世の中に冒険野郎を増やしたい!1人ひとりが自分の人生を生きるということ。

「冒険野郎を日本に増やす」ことを目指して、『ADVENTURE KING』というフリーマガジンの編集長を務める山本さん。興味があることを片っぱしから試し、人生の目標をみつけようともがいていた学生時代から現在に至る背景には、幼い頃からの母の教育スタイルと、働く中で感じたある思いがありました。

山本 真紀子

やまもと まきこ|「冒険」をテーマにしたフリーマガジン編集長
「人生を冒険する」ことをテーマにしたフリーマガジン『ADVENTURE KING』の編集長を務める。

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あなた自身がブランドになればいいのよ


私は本籍が長崎で、生まれてから少しだけ広島で過ごし、その後埼玉で生活していました。

母がクリスチャンで、私自身カトリックの教育を受けたこともあり、しっかりとした道徳の規範の下で育てられていました。ほとんどテレビを見せてもらえなかったため、本をひたすら読むようになり、家中の本を読み尽くしてしまったら洗剤のラベルなども読み漁るほど活字好きで、自然と小学生の時から小説を書き始めていましたね。

母はモノに対するこだわりが強く、衣食住はもちろん音楽や絵画などのアートなども常に”良いモノ”を見せてくれていました。例えば、洋服はアクリルやナイロンなどの化学繊維を使ったものではなく、コットンやカシミヤ等の天然素材にこだわり、また、クラシックな色味とデザインが好きな母は、「どうして日本にはあまりこういうデザインはないのかしら」と言いながら、納得のいくものを手作りしてくれました。それを身に着けて学校にいっていた私はみんなの服を羨ましく思い、ある時、「小学校で流行っているから」とネオンカラーが特徴的なスポーティーなブランドの服をおねだりしました。

そんな私に母は一言。「あなた自身が個性をもって”ブランド”になればいいの。だからみんなと同じブランドを着る必要は全くないのよ」

その母の言葉は私にとって強烈で、それ以降、流行りものをねだることはなくなりましたね。母は、ブランドに自分をあわせるのではなく、「自分」を知り、似合う色やデザインを見る目をもつということを教えてくれていたんです。

また、クリスチャンだからか、チャリティに熱心な環境に育った関係で、物心ついた頃から、困っている人を助けたいという想いがしっかりと自分の中にあったように思います。幼稚園生の時に、高熱でうなされながら「アフリカの子供を助けたい」と言ったり、アフリカの人に水が行き渡るように、家の中では家族にも口うるさく「お水を大切にしなさい」って蛇口を締めて回っていましたね。(笑)”無駄に流れるひとしずく”を見るとすごく心が痛んだんです。

そんな折、中学2年生くらいの頃に北朝鮮のテポドンが日本に打たれるかもしれない状況になったんですけど、その時の日本政府の対応にすごくもどかしさと不安を感じたんです。「こんな人たちに日本を任せておけない、誰もやらないなら私がやるしかない!」ってここでもまた正義感が働いちゃって。いずれ私が防衛庁長官になってやろうと考えるようになったんです。

そこで、中学を卒業したら自衛隊に入隊して、たたき上げで長官を目指すことを誓ったのですが、母親から「それではあまりに時間がかかりすぎるから、高校を出て防衛大学に行ったら?」と言われ、とりあえず地元の高校に進学することにしました。

初めての挫折


高校入学後は、防衛庁長官という将来の目標のためにボート部に入部し、歩くと足の筋肉が盛り上がるほどに、とにかく朝から晩までトレーニングをして体を鍛えまくっていました。

ところが、あまりにハードなトレーニングをしていたため、椎間板ヘルニアを2ヶ所も発症してしまい、防衛大学を諦めなければならなくなってしまったんです。防衛大学に入ることしか考えていなかった4年間、その夢が断たれてしまったことで全てを失ったような絶望感に襲われました。生活の全てを「肉体を鍛える」ことに注ぎ込んでいたので、気がつけば成績も最悪、周りのみんなが受験勉強をしているのに私は高校1年の内容も全く分からないほどおいていかれていたんです。

そうなると、当然学校は楽しくなく、高校に行くふりをして公園でボーッとしていたり、反逆心からか(笑)、髪を金髪に染めたり、夜の大宮を徘徊したりと、少し道を外れていきました。

するとそんな様子に見かねたのか、進学校に通っている彼氏にまで愛想をつかされてしまったのです。彼に対しては初恋と言っていいほどに純粋な気持ちを持っていたので、相当ショックでしたね。しばらくはさらに学校にいかなくなり、泣き暮らしていましたが、「やっぱり彼にまた会いたい。もう一度認めてもらい」という考えにいたったんです。

私には性格上、ゼロかイチか、白か黒かという極端な部分があったので、思い立った日から髪を黒に戻し、制服を買い直して長い丈のスカートを履き、まずは生活習慣を正すことからはじめました。そして最終的には早稲田大学の商学部に進学することにしました。

大学にこだわったのは、彼に認められたいという思いと共に、いい大学に行けば面白い人に出会って人生が変わるかもしれないと、心のどこかで大学というものに期待をしていた部分があったんです。

ところが、いざ大学に入学してみると、皆どこか浮足立っていて、入学式のために学内に入った瞬間、なぜか「つまらない」と感じてしまい、結局入学式さえも出ずに帰ってしまいました。その後も興味のある授業しか受けず、大学から足が遠のく日々。サークルにも入らず、バイトもしていなかったので当然友だちもいませんでした。唯一していたことは「過去の思い出に浸ること」で、好きだった人との思い出の場所にばかり通っていました。(笑)

すると、気づいたら携帯電話が止まってしまい、銀行にいったら貯金残高もゼロ。学校に行かずに思い出の場所でボーットしていることがバレちゃいそうだったから、親に言うこともためらわれました。これは自分でなんとかしないといけないって、初めて社会にでた気分でしたね。「生きるってこういうことなんだ」って気がついた鮮烈な瞬間でした。そして、とにかくお金を稼がなきゃと思い、求人情報誌を手に取ったんです。

将来起業するために


それからは、とにかく「お金」に執着し、給料で仕事を選び様々なことを経験したのですが、どれもすぐに飽きてしまい長続きはしませんでした。興味がない仕事内容だと、そこに時間をかけるのがすごく無駄な気がしてしまうんです。だから例えば体調が少しでも悪いとすぐに休むし、恋人に「今すぐ会いたい」って言われたら、バイトをドタキャンしてまで会いにいっちゃう自分がいて。

私にとっての「労働」とはお金以上の”何か”を得ることができないと続かないんだなって、その時に気がついたんです。その後「じゃぁ私は何をしたいんだ?」と自分をどんどん掘り下げてみました。

その結論が「表現をすること」でした。幼い頃から時間を忘れて取り組めたことって、文章やデザインだったんです。そして、音楽も好きだったので、音楽系やファッション系の雑誌社の求人を探したんですがどこもバイトを募集していなかったので、代表電話に直電したり、直筆のラブレターを送ったりしました。しかし、当然そんなの受け付けてもらえなくて。(笑)

唯一知人の紹介で拾ってもらえた編集プロダクションで、大学生向けフリーマガジンの営業バイトとして働かせてもらえることになりました。そのマガジンは「FREEなファッション誌」というコンセプトで関東15万部も刷っていたんです。本当は1行でも書かせてもらえたら幸せだったんですが、執筆担当の方はベテランの社会人ばかりで、執筆するためには営業で圧倒的な成果を出して認めてもらうしかないと思い、大学の授業の合間も使い、毎日100件以上営業電話をかけ、アポを取り付けていましたね。

情熱が実ったのか、結果的に認めてもらえ、1年ほど経った頃から徐々に書かせてもらえるようになったのですが、しばらくすると会社の資金繰りが苦しくなっていき、社長が飛んでしまったんです。

そこで紙媒体の将来に不安を感じ、同時にWEBを学ぶ必要性を痛烈に感じました。そしてリアルとWEBの両軸で情報発信を行うクロスメディア事業を行う企業でインターンできることになり、その後すぐに社内ベンチャーの立ち上げに関われることになりました。

しかし、なかなかその事業が進まず、「資金不足」が主な原因だと感じ、「ビジネスを立ち上げるには資金を学ぶ必要がある」そう思ったんですね。また、その時から、「将来は自分でビジネスをしていきたい」と自然に考えるようになりました。そして、必要な知識を学びながら中小企業に関してより深く知るために、大学卒業後はみずほ銀行に総合職で入社しました。

生きづらさを感じている人たちへの思い


入社後は、研修で書類の見方や会社の価値の付け方など、お金についてみっちり学びながら、宝くじ売り場の呼び込み業務や、下請けの方と一緒に融資先を周ることなどを経験しました。

新人研修後は営業部に配属され、地元の方々との交流が増えました。私は日本橋の問屋街の担当で、取引先の和紙屋さんの「日本文化を将来に伝えたい」という考えに共感して、さまざまなアイデアを持っては、よくそこの若旦那と意見を交わしていましたね。学べることも多くやりがいを感じる素晴らしい職場でした。

そこでは、ふと自分の夢を忘れそうになりました。しかし、「私にしかできないクリエイティブな仕事をして人を笑顔にしたい」という思いと、「銀行員の私」を天秤にかけた時、銀行員は私じゃなくてもできるって思っちゃったんですね。ですから、入社して丁度一年、2008年の3月末に銀行を辞め、それから急ぎ株式登記をすすめ、4月10日には株式会社JunoJapanを立ち上げました。

新会社で掲げたメイン事業は子育てをしながら働くことをサポートするなど、女性向けサービスの提供でした。私には2人の兄がいるのですが、幼い頃から「女の子だから・・・」という理由で、私だけ門限が厳しく、身だしなみには気を遣うよう言われてきました。また、銀行で実際に働いてみて、女性が働きづらさや生きづらさを感じている様子を、色々な場面で目の当たりにしたんですよね。

でも、俗にいうフェミニスト的な動きではなく、もっとゴージャスに、自由で華やかなに女性を支援して行きたかったんです。そこで、ファッションやコスメ、女性向け商品のPRや恋愛本を書いたり、スターダストという芸能プロダクションと一緒に女性向けTV番組立ち上げのプロデューサーをしたりと、ジャンル問わず「女性」に関わることは全てやっていましたね。

その流れである大企業のファッション新規事業立ち上げに際して、コンサルタントとして関わることになったんです。そこで実感したのが働きづらさや生きづらさを感じているのは女性だけではないということ。そこでは家族を背負っているお父さん世代の人と関わることが多く、色々な話をする中で、彼らはもの凄いプレッシャーを感じ、中には自分の夢を諦めてまで家族に人生を捧げていることを知りました。

そんな人たちを見て、尊敬の気持ちを持つとともに、もっと自分の人生を冒険してもいいんじゃないかなと思ったんです。そのために家族をないがしろにする、とかじゃなくて、両方とも欲張って欲しい!と。

そして、人生への冒険はいつ始めても遅くはないけど、早ければ早い方がやっぱりいいし、学生時代に気づいて行動すれば、”両成敗“できる可能性も高まるんじゃないかって思ったんです。

特に、学生にはもっとエネルギーをもってやりたいと思ったこと全てに無鉄砲にチャレンジして欲しいっていう思いも前々から持っていたので、2012年の末に『ADVENTURE KING』というフリーマガジンを創刊しました。

自分の人生を冒険するということ


創刊当初は、実は別件でとあるファッション系の仕事でパリに移り住むつもりだったので、私は初版だけ担当して、後は学生に任せてすぐにパリに行くつもりでした。

でも、そのことをマガジンのメインスポンサーの方にお話ししたら、「冒険野郎の編集長が冒険しなくてどうするの?」と言われてしまったんです。そこで、私自身が自分の人生を冒険するためにパリのお話を断り、現在は『ADVENTURE KING』の編集長として、学生に限らず若者の人向けに「自分の人生を冒険することの大切さ」を伝えています。

マガシンを発行する過程で、今まで世界中の様々な方にお会いしてきたのですが、日本人は愛国心が他国に比べて低いのでは?と感じていました。でも私は、自分のDNAが生まれた国だからこそ、日本に対して愛国心を持つべきだし、もっとプライドを感じてほしいと思っているので、このマガジンを通じて、人生への冒険心とともに日本人であることへの誇りを持ってもらいたいですね。

今はまだ、ただのフリーマガジンですが、今後の大きな目標として、いずれはスポンサーの方たちに協力していただき、「冒険野郎を支援するためのファンド」を作りたいと考えています。

以前、ジャマイカに行った際に、いかだ下りで出会った人が、突然ヤシの実のカービングを見せてきて、「俺はいずれ、世界的に有名なヤシの実のカービングアーティストになる!」と熱い思いを伝えてくれたのですが、そこで「どうやって?」と思ってしまったんです。でも、そのように自分の売り方を知らない方がまだまだ沢山いると思うので、世界中の素敵な方を世の中に発信するための支援をしてきたいですね。

また、いつか小説を書きたいとも思っています。

小学校の頃から様々な小説を読み、自分自身でも小説を書いてきていました。その際、色々な著名な小説家の方の文章を体得して、それらのエッセンスを織り交ぜた、誰にも負けない文章で本格的に小説を書こうと思っていたのですが、ある時三島由紀夫の『潮騒』を読んで、この人の文章は絶対真似できないし敵わないと思い、同時にその間には絶対的な感性や人生経験の違いがあると感じました。なので、これから沢山の経験を積んで、そのすべてを詰め込んだ小説を死ぬまでに一冊書くことが、最終的な私の夢ですね。

2014.12.10

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