マザーテレサのように、社会のために生きる。生かされている僕の命を注ぐ場所。
ウクレレ歌手として全国を自転車やヒッチハイクで旅する八桁さん。「日本のマザーテレサ」を目指す現在に至るまでには、ある一冊の本との出会いがありました。社会のために命を使い、カンボジア支援やウクレレ歌手をする、そんな八桁さんのお話を伺いました。
八桁 圭佑
はけた けいすけ|ウクレレ歌手
ウクレレ歌手として日本中を旅しながら、カンボジアへの支援活動など、様々なことに取り組む。
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復習の裏にある本心
神奈川県の青葉台という町で生まれ育ちました。小さな頃からひねくれた性格で、周りの人を「子どもだな」と思っていたし、地元をダサいと思い、早くこの町を出たいと考えていました。
そんな性格だったからか、中学校では所属していたサッカー部の一部の人たちからいじめられるようになってしまったんです。練習中にパスは回ってこないし、仲間外れにされるし、こんな状況が一生続くんじゃないかと苦しくて、命を絶とうとしたこともありました。
そんな背景から、卒業後は東京の高校に進み、部活にも入らず勉強もせず、なんとなく過ごしていました。しかし、3年生の頃から、地獄のような日々が始まりました。仲の良かった友だちが3人も立て続けに亡くなり、さらに親しい人が事件に巻き込まれてしまい、僕の心は現実をどう受け取って良いのか分からず、復讐に取り憑かれてしまったんです。
その事件後は、加害者を見つけて復讐することしか頭になく、道行く人を疑い、大学に行っても友だちはできませんでした。しかし、そんな生活を2年以上も続けると、心だけではなく身体も蝕まれてしまい、肺を壊して入院することになりました。
さらに彼女にもフラレてしまい、身も心もボロボロで人生で2度目の自殺を考えても死にきれない、そんな時に、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の本が押入れから出てきました。読み進めると、突然涙が止まらなくなってしまったんです。「僕はあの人の幸いのためなら、あの赤い炎に何べんだって焼かれてかまわない」そんな一節がありました。復讐に取り憑かれているけど、僕も本当はこんな生き方をしたかったんです。
今からでも変われるかもしれない。生かされている意味があるのかもしれない。それならば、人のためになることをしようと決めたんです。
人を愛し、愛されること
その言葉、この思いを忘れないために、次の日から大学ノートに『銀河鉄道の夜』の一節をひたすら書いたり、歌を作ったり、歌詞を書いたりし始めました。また、図書館にこもるようになり、マザーテレサやガンジーと出会ったんです。彼らは実在した人として、社会貢献のために命を捧げたことに感銘を受けるとともに、自分自身、同じくらい世の中のために命を使いたいと思ったんです。
自分がこの世を去った後に、「あの人は日本のマザーテレサのような人間だったな」とつぶやかれたいという夢が決まりました。また、そのために生きている間は社会貢献をし続けたいと考え、将来、発展途上国で村をつくることに決めました。孤児院やゲストハウスなどが併設され、自給自足の環境があり、すべて現地の人が運営でき、エンターテイメントの要素もある、そんな村のイメージが漠然と頭に浮かんだんです。その夢を実現するために、まずは影響力、人脈、資金力をつけるために行動していくことに決めました。
その後、「幸せ」に関する卒業論文を書くために、日本中ヒッチハイクでまわり、出会った人の「幸せの定義」を聞いていきました。その延長でカンボジアにも行った時に、ゴミ山の中で貧しい生活する少女に出会いました。その子に、「君は今幸せ?」と聞くと、満面の笑顔で、「私が頑張ればお母さんや赤ちゃんが喜んでくれるから、幸せ!」と言うんです。涙が止まりませんでしたね。
人を愛し、愛されること。幸せは誰の手の中にもあること。この旅では色々なことを気づかせてもらいました。
大切なメッセージを乗せる歌
卒業後は沖縄にある「ネイチャービレッジ」で働かせてもらうことにしました。そこではテントで暮らしながら、飲食店やバーでの仕事をメインに、畑を耕したり大工をしたりと、いかにコミュニティを形成するのかを学ぶことができました。
また、元々ギターには何度も挫折していたところ、たまたま働いているBARに置いてあったウクレレを始めました。音が綺麗で、小さくて持ち運びやすいし、ギターより弾きやすく、僕にぴったりだと思ったんです。また、ハワイの伝統的な音楽は、歌に大切なメセージを乗せていて、そんな音楽に使われるところも自分に合うと感じました。
2年ほどでコミュニティビレッジは辞め、「ヒッチハイクでどこにでも出張するバーテンダー」として働き始めました。沖縄で親しくなった人などに呼ばれて各地に行く、そんな生活を半年くらい続けた後は、カンボジアでの学校建設プロジェクトに参加することにしました。
元々、大学生の時にも学校建設プロジェクトに関わったものの、その時はイベントでお金を集めた後のことを知ることができなかったので、どうやってお金が使われて学校が建てられていくのか、知りたいと思っていたんです。そんな時に、SNSでこのプロジェクトを知り、すぐに北海道まで発起人に会いに行き、参加を決めたんです。
ただ、東日本大震災が起きて半年程の時期だったので、寄付を募ろうとしても多くの批判も浴びせられました。しかし、「日本のことは俺たちに任せて、カンボジアに行って来い」と背中を押してもらえることもあり、プロジェクトを実行する決断ができました。
ビギナーズラック
カンボジア行きを1ヵ月後に控えてアルバイトでお金を稼いでいる時、プロのウクレレ歌手としての道が始まりました。なんと、バーテンダーの女性に恋をしてしまい、仕事を聞かれて、とっさに「プロのウクレレ歌手です」と言ってしまったんです。(笑)「全国どこでも演奏するので、いつでも呼んでください」と話していたら、1週間ほどして急遽イベントに出てくれないかと連絡が来てしまって。もう嘘だなんて言えないので、それからバイトも辞め練習し、そのイベントに出ることにしたんです。
すると、なんと運がよいことに7万円も投げ銭をもらえたんです。この時から僕はプロのウクレレ歌手として、お金を稼げるようになったんです。
カンボジアに渡ってからは、学校づくりの基礎工事から携わりつつ、3ヵ月後にようやく学校が建ち、子どもたちが通い始めた瞬間は感動しましたね。
次の年、遊具建設のために村を訪れると学校に通ってくる子どもたちの数が少しずつ減ってることに気がつきました。その村には仕事が無いので、みんなタイなどに出稼ぎに行ってしまっていたんです。それもパスポートなんて取らずに密入国で行くので、命がけでした。その状況に疑問がないのか村の人に聞くと、やっぱり家族とは離れたくないし、子どもは勉強したいと言っているんです。
そこで、この村の人が地元で稼げるように、産業をつくることを決めたんです。現地にある実を使えば和紙をつくることができると考え、他のメンバーが日本で和紙をつくる技術を修行して、将来的に作業所をつくるために動き始めました。
答えられない質問
その後、東南アジアを旅したり、日本ではウクレレ歌手として、様々な場所で出会った人から依頼をもらって色々な場所で演奏させてもらうようになりました。ただ、もっと影響力をつけるために、2012年の目標はCDデビューすることに決め、タレント事務所のオーディションを受けることにしました。インパクト重視で、履歴書に加えてL2サイズの顔写真を送ったら、「社会をなめている」とオーディション自体は落ちるものの、事務所の社長の目に止まり、紆余曲折ありつつ、CDを出せることになったんです。
CDの企画会議をしている時に、「何枚出したい?」と聞かれて「1000枚!」と答えると、そんなの売れているアーティストでも1年近くかかるし、「君じゃ無理だ」と言われてしまったんです。それに反発した僕は、「3ヶ月間手売りで1000枚売るから、CDを刷ってくれ」と豪語し、ヒッチハイクをしながら各地でライブをすることにしました。
実際に、3ヶ月で818枚、4ヶ月目には1000枚売り切ることができたんです。これを機に、事務所に所属せずフリーで活動することにしました。また、そのCDの売上も使い、2014年3月に、カンボジアに構想していた和紙づくりの作業所を建てることができました。
しかし、そこで旅人に「あなたの地元の良さって何?」と聞かれた時に、答えることができませんでした。それ以外のことは自分の中に答えがあるのに、小さい頃から外へ外へと目を向けていたら、気づけば実家の隣に住む人のことさえも分からない状況になってしまっていたんです。
そこで、改めて自分にとって地元とは何か考え、全国の人が感じる「地元の良さ」を聞いてまわる意味を込めて、2014年7月から半年かけて、日本全国47都道府県でライブツアーを始めることにしました。また、今度はヒッチハイクではなく自分の身体を使おうと思い、自転車メーカーもスポンサーについてくれて、自転車で旅をスタートしたんです。
あなたの地元の良さって何?
全国をまわる中で見つけた「地元」に貢献することが、2015年の目標の1つです。
各地で地元の良さを聞くと、その答えは「人」「食」「自然」のどれかに集約されていたんです。この3つがあり、帰れる場所こそが地元なんだと。
だからこそ、僕の地元である青葉台を知り、盛り上げていくための活動を始めます。具体的には、地元の人が集まるレンタルスペースとシェアハウスが併設したような施設をつくりたいと考えています。
そこは地元に住む人たちが作業したり、簡単なイベントを開いたり、仕事をする場所にして欲しいと考えていて、そこで旅人と地元の人の出会いをつくりたいんです。また、畑で野菜をつくり、みんなで野外バーベキューなんかも開催することで、人と食と自然、この全てをつないでいけると思うんです。他にも地元の美味しいいバーやレストランを見つけるための企画なんかも考えています。
また、個人的な目標として、ウクレレ歌手としてのメジャーデビューも掲げています。将来の夢を達成するためにはもっと影響力をつけなきゃいけないんです。
そうやって色々な活動をしながら、自分自身に影響力、人脈、資金力を身につけていき、村づくりを実現させたいです。そして、より多くの人の幸せに貢献するために、この命を使っていけたらと思います。
2014.12.16