三重県津市に生まれました。県庁所在地ですが、一本通りを外れると人のいない田舎です。私の家も田んぼに囲まれていました。

小学校まで地元の学校に通って、中学からは叔父が紹介してくれた岐阜県にある全寮制の中高一貫校に進みました。先に入学した姉が楽しそうだったのと、地元の田んぼ道を自転車で通学したくない、というのが入学理由でしたね(笑)。

学校は山奥にあり、おだやかな寮生活でした。朝の体操から始まり、みんなで食堂で食事をして夜は洗濯や掃除をして、友達と楽しく暮らしていました。

小さい頃から英語が好きで、中学3年でニュージーランドに、高校1年でアメリカに行きました。研修先では、現地の人みんなが明るく接してくれて、毎日とにかく楽しかったですね。海外に関わる仕事をしたいと思うようになりました。留学ができるように、高校卒業後は、千葉にある大学の外国語学部に進学しました。

大学1年の時、ファッション雑誌の「働く女性の一日」という記事を見て、映画配給会社のパブリシストという仕事を知りました。海外の映画の買い付けや、日本での宣伝をする仕事で、映画の素材を編集や、打ち合わせをする素敵な女性の姿を見て、理想の仕事だと思いましたね。映画は好きでしたし、海外と仕事ができるので、すぐに「これになろう」と決めました。

英語や海外文化を学ぶために、大学2年の時にスコットランドに留学しました。半年間、イギリスの文化を学び、色んな所に旅行しました。日本語と英語を教え合うスピーチパートナーの学生と仲良くなりましたね。

帰国後の就職活動では、映画配給会社に、手当たり次第書類を送りました。採用窓口がない会社にも、一般の問い合わせ窓口から履歴書を送りました。

しかし、連絡が返ってこなかったり、面接で落ちたりして、かなり早いタイミングで映画配給会社への就職活動が終わってしまいました。現実の厳しさを知りましたね。「掃除の仕事でもいいから入りたい」と書いてもダメだったんです。

その後、母の知人から東京の映像制作会社を紹介されました。テレビ番組のADを探しているという話で、「映像に関わる仕事だから、元々志望していた映画業界に近いかもしれない」と感じ、契約社員として就職しました。海外というテーマは意識から薄れていき、とにかく就職することを優先した現実的な選択でしたね。