目的意識を持って「食べる」社会に。次世代に受け継ぎたい、私の魂。

「天然出汁」を使い、無添加で美味しい食事を提供する株式会社Smileyと、ソフトウェア開発会社AIVICKの二社を経営する矢津田さん。結婚しても仕事を続けるために「手に職をつけたい」と考え助産師を目指した20代前半とは一転、プログラマー、経営者の道を歩むにはどんな背景があったのか。お話を伺いました。

矢津田 智子

やつだ ともこ|健康で美味しい食を届ける
株式会社AIVICK、株式会社smileyの代表取締役を務める。

自分で目標を決めたら頑張れる


私は福岡県飯塚市で生まれました。両親は仕事好きで家にいないことも多く、私は祖母の元によくいました。私は大変なひねくれ者で、負けん気の強い祖母には、妹の世話を怠けたり手伝いをさぼったりして、叱られてばかりいました。でも、私の曲がっていた根性をたたき直し、人として大事なことをきちんと教えくれたことに心から感謝できるようになりました。

小学3年生の時に水泳教室に通い始め、中学校ではバスケ部に入りながらも、水泳も続けました。最初は、好きな男の子と一緒に泳げることが嬉しかったからでした。小学校の頃からずっとお世話になっていたコーチの純粋で熱心な指導により、結果が出はじめると水泳自体楽しくなり、次第にのめりこんでいきました。

そのコーチから「今のうちから筋トレして筋力をつけろ」と言われてからは、その日のうちに、父に「今度の14歳の誕生日はバーベルとダンベルとベンチのセットを買って!」と『週間少年ジャンプ』の背表紙の広告を見せるほどでした。また、「水泳部のコーチをしているから、うちの高校に来い。おまえは国体に出る才能がある。」と、期待もしてもらっていました。

しかし、その高校に進学を果たし、ある程度の結果を出すと調子に乗ってしまい、すぐに結果は出なくなりました。そこから「何のために水泳をしているのか」考え続け、「熱心に指導してくれるコーチの期待に応え、一緒に水泳に打ち込む仲間と共に喜びを分かち合いたい!」という答えを得ました。

それから目標を設定し直し、自発的に練習するようになると、また成長するようになり、インターハイや国体にも出場することができました。一方、勉強は全くしていなかったので、卒業後は浪人することになりました。大学に行って、今までのコーチに水泳を教えてもらいたいと思っていたんです。

しかし、それは叶わないことが分かりました。大学には別の水泳部のコーチがすでにいるだろうって。その事実を知り、私は水泳をやめることにしました。自分が水泳をがんばっていた理由は、「仲間たちと共にコーチの期待の応えたい」。それがなければ、続ける意味がないと思ったんです。

それからは、勉強に集中するようになり、京都にある立命館大学に進学しました。大学に入ってからは、アルバイトと遊びに没頭する日々で、学校にはあまり行きませんでしたね。ただ、将来は結婚し家庭を持っても続けられるような手に職をつけたいと考えていました。

そこで、助産師になろうと考え、看護学科のある大学に入り直すことに決めました。そのため、大学卒業後は就職せずに、アルバイトをしてお金を貯めつつ、受験勉強をするようになったんです。

人生の目標を失ってしまう


しかし、大学時代の遊び癖は抜けず、3年連続で不合格になりました。当初から3年で結果を出すと決めていたので、助産師は諦め、他の道を探すことにしました。

そして、就職情報誌を見ながら、どんな仕事があるのか調べていくと、「システムエンジニア」の項目に惹かれました。給料も悪くないし、横文字でカッコいい。何より、手に職をつけられそうだと感じたんです。

すると、運良く、プログラミング未経験で、パソコンすら持っていない私を雇ってくれる会社があり、プログラマーとしてのスタートを切ることができました。3年ほどは昼も夜も休日も返上してプログラミングに打ち込む日々でした。

しかし、「時代はインターネットだ!」との思いから、情報が集まる東京に出る必要を感じ、上京することにしました。それからは、エンジニアの派遣会社に登録して実績を積み、その後、フリーランスで働きました。それまでと比べ給料はかなり良く、お金はどんどん貯まりました。その分、好き放題遊んでいました。

すると、遠距離恋愛中だった彼に愛想を尽かされ、フラれてしまったんです。結婚も考えていたので、大変なショックでした。相手の気持ちを少しも考えられず、結局自分のことしか考えていない、自分の身勝手さや馬鹿さ加減に気づき、自分がもの凄く嫌になりました。

さらに、そのショックで体中に炎症が出るようになり、仕事もできず、入退院を繰り返すようになってしまいました。見かねた親には、実家に帰ってくるように言われました。

しかし、地元に帰ってしまったら、夢ができても二度と追いかけられない。そう思っていたので、その選択はしたくありませんでした。しかし、もう一度人生を作り直したい。今の自分を作った原因は自分にあるので、この生活は変えようと思い、京都に戻ることにしました。

「面白いことをしよう」と起業することに


京都に戻ってからは、Sierで働き始めました。ただ、数カ月ごとに社長は変わるようなバタバタした環境でした。そこで、会社が買収されることになったのを期に、一緒に働いていたメンバーと、「もっと面白いことをしよう!」と、会社を立ち上げることにしたんです。

そして、2005年、エンジニア6人でシステム開発会社AIVICK(アイヴィック)を創業しました。開業資金を集めるため、友達や親戚にお金を貸して欲しいと頼みに行く時は、「お金を借りたい」という言葉が重く、中々言い出せませんでした。この時に覚悟が決まりましたね。

メンバーは私よりも優秀なエンジニアだったので、私が営業をすることになりました。初めての営業はとても苦労しましたが、次第にコツも掴み、業績は順調に拡大していきました。京都だけでなく東京にもオフィスを出し、人もどんどん増えました。

しかし、リーマンショックが起き、事業は大きく傾いてしまいました。ひとつの事業を閉じ、東京からも撤退。いつもは派遣先にいたエンジニアも仕事がなく社内に戻ってきて、今後どうしていくか、みんなで考えるようになりました。

ただ、経営状態が悪くなった原因は、リーマンショックによる外的要因だけではなく、自分自身にありました。私が経営者として無知すぎるし、「何のために会社をやるのか」考えきれていなかったんです。

そこで、自分自身が変わるために、これまでやめられなかったことをやめ、怖くて挑戦できなかったことに取り組むと決めました。

そのひとつが、ずっと苦手意識を持っていた海外への挑戦でした。英語はできないものの、企画書を持ちNY、シカゴ、シリコンバレーを回って「パワーブレックファスト」に行き、事業のブラッシュアップをしていきました。

すると、チャレンジを続けることで、水を得た魚のように活力を取り戻すことができ、シリコンバレーで学生ビザを取って家も構え、長期で滞在できるようにしました。また縁あって、企業家のための経営塾である「盛和塾」にも入りました。自分のあり方や内面の心の動きを見つめ、自分の軸を明確にしていくと、不思議と会社の状況も良くなっていきました。

人間にとって大事な「食」の事業


日本とアメリカを行き来する中で、私が受けた一番大きなカルチャーショックは、食文化の違いでした。アメリカでは、富裕層向けの健康的な食品を扱うオーガニックスーパー、価格は安いけれど健康的ではない食品を扱うスーパー、価格も品質もその中間のスーパーがあり、自分のライフスタイルによって食べるものを選べたんです。日本では馴染みのない文化でした。

また、以前、社員の食生活を知ってから、「食」に関しては心に引っかかっていました。みんなカップ麺やコンビニ弁当ばかり食べていて、このままではまずいなと思っているうちに、若くして生活習慣病を発症するものも出てきたのです。

食は人間にとって非常に重要なこと。しかし、日本では多くの人が目を向けていないものでもある。そう考えた時、食に本気で取り組みたいと感じるようになり、2012年、Smileyを創業して、食と健康に関わる事業を行うことに決めました。

そして、まずは、農家や養豚場、食品加工場などに足を運び、実際に何が行われているのか自分の目で見ることにしました。有機野菜と一口に言っても、土のつくり方によって、味も品質も大きく変わること。微生物や昆虫と共生して美味しい作物を育てる方法があることなど、様々学びつつ、「あるべき食」とは何か、少しずつ見えてきました。

また、特に働いている人に、栄養価があり美味しいものを食べてもらいたいと考えるようになりました。子ども向けの食育は盛んになりつつありますが、大人向けには正しい知識を学ぶ場も少ない。そこで、まずは家族の要である働く人の食と健康から改善したいと思ったんです。

そして、栄養バランスを考えたお弁当を職場に届ける「Office Cafe」を始めると決めました。京都府の助成金をいただき、自社の工場を作り、栄養や食に詳しい人を巻き込み、準備を進めていきました。そして、2014年9月より正式に事業をスタートしました。

「次世代」へとバトンをつなぐ


Office Cafeのお弁当は、化学調味料は一切使わず、京料理で培われた出汁を使うことで、無添加で美味しい料理を実現しています。また、作りたてをそのままパッキングした「チルド製法」を用いているので、数日間は味も鮮度も保つことがきます。

私たちは、それぞれの人が「目的に沿って食事をする」習慣を作りたいと考えています。アスリート、ビジネスマン、主婦、人によって目指したい身体は違うし、摂るべき栄養も変わってきます。自分の目的によって、何を食べるのか選べるようにしたいんです。

そのためには、どの栄養素がどんな効果をもたらすのかを知る必要があります。そこで、今後はそれぞれの食べ物や栄養素が体にもたらす効果「食べ物の力」を、しっかりとデータを取り、多くの人に伝えたいと考えています。同じ作物でも、作られ方や産地によって、栄養成分は大きく異なります。そういったものも、エビデンスを残して、どんな作り方をするとどういった成分が生まれるかもデータを溜めていきたいですね。

また、最近では、企業向けの弁当事業から発展して、実店舗での販売や通販も始めました。今後は、健康をトータルサポートできる地域づくりもしたいと考えています。

今、世の中の流れは、人間が全てのことをコントロールする管理社会に向かう流れと、様々な生物と共に生きる、共生社会に向かう流れに二分されていると感じます。2045年には人工知能が人間の脳を超え、寿命や運命すら自由に操れるようになるという話を聞いた時、正直、幸せな世界だとは感じられませんでした。私にとっては、みんなで生きることが幸せで、共生社会を目指したいんだと。

そのためには、この社会で人間が引き起こしてしまった「ひずみ」を解消する必要があると考えているので、ひずみを解決できるような仕組みを、ひとつでも多く作っていきたいですね。それが私にとって魂が震えることで、人生を通して取り組んでいくことなんだと思います。

私は、これまで多くの人に出会い、その人たちの魂を受け継いで生きてきました。それを、次の世代にも繋げていけるような生き方をしたいですね。

2015.10.12

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