大阪府堺市で生まれました。父は公務員、母は専業主婦で、弟が一人います。自然豊かな田舎の村で育ちました。

音楽が好きで、中学校の時、周りの影響でセックスピストルズを聞き始め、パンク音楽に目覚めました。聴いているうちに、パンクが歌う反体制的な思想に憧れてどんどん好きになりました。高校は商業高校に通い、自分でもバンドを始めました。

ある日、友達がキング牧師の本を貸してくれました。その本にはジェームス・ブラウンの話が載っていました。キング牧師が暗殺された時、ジェームス・ブラウンは、暴動が起きないようにライブを開いて「平静を保つことで、キング牧師の名誉を称えろ」と言って、暴動させなかったと書いてあったんです。それを読んで、「ジェームス・ブラウンかっこええ。」と思いました。

そこから黒人音楽ばかり聴くようになりました。彼らの音楽には人種差別とかベトナム戦争反対とか、既存の状況を否定して反対のことをやるっていう、反体制的な強いパワーが溢れていて、夢中になりました。

学校の勉強が得意ではなかったので進学するつもりはありませんでしたが、働く意欲もありませんでした。母から、絵を描いたら入れる学校があると聞いて、絵が比較的好きだったこともあり、大阪にある芸術大学のデザイン学科に入学しました。

大学の授業では設計図を描くことが多かったんですが、細かい図面に興味が沸かず、大学には行かなくなりました。その代わり、クラブでDJをしたり、クラブイベントのフリーペーパーを発行したり、グラフィックデザインをしたりしていました。自分でデザインできるのだから、居酒屋でバイトするよりデザインの仕事をしようと思いました。

フリーペーパーは自分で営業して広告主を探しました。正直、広告掲載のメリットはあまり大きなものではありませんでしたが、ある美容室のオーナーが、僕を応援するという想いだけで広告主になってくれたんです。結局4年間広告掲載を続けてもらいました。その方には、一生かけて恩返しをしなければと強く思いましたね。

卒業後の進路について、将来は自分でグラフィックデザインの事務所を開こうと考えていました。シンプルにグラフィックの作品がかっこよかったからです。あとは、19歳から自分で営業をして仕事を始めていたので、経営者になることを当たり前のように思っていましたね。しかし、いきなり会社を作るよりまずは組織について1年間勉強しようと、大阪に本社があり、一番社員の多い会社の就職試験を受けました。

面接では、新卒の給与が月19万だと言われ驚きました。クラブのDJとして1日15万円をもらっていたからです。それで断って帰ってきました。そしたら電話がかかってきて、「お前の歳で一番評価したとして月給26万だから、それでどうだ?」と打診され、1年で退社することも条件にして入社しました。そこではパンフレットのデザインなどをしました。

入社してからも、相手の立場に関わらず、率直な意見をぶつけました。それは相手が会長でも同じでした。デザインの最終決定は会長がしていましたが、社員は別の案の方がいいと思っていました。しかし、会長に反論する人は誰もいません。僕は会長室に通い、「会社のためなら絶対こっちです。」と直談判。会長と真剣に議論をする中で、役員の方とも顔見知りになりました。そして入社3ヶ月で全役員とホットラインで繋がって、上場の準備担当に任命されました。

上場目前の頃、入社から1年を迎えました。この1年で身につけた知識と経験は、一生かけて恩返ししたい人の元ですぐに活かせるものだと確信し、事務所として独立するのではなく、美容室で経営参画することを決意しました。周りの反対を押し切って、入社時の約束通り、1年で会社を退社しました。