救われたからこそ、誰かに手を差し伸べたい。互いが手を取り団結する社会を育てていく。

フランスで、国や文化の枠組みをこえた支援活動を行う、Secours Populaire Français(SPF)でのボランティアを行うラマさん。コンゴ共和国で生まれ、ひとり移住したフランスで、孤立し助けを必要とした時にSPFの支援を受けたことをきっかけに、助けを必要とする人に手を差し伸べる活動を続けています。彼女が現在の活動に込めた想いとは。お話を伺いました。

Rama Likoumana

ラマ リコナマー|NGOボランティア・モデル
フランスの国際NGO「Secours Populaire Français(SPF)」にて、ボランティアを務める。

厳しい両親の下で過ごした子ども時代


コンゴ共和国の首都ブラザヴィルで生まれました。アフリカ大陸には、「コンゴ共和国」と「コンゴ民主共和国」という2つの国が隣接しています。もともとは「コンゴ王国」という1つの国でしたが、19世紀にフランスとベルギーの植民地となったことで2つの国に分断されました。

私の故郷のコンゴ共和国は、フランスから独立し、一方のコンゴ民主共和国はベルギーから独立しました。どちらの国も共和制国家で、フランス語を公用語としています。

私の家族は敬虔なカトリックで、両親からはとても厳しく育てられました。学校ではカトリック以外の子どもたちと遊ぶことを禁止されていて、教会や家の中で静かに過ごすことが多かったですね。そのためか自分の意見や感情を表現することが苦手で、とてもシャイな性格でした。

子どもの頃の夢は、眼科医になることでした。美しい瞳を見るのが大好きだったんです。高校生になってからも、将来は眼科医になろうと考えていました。

しかし、当時は20歳を越えてから医学を学ぶチャンスがありませんでした。私の高校の卒業年齢は20歳を過ぎてしまうため、条件を満たせなかったんです。眼科医になることは諦めるしかありませんでした。

進路はどうしようかと考えている中で、だんだんとITに関心を持つようになりました。高校を卒業してから専門学校に通い、そこでITとビジネスのスキルを学びました。しかし、ITの業界で働くには英語力が課題でした。そこで、ガーナにある大学に留学して、英語とITを学ぶことに決めました。

ガーナで初めて感じた自由


大学に通いながら、大学のITアシスタントとして働き始めました。生徒のアカウントの管理や、コンピュータシステムのトラブル対応をしました。初めての仕事で、学生の内から行政の仕事に携われたり、人に感謝されたりしたことが嬉しくて、とてもやりがいを感じていましたね。その後はIT企業のインターン、その他数社でIT関係の仕事を経験しました。

ガーナに来てから、自分の性格の変化を感じるようになりました。それまでは、両親が私のやるべきことを全て決めて、やりたいことがあっても両親の賛成がなければ挑戦できませんでした。でもガーナでは、全て自分で決めることができます。両親のコントロールから解放されて、自由に人生のプランを考えることができました。

大学を卒業してから数ヶ月間はガーナでIT関係の仕事をし、その後は故郷のコンゴに帰りました。学位も取り、フランス語と英語を話せるバイリンガルである私なら、きっと望んだ仕事につけると考えたからでした。その後、物流とバスの運行を行う会社に就職し、マーケティングマネージャーとして働きました。だんだんと行政を対象にした仕事が増えていき、仕事内容がITから行政関係へとシフトしていきました。

フランスへの移住とSPFとの出会い


しばらくコンゴで暮らしていたのですが、2015年にコンゴで暮らすことが難しい状況に追い込まれてしまい、家族と離れてひとりでフランスに移住しました。頼る人もいない状況。孤立し、これからどう生活を立て直していけばいいのか分からない。途方にくれていた時に、Secours Populaire Français(SPF)という、国や文化の枠組みをこえた支援活動を行う組織と出会いました。

私が生活で苦しい思いをしている時に、SPFは食べものや生活用品を支援してくれました。彼らは私を気にかけて、いつも私が元気にやっているか声をかけてくれたんです。家族のように寄り添ってくれることが本当に嬉しくて。彼らがサポートのおかげで、孤独を感じることはなくなりました。

国や文化を越えて、助けを必要とする人に手を差し伸べる。SPFが掲げる「団結」(solidarity)の考えは素晴らしいと思いました。彼らが私にしてくれたように、私も誰かの手助けをしたい。そんな思いから、SPFでフルタイムのボランティアをすることにしました。

食料配布などの支援活動から、子どもを対象にした国際交流キャンプやイベントの運営などに携わりました。ある時、二人の子どもをもつお母さんが、支援の申請に現れました。彼女はある事情で国から口座を凍結されてしまい、収入が得られないまま数ヶ月が経過。家賃や生活費を払うことができず、家の立ち退きを余儀なくされていました。子どもを連れたまま、どう生活を立て直せばいいのか、困り果てていました。

私が初めて食料や生活用品を届けると、彼女は目に涙を浮かべ喜んでくれて、その表情はみるみるうちに笑顔に変わっていきました。彼女が喜んでくれたことが本当に嬉しかったですね。その時見た笑顔をずっと忘れずに、支援活動を続けていこうと思いました。

助けを必要とする人々に手を差し伸べる


現在は、SPFのフルタイムボランティアスタッフとして、食料配布などの支援活動から、世界中の子どもたちが参加する国際交流キャンプやイベントの運営などしています。その他の時間では、他の団体や企業でITに関する様々な仕事、ファッションモデル、ヘアスタイリスト、そしてyoutubeの動画配信など、いろんなことをして収入を得ています。私の第一の目標は、フランスで生活の基盤を築いていくことです。

SPFでの活動はとても楽しいですね。私自身が苦しんでいたところを助けられたからこそ、助けを求める人に手を差し伸べることが、本当に素晴らしいものだと実感しているんです。また、ボランティアでありながら、プロジェクトでは大きな裁量を持ち、責任を持って取り組めるので、とてもやりがいがあります。

この活動で出会った子どもたちが、立派に成長して、社会で活躍してくれることが私の幸せです。10年か15年後くらいに、私が病院にいくと、キャンプに参加した子どもがお医者さんになっていて、キャンプの思い出を話す。いつかそんな日が来るといいなと思います。

SPFが掲げる「連帯」のスローガンのように、人が手を取り合う社会を実現するには、誰かがお手本となる人間性を示していくことが必要です。支援を受けたり、イベントに参加したりしたことをきっかけに、お互いを思いやる気持ちを持った立派な人間となって社会に「連帯」の価値を広めていってほしいです。それが、ここに来る子どもみんなに願っていることです。

私たちの活動がやがて社会全体に広がるように、これからも助けを必要とする人々に手を差し伸べ続けていきたいですね。

2017.07.29

インタビュー・編集 | 島田 龍男
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