革命家への憧れが原点。最短・最大効果で100年後も住める地球に。
環境改善の仕組みを内包した生活消費財の製造販売を行う阪口さん。使えば使うほど、原材料の産地であるカンボジアの森が育つという仕組みを構築しています。元々、ヘアエクステンションを日本に広めた第一人者として美容業界に従事していましたが、お子さんが生まれたことで生活が一変します。環境保全と事業発展を両立するアイデアと実行力の源とは。お話を伺いました。
阪口 竜也
さかぐち たつや|環境保全と経済発展が共在する仕組み作り
『みんなでみらいを』を運営するフロムファーイースト株式会社の代表取締役を務める。
みんなでみらいを
反体制音楽との出会い
大阪府堺市で生まれました。父は公務員、母は専業主婦で、弟が一人います。自然豊かな田舎の村で育ちました。
音楽が好きで、中学校の時、周りの影響でセックスピストルズを聞き始め、パンク音楽に目覚めました。聴いているうちに、パンクが歌う反体制的な思想に憧れてどんどん好きになりました。高校は商業高校に通い、自分でもバンドを始めました。
ある日、友達がキング牧師の本を貸してくれました。その本にはジェームス・ブラウンの話が載っていました。キング牧師が暗殺された時、ジェームス・ブラウンは、暴動が起きないようにライブを開いて「平静を保つことで、キング牧師の名誉を称えろ」と言って、暴動させなかったと書いてあったんです。それを読んで、「ジェームス・ブラウンかっこええ。」と思いました。
そこから黒人音楽ばかり聴くようになりました。彼らの音楽には人種差別とかベトナム戦争反対とか、既存の状況を否定して反対のことをやるっていう、反体制的な強いパワーが溢れていて、夢中になりました。
学校の勉強が得意ではなかったので進学するつもりはありませんでしたが、働く意欲もありませんでした。母から、絵を描いたら入れる学校があると聞いて、絵が比較的好きだったこともあり、大阪にある芸術大学のデザイン学科に入学しました。
大学の授業では設計図を描くことが多かったんですが、細かい図面に興味が沸かず、大学には行かなくなりました。その代わり、クラブでDJをしたり、クラブイベントのフリーペーパーを発行したり、グラフィックデザインをしたりしていました。自分でデザインできるのだから、居酒屋でバイトするよりデザインの仕事をしようと思いました。
フリーペーパーは自分で営業して広告主を探しました。正直、広告掲載のメリットはあまり大きなものではありませんでしたが、ある美容室のオーナーが、僕を応援するという想いだけで広告主になってくれたんです。結局4年間広告掲載を続けてもらいました。その方には、一生かけて恩返しをしなければと強く思いましたね。
卒業後の進路について、将来は自分でグラフィックデザインの事務所を開こうと考えていました。シンプルにグラフィックの作品がかっこよかったからです。あとは、19歳から自分で営業をして仕事を始めていたので、経営者になることを当たり前のように思っていましたね。しかし、いきなり会社を作るよりまずは組織について1年間勉強しようと、大阪に本社があり、一番社員の多い会社の就職試験を受けました。
面接では、新卒の給与が月19万だと言われ驚きました。クラブのDJとして1日15万円をもらっていたからです。それで断って帰ってきました。そしたら電話がかかってきて、「お前の歳で一番評価したとして月給26万だから、それでどうだ?」と打診され、1年で退社することも条件にして入社しました。そこではパンフレットのデザインなどをしました。
入社してからも、相手の立場に関わらず、率直な意見をぶつけました。それは相手が会長でも同じでした。デザインの最終決定は会長がしていましたが、社員は別の案の方がいいと思っていました。しかし、会長に反論する人は誰もいません。僕は会長室に通い、「会社のためなら絶対こっちです。」と直談判。会長と真剣に議論をする中で、役員の方とも顔見知りになりました。そして入社3ヶ月で全役員とホットラインで繋がって、上場の準備担当に任命されました。
上場目前の頃、入社から1年を迎えました。この1年で身につけた知識と経験は、一生かけて恩返ししたい人の元ですぐに活かせるものだと確信し、事務所として独立するのではなく、美容室で経営参画することを決意しました。周りの反対を押し切って、入社時の約束通り、1年で会社を退社しました。
髪を切る店から伸ばす店へ
美容室には経営企画に参画させてもらえるようお願いしました。当時の美容室は年商1億円。勝手に、3年で9億の実績に増やす経営計画を作り、「1年でも達成できなければクビにしてくれ。その代わり役員として雇ってほしい。」と言って入社しました。
入社してすぐ、美容室のオーナーがロンドンのヘアエクステンション技術を日本に持ち込みました。ロンドンではドレッド用が主流で、8時間かけてエクステをつけ、料金は8万円。それだと個性派の人にしかニーズはありません。僕はエクステを初めて知った時、「美容室を、髪を切る店から伸ばす店に変えられる。」と思いました。ニーズは髪を「切りたい」よりも「伸ばしたい」方が絶対的に多いんです。ニーズに応えるためにも2万円でできる技術にアレンジし、エクステンション事業を展開しました。
東京の出版社を全部回り、エクステのプロモーションを行いました。ターゲットは女性全員です。「エクステは髪の毛を伸ばすという技術だから、流行りものではない。」と言い続け、様々な世代の女性ファッション雑誌に売り込みました。その結果、自分では想像だにしなかった女子高生から支持を得て、一大ブームに。美容室の実績は1年目に3億、2年目に6億、3年目は9億になり、全国に15店舗展開しました。
美容室のオーナーに恩返しができたことを実感し、当初予定していたデザイン事務所ではなくエクステンションメーカーとして独立しました。というのも、その頃は、美容院がすさまじい勢いで増え、エクステの人気も留まるところを知らない状態でした。エクステの供給側に回れば、競合が顧客に変わります。加えて、ディーラーを経由して商品を仕入れる美容業界の古い体制に一石を投じたい思いがあったからです。
100年後は地球に住めない
独立と同じ頃、子どもが生まれました。子どもを病院に見に行って、初めて目にした時に、それまで向こう50年ぐらいの自分の人生が、子どもの人生がプラスされて100年くらいのスパンに伸びたんです。その時、「多分100年後、地球に住めてないな。」と感じたんです。
まずは自分ができることから始めようと、オーガニックな食事に変えました。そうすると、洗剤も無添加がいい、お風呂場にあるものも無添加にしたいと、家にあるものがどんどん地球環境にいいものになっていきました。地球に100年後住めないと思うのは、今の地球環境によるもので、それを改善するために買うものを選んだら、健康的な生活になっていく。さらに環境について深く知りたくなり、本を読んで勉強しました。
一方で、事業はどんどん伸びていきましたが、自分の暮らしがより一層ナチュラルなものに移行していたので、事業と生活のギャップがどんどん大きくなっていることに悩みました。
そんな時、環境の勉強をする中で、1992年の地球環境サミットでスピーチをしたセヴァン・スズキさんの本に出会いました。セヴァンさんは12歳の時、リオで行われたサミットで環境破壊に対する危機感を語り、世界的に話題になった方でした。スピーチを読んで、内容に感銘を受けるよりも強い危機感を感じました。
というのも、このスピーチは10年前のもので、世界中が感動して環境を良くしなければと思ったにも関わらず、状況は変わってない。むしろ当時より悪化していたからです。みんな環境問題をどうにかしたいけど、難しいから行動できず、国や企業に任せているんです。
革命の対象を見つけた気がしました。ブラックミュージックのアーティストのように革命を起こせるし、子どもたちの未来にも関わってくる環境問題を誰もやらんのだったら、先頭切って取り組もうと考えました。
会社の顔となる商品は、何もしなくても環境がよくなるようなものにしようと思いました。子どもが生まれて生活が変わった10年間で、環境にいい生活消費財の成分を学んで、本当にいいものがあるかって言ったらなかったので、じゃあ作ろうと。
でも、ものを作ると環境破壊が起こって、例えば食べたり使ったりすると何らかの負荷が体にかかって、廃棄するとさらに環境負荷がかかると。それが大きくなればインパクトがどんどんおっきくなっていくから、結局は消費する量が増えたり発展すると悪い方向にどんどん行く。それを逆にしようと。ええもの作った方が環境良くなって使ったら健康なって廃棄しても環境改善ができるっていう生活諸費材を作ればいいよねって。
その商品をみんなで使えば100年後の未来を取り戻せると考え、「みんなでみらいを」というプロジェクト名で、商品開発を始めました。
環境保全と事業発展の両立
「みんなでみらいを」を始めて2年、シャンプーや洗剤などの生活消費財を約20個作りました。100年後も住める地球のためには、環境保全を地球規模で取り組まなければならないと思いました。
なぜなら大気に国境はないし、先進国が環境を破壊してきた失敗を途上国も繰り返そうとしていたからです。もし人口も土地も格段に大規模な途上国が同じような発展の仕方をしたら、地球に住めない未来は必ずやってきます。かといって、それを食い止めるために発展するなとは言えません。そこで、先進国と途上国が一緒になって新しい発展の仕組みを作るべきだと考えていました。
その頃、リオ+20がありました。環境に興味があったので、ネットで見ていたら、ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチを見つけました。周りは誰もそのスピーチを知らなかったので、みんなに勧めました。
リオ+20から3年経って、世の中にムヒカフィーバーが起こりました。世の中のニーズがすごいスピードで変わっていることを実感しましたね。本来であれば、スピーチした時だけピックアップされて、3年経ったら風化するはずです。しかし、それが時間を経て注目されるということは、3年前にはなかったニーズが今はあるってことです。この流れはすごく革新的だと思いました。
新しい生活消費財を開発する中で、100%天然のヘアカラーを作ろうと思い、インドでヘナを栽培しようかと考えていました。しかし、世の中にこれだけ植物があるのに、なんで天然のカラー剤はヘナしかないんだろうと疑問が浮かびました。他の植物でも染まるに違いないから、染色をやっている人の話を聞きに行こうと、スタッフに相談したところ、カンボジアで草木染めをしている森本喜久男さんの存在を教えてもらいました。
ちょうどその日、提携しているビジネス研究チームがカンボジアに行っていたので、彼らに電話をして、森本さんに会って草木で髪を染めたいことを伝えてほしいと、お願いしました。森本さんから「面白そうだから全面協力する。」という返事をもらい、すぐにカンボジアに行きました。森本さんは落ち葉のみで染料を作り、真っ黒に染めてくれました。
森本さんはカンボジアの荒れ地を開墾して、森を作り、シルクの原料となる桑の木と蚕、そして染料となる植物も育てていました。仕入れは一切なし。自分で育てた原料で高品質のシルクを作っていました。この森は育てば育つほどお金を生むので、伐採されないんです。
彼の森は経済と自然が完全に共生していて、僕の理想郷でした。環境を守れば守るほど経済が発展する新しいビジネスモデルだと確信。「森の叡智プロジェクト」と名前をつけて、カンボジアで化粧品の原料になる植物を育て始めました。
誰と組むかで未来が変わる
現在は、カンボジアで森を作る「森の叡智プロジェクト」の傍ら、経済産業省のBOPビジネス有識者委員会に参加したりしています。
今はカンボジアの生態系に合う森にするべく試行錯誤中で、木を植えてそれがおっきくなっていくのが楽しいです。雑草対策としてハーブを植えたので、育ったら食品メーカーに売って雑草すらお金に変えてしまおうと思っています。オーガニックコットンも栽培します。コットンは大手のファストファッションメーカーに提供することになりました。
持続可能な森で生まれたコットンを意外性のあるファストファッションメーカーが、しかも大手が使うことでファッション業界にも革命が起こると信じています。
もっと植物が育ったらうちだけでは消費できないので、化粧品の原料メーカーとなって化粧品ブランドに売ったり、アパレル会社が必要とする植物の森作りの手伝いをしようと思っています。ゆくゆくはカンボジアに100haの森を作りたいですね。完成したら、他の途上国に移って新たな森を作ります。
100年先地球がないってことは、もっと手前で後戻りできないデッドラインが出てくるはずです。それがいつなのかわかりませんが、時間がないことは確かです。僕は経営者なので、目標を決めたら到達するために、何せなあかんか具体的に考えて実践しないといけません。且つ最短距離で最大インパクトで解決しなければならないと言い続けています。
そのための市場原理は何か。人間の最大のニーズは「ずっと未来があり続ける」ことだと考えます。商品を置いてくれているスーパーに行って、おばちゃんを捕まえて話を聞くんです。「こんだけ環境悪くなってて、地球の未来あると思う?」って。みんなやばいって思ってるんですよ。でも解決の方法がないから考えたくないんです。
僕が解決できる商品を作ったから、買って使うだけでいいと説明すると、50%以上の人が購入してくれます。全員が買ってくれる日もあるんです。これはとんでもないニーズだと思います。
このニーズに応える事業をやって社会貢献すると、事業発展のスピードが格段に早くなります。なぜなら応援団が多いから。一般的には社会貢献でお金は儲からないと考えられていますが、これまでの事業立ち上げの経験と比べても、社会貢献事業でお金儲けはできるんです。みんなやったらいいのにって思います。
経済産業省とも一緒にプロジェクトを進めています。事業発展と社会貢献を両立する先進事例として、いちベンチャー企業が挑戦するより経済産業省と一緒にやったほうが確実に影響力が大きいんです。
先日、2015年に国連で採択された持続可能な開発目標「SDGs」をビジネスで取り組んでいる企業として、「SDGsアワード大賞」を頂きました。受賞したことで、SDGsビジネスのモデルとして東京オリンピックのプログラムに提案したいと考えています。
国連がSDGsを2030年までに達成したい目標にした以上、平和の祭典であるオリンピックは大切なイベントです。日本が世界に対してSDGsをどう発信するか、2030年まで残り10年世界がどう動いていくか、日本にとっても世界にとっても岐路になると思っています。
「みんなでみらいを」はあくまで手段です。環境を良くして長く住める地球にする。この目的を達成するため、より川上に行けるよう、森をつくったりして変革を起こし続けたいです。
2017.07.24