アメイジングな人生を過ごせるように。
自分なりの幸せを求める生き方。
「全ての人が自分のストーリーを生きられる社会」の実現を目指して、会社を経営するJeffreyさん。働いていた韓国の大手企業を辞めて、奥さんと世界一周に出た理由とは。Jeffreyさんにとっての幸せとは何か。お話を伺いました。
Jeffrey Moon
ジェフリー ムン|会社の経営
Amazing Story Inc.のCEOを務める。
自分のストーリーを生きる人たち
韓国のテグ(大邱広域市)で生まれました。将来は大統領か弁護士になりたいと考え、韓国で一番の大学、ソウル大学を目指しました。高校生になって勉強を本格的に始めてからは、毎日朝6時から深夜2時頃まで勉強していましたね。
しかし、受験の結果は不合格でした。韓国経済は不況がしばらく続きそうだったので、就職する時期、大学に行く時期をずらしたほうが良いと友人から提案され、兵役に就きました。
2年半で空軍の兵役を終えた時、イギリスに住んでいた知り合いから、ケンブリッジ大学付属の英語学校に行くことを勧められました。かねてから広い世界を見たいと思っていた私は、可能性が広がると考え迷わず留学することにしました。
英語を学びながら海外の大学を目指せるので、迷わず留学することにしました。英語は全く話せませんでしたが、不安はありませんでした。イギリスで初めて住んだ場所は、「hope(希望)ストリート」でしたので、私には希望しかなかったんです。
3ヶ月経つ頃にBBCのニュースが聞こえるようになりました。その瞬間、嬉しくて「ハレルヤ!」と叫びましたね。聞こえるなら喋れる。あとは単語を増やすだけ。毎晩夜中まで英語の勉強をしました。
ケンブリッジにいる人は、誰もが自分のfoundation(拠り所)、を持っていました。ある人は、数学を勉強しに来ていましたが、ピアノがものすごい上手で、ドイツでピアニストとしての仕事もしていました。他にも、ディズニーの作曲家と一緒に作曲している人、全世界のアニメを毎日ダウンロードして見ている人、イギリスから韓国まで自転車で旅する人などがいて。
人生って、色々ある。自分のしたいストーリーを生きている人が多くて、自分もそう生きたいと思いました。
挑戦にあふれたロンドンでの大学生活
ケンブリッジで、自分の可能性がどんどん広がりました。ある人に、「経済学の勉強が合っていると思うよ。アダム・スミスが『資本論』を書いた場所、ロンドンに行けよ」と言われました。推薦状を書いてもらい、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)に進学しました。
大学では2000人いる学生の代表になり、様々な挑戦をしました。学生主催のイベントといえば最初はキャンパス内のパーティーしかなかったのですが、スポーツフェスティバルやコリアンナイトなども開催するようになりました。
ロンドン大学は企業や政治との繋がりが深く、同級生には有名なメディアの創設者の親戚や、大企業の重役の息子などもいました。そういう人たちの人脈も使うと、政府や商工会議所、レストランや企業と繋がって、1000人を超える規模のイベントが開けるんです。
コリアンナイトの開催が、自分の中では一番大きな意味がありました。ロンドン大学に集まる人に韓国のことを伝えるイベントでした。イギリスに来てから、韓国について聞かれることが多くあったのですが、私は韓国のことをそんなに深くは知りませんでした。歴史も文化も知らないし、食べ物も教えられるほどではなくて。
自分の文化、自分がどこから来たかを深く考えるきっかけになりましたね。さらに、それをどう伝えればいいか、いろんな人と考えながら1000人規模のイベントを開催することに意味がありました。他の国の人に、「韓国はこういう国なんだ」と知ってもらうのが嬉しくて、涙が出るくらい感動しましたね。
イベント企画だけでなく、自分のビジネスにも挑戦して、成功体験を積めました。大学卒業時には、大学院から奨学金のオファーがあり、韓国の大手総合家電メーカーから内定が出て、さらにはずっと付き合っていた日本人の彼女と結婚しました。最高の日々でした。
ハッピーな夫婦生活のための世界一周
結婚後、妻は日本に、私は韓国に住みました。お互い仕事が忙しかったので、ほとんど話す時間がありませんでした。2年ほどして妻が韓国で働き始めても、状況は変わりませんでした。韓国は市場が小さく、基本的には海外に向けてビジネスをするので、妻も私も海外出張ばかりだったんです。
喋る機会がほとんどないまま4年経ちました。子どもを生むことを考えると、一度時間を作ったほうが良いと思い、お互い仕事を辞めて世界一周に出ることにしました。夫婦二人で一緒に住むための旅行でしたね。
周りの人からは心配されました。それまでは良い生活を送っていましたが、一度リタイアしたら、同じ収入レベルには二度と戻れない可能性があります。
でも、外からは良さそうな人生に見えていても、それは自分の人生じゃないんです。自分の人生、自分で幸せを感じられないと意味がない。自分たちのハッピーの道を探しに行こうよ。そう思ったんです。
アメリカから旅を始め、ガラパゴス諸島、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンと南米を周り、さらにヨーロッパに行きました。真っ白でエンドレスな地平線や、アルパカが何千匹も走る姿など、大自然を目の前で見ました。人生の中で一回でも経験すれば、その瞬間が一生記憶に残るような体験をたくさんして。リフレッシュできました。
妻とは24時間、どんな状況でもずっと一緒でした。4ヶ月も一緒にいると性格の全てが分かってきて、「そろそろいいね。お互いのこと分かったね」と話し、旅を終えました。
旅行の前は妻が韓国に移住してくれたため、今度は私が日本に行くことを決意しました。日本語は全くゼロからのスタートでしたが、生活を通して学んでいき、子供も授かり、日本のオフィス用品や文具を扱う会社で海外営業職として働き始めました。
会社には外国人がほとんどおらず、システムは全部日本語で、とにかく苦労しました。言葉だけでなく、仕事のやり方にも慣れませんでした。年齢が高い人も多いし、組織の中で色々な根回しが必要でした。また、いくら成績を作っても、スタープレイより、長く細く続く仕組みを作ることが求められるんです。
さらに、プライドがものすごく高くて、分からないことを素直に聞けませんでした。「あなたは、周りに感謝していない」と言われ、同僚からはサポートしてもらえず、怒られてばかり。上司からは評価してもらい、海外マーケットを開拓する仕事をどんどん任せてもらえましたが、現場では出張から帰っても、「おつかれ」とも言われないことがありました。
感情的に落ち込んだり怒ったり、ものすごく難しくなって、なんでこんなことをしているんだと、後悔もしました。妻に愚痴も言いました。
でも、家族と一緒に住みたいから日本に来たのに、それを外れて自分だけ戻るのは違う。日本に住む上で何が大事か。配慮することは何か。必死に考え、全てを捨ててゼロからやり直す気持ちでした。周りの人を気遣ったりと、徐々に行動を変えていきました。
自分のストーリーじゃない生き方
日本に来て3年目、会社以外の人とも知り合いたいと思い、ビジネススクールに通い始めました。スクールに英語を喋れる環境があり、気持ちが楽になりました。日本での仕事にも次第に慣れ、4年働いた頃、もっと多くの日本企業の海外進出をサポートしたいと思い、コンサルティングファームに転職しました。
少しずつ周りにも目を向けられるようになり、日本に来て苦労している外国人のサポートを始めました。「アメイジングキャンペーン」と名づけた、その人の夢や目標を聞き、達成のためにどうするか一緒に考える活動です。
ある時、ひとりミャンマーから来た女性から相談を受けました。その人は、8つの仕事を掛け持ちしていました。仕事にたくさんの時間を使っていましたが、本当にやりたいことは大学に行くことでした。専門学校でITを学んでいたので、大学で勉強したいと。
私もケンブリッジにいた時にもっと勉強したいと思って色々な経験をしたので、少しはアドバイスができるんですよね。仕事を8つも掛け持つのはやめて、まずはIT会社に派遣社員で入ろう。時間や収入の余裕を作ってから大学を目指そう。そんなことです。
この活動を始めてから、自分の人生も変わりましたね。自分のストーリーを必死に作っている話を聞き、感動したんです。
一方で、大変そうな人もたくさん見ました。中央線に乗って通勤していましたが、よく電車が止まるんですよね。毎月何人も自殺する人がいたんです。ビジネススクールに来ている人の中にも、仕事で苦しみ、目の前で泣いてしまったり、リストカット跡を見せてくれたりする人もいました。仕事は辛いけど、会社を辞めるのも、転職も、部署を変わるのも難しいと言う人もいました。家族もいるし、給料も悪くないからと。
自分のストーリーがない。60年間働いて、退職して年金をもらうって、それって自分のストーリーじゃない。こんな大事な時間を、アメイジングな瞬間を、自分のストーリーなしで過ごすことはもったいない。とにかく何かやれば、何でもできるのに。
そんなことを考えると、胸が熱くなったり、痛くなったりしました。何かしないといけないと思ったんです。説明もよくできませんが、何かしたい。会社を辞めたら同じだけの給料を稼げるかなんて分からない。でも、今、何かをしたい。
そう思い、Amazing Story Inc.を立ち上げました。自分のストーリーを生きる人を増やしたい。働きながらアイディアを考え、半年後、コンサルティングファームを辞めて、自分の会社一本に絞ることにしました。
全ての人の「エベレスト」をサポート
現在は、イベント管理アプリ「Everest App」の開発を行っています。「Everest App」は、SNSやカレンダーアプリなどに登録された複数のイベントを一括して管理できるアプリです。カレンダー上でイベント情報を確認し、過去のイベントを参加者同士で振り返ることもできます。
このアプリを作るにあたっては、自分たちの経験が基になりました。メンバーはビジネススクール出身者が多いのですが、彼らは仕事だけでなく、ビジネススクールに行き、家族との時間も作って、と色々な活動をしています。ただ、予定を管理しているカレンダーが別々なので、調整ミスなどが起きて苦しんでいました。シンプルに全ての予定を一括して管理できれば、時間をより上手く使えると思ったんです。
「Everest App」はあくまでもツールです。目的は、それぞれが自分の人生のゴールやミッションに近づいてもらうこと。夢を追うためには、積極的にやりたいと思ったことに、多くの時間を投資する必要があります。その時間をしっかりと作るためのツールなんです。
夢のために多くの時間を投資してミッションに近づいていると、良い出会いがあります。一番大事なことは、色々な人と繋がるだけではなく、人と深い良い関係を作ること。すると、全てがその関係ひとつから始まるんです。「Everest App」では、そんな繋がりを作ることまでサポートしたいと考えています。
また、ビジネススクールのメンバーを中心に、韓国と日本と中国の歴史を教え合う、歴史フォーラムも開催しています。個人的に、「韓国、日本、中国、ASEANをつなぐビジネスを繋ぐ、グローバルリーダになる」とミッションに掲げているんです。
Everyone has their own goal which we can call “Everest”. We support whoever who has their own goal. We wanna support to achieve their own Everest.
全ての人が自分のストーリーを生きられる社会を達成する。なぜこの会社を始めたか、この気持ちを忘れずに生きていきます。
2016.02.22
Jeffrey Moon
ジェフリー ムン|会社の経営
Amazing Story Inc.のCEOを務める。
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