私は宮崎県小林市に、農家の息子として生まれました。田舎だったこともあり、保育園にも幼稚園にも行かず、小さい頃から父を手伝い農作業をしていました。するとある時、農業機械のために使うエンジンの修理を手伝うことがありました。午前中からエンジンを分解し始め、故障の原因を整備して組み立て直すのですが、夕方に修理が完成し、ものすごい音とともにエンジンが振動するのを見て、大きな衝撃を受けました。昼食を食べた時には、ただのメタルの材料だったのが、お互いが知っていたかのように組み合わさり、生き物みたいに動いているんです。「これは面白い!」と機械いじりに没頭していきました。

それからは、とにかく色々なものを自分で作ってみることを繰り返しました。ヘリコプターやセスナ機を見て、あれを作ってみたいなあと思い真似をすることもあれば、ロケットや船、発電所の真似をすることもありました。教科書がある訳でもなく、真似っこで作ることを続けたんです。

そして、小中学生になってからは色々と部品が手に入るようになったため、貧乏なりに工夫し、作れるものの幅が広がっていきました。最初は仕組みが分からないのですが、何度も分解していると、なんとなく何がどの機能を果たしているか分かっていくんです。五感を使って学んでいくような感覚でした。中学生の時に作った風車は卒業アルバムにも取り上げられ、楽しい毎日でしたね。

しかし、高校生になると、理科室で何か作ってそれまで通り楽しむ私に、先生から「お前は大学に行け、九州大学を目指せ」と言われたんです。正直、3年生になっても将来のことは全く考えておらず、勉強もしていなかったため、絶対無理だと即答しました。ところが、やってみないとわからないと説得され、毎日しごかれることに。結果的に、なんとか九州大学応用原子核工学科に合格することができました。

苦労して勉強して進学したものの、実際にものを作るという意味では周りの学生・教授よりも断然の差がありましたね。小さい頃から自由に没頭し続けたことで、教授の方々も驚くほどの知識や技術があったんです。そこで、こいつがいると実験に便利だと思われたのか、研究室に残れという話をいただき、大学院へ進学しました。自ら進路を決めた訳ではありませんでしたが、自分はどこでも楽しめるので、周りが喜んでくれるなら、という感覚でしたね。