave the Childrenの運営する学校までの子どもの送り迎えを担当したんです。

親によっては、子どもを学校に行かせたがらない人もいました。そんな時は、勉強をすることの大切さを必死に説くんです。難民キャンプで生活していることもあって、何もしなければただただ時間が過ぎていくだけ。勉強をちゃんとしないと、シリアに戻ってからも自分の未来を切り開けない。僕自身、シリアにいた時にしっかり勉強していたからこそ、学ぶことが大事だと確信を持って伝えることができました。最終的には、僕がその子どもたちを家まで送り届けることで、心配する親に納得してもらいました。

ストーリーを通じて希望を届けたい


しばらくして、Save The Childrenだけでなく難民キャンプで活動する他のNGOでもボランティアをするようになりました。その一つが、難民キャンプ向けの雑誌『The Road』を作るプロジェクでした。このプロジェクトは、JENというNGOがやっているもので、難民キャンプに住む人たちが中心となり、企画、取材、編集を行うもので、職業訓練的な側面も持っているものです。

これは、ザータリ難民キャンプの中で初めての雑誌で、キャンプの中でどんなことが起きているのか、どんな人が生きているのかを伝えられるものです。この雑誌を通して色々な人のストーリーを伝えることで、キャンプ内にいる人に「こんなこともできるんだ」とか「自分たちはまだ生きているんだ」とか自信を持ってもらえるのではないか。将来シリアに戻り、未来を取り戻すための活力になるのではないか。そう思い、雑誌を作るボランティアをすることにしたんです。

トレーニングを受けた後、僕もジャーナリストとして実際に企画を出したり記事を書いたりし始めました。記事のネタは、住民が持っている不満から生まれることが多いですね。

ある時、住人の人たちから、歯の治療に対する不満がいくつか寄せられました。歯の治療をしようとして病院を予約しようとしても、1ヶ月どころか、数カ月先まで予約が取れないと言われるんです。病院の予約が取れなくても、痛みは待ってくれるわけではありませんよね。

さらに、予約していた日に行っても医者は来ずに「来週にしてくれ」と言われることも多い上に、治療をしてもらったとしても、2割程度の治療しかしてもらえず、何度も通わなければならないんです。病院自体が空いていなければ仕方がないことなんですが、そうではなく、理由もなく治療をしてくれないんです。

そのことを記事にすると、大きな反響がありました。難民キャンプに住んでいる人はみんな同じ思いをしていたので、この記事に賛同してくれたんです。さらに記事があるNGOの目に留まり、歯科治療の実体が調査されることになりました。

結果として、記事に書かれていたことは全て事実だと分かり、支援団体の協力があり、歯の治療に関しては大きく改善されたんです。今では、歯の治療をしたいと思えば、連絡したその日か、もしくは次の日には完治できるほどになりました。

自分の夢を追い続ける


現在は、save the childrenで給料をもらって働きながら、『The Road』の編集チームでボランティアをしています。編集チームでは、ザータリ難民キャンプ第3区への配達のスーパーバイザーをしているので、若い子たちにレクチャーをするような仕事もしています。

スーパーバイザーをしていると、住民の人から雑誌で取り上げてほしいと感じている不満や問題について、相談を受けることも多くあります。そういった話の中から企画を練っていき、取材や調査を重ねて記事を書いています。

できれば、より多くの若い人に雑誌を読んで欲しいと思っています。記事を通して色々なことを知ってもらい、自分の可能性を見つけてもらったり、自分は何でもできるんだという自信を持ってもらいたいんです。

僕自身、自分の夢を諦める気はありません。将来、シリアに戻り、エンジニアリングの勉強をして、エンジニアになる。ゼロからのスタートかもしれませんが、そのために人生を歩み続けます。

2016.08.11

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