宝物の家族を幸せに。
家族のため、ハワイと日本で暮らしたい。

家族が大好きで、「娘や妻のために生きている」と話す藤城さん。以前は「家族なんて持ちたくない」と考えていたとか。藤城さんの価値観を180度変えた体験とは、どんなものだったのでしょうか。お話を伺いました。

藤城 秀隆

ふじしろ ひでたか|幸せな家族を築く
オーストラリア一周の旅を終え、大手不動産会社に勤務し営業として働く。

バンド解散で夢を失う


神奈川県横浜市で生まれました。一人っ子で、過保護で厳しい母と、放任主義の父に育てられました。

誰かに認めてほしい気持ちが強かったのか、負けず嫌いでやんちゃな性格でしたね。見た目で気をひきたくて、派手な格好をする「ギャル男」になったこともあります。

中学生の時に「WANDS」というバンドに出会いました。彼らの曲を聞き、人の人生を変える音楽の力ってすごい、と心を動かされ、将来ミュージシャンになりたいと考え始めました。

高校ではボイストレーニングに通い、高校卒業後は音楽の専門学校に進学。専門学校に行きさえすれば、何とかなると思っていましたね。2年間の学校生活を終える頃には、自分のバンドが評価されていたので、卒業後も音楽活動を続けようと考えました。

生活資金が必要だったので、卒業と同時にアパレルショップで働き始めました。昔から服を買いに行ってショップ店員さんと話すのが好きでしたし、服装や髪型が自由な職場だと思ったので。

仕事では、お客様が自分を指名してくれるのが嬉しかったですね。リピーターになってくれたり、自分と話すためだけにお店に寄ってくれたりするんです。

仕事に夢中になってしまい、3ヶ月ほどでバンドは自然消滅しました。自分の中では前向きな選択でしたが、「夢をひとつ失ったな」という感覚がありました。ただ、仕事が忙しくて、深く考える時間は持てず、目の前のことを楽しんでいるだけでした。

仕事への向き合い方を変えてくれた出会い


働き始めて2年目に、リーマンショックの影響で、仕事が思うようにいかなくなりました。不景気でお客様の足が遠のき、服が売れないんです。職場での人間関係も良くなくて、周りのスタッフに悪口や陰口をよく言われてました。そのおかげで人間不信にも陥ってしまい、いっそのこと、会社を辞めようかと悩んでました。

そんな時、隣のテナントで働く女性から、「悲しい顔してるね、きみ」と突然声をかけられ、食事に誘われました。普段、軽く挨拶をする程度で、ゆっくり話したことは一度もなかったので、突然のことに驚きました。

食事に行って話をする中で、その人が不動産で成功していることを聞き、私は、職場が大変なことや、仕事を辞めようと考えていることを話しました。

私の話を聞いて、その人は「3年働いてみないと分からないこともあるよ」「いま頑張らずに逃げ出したら、将来同じことで逃げ出してしまうよ」と、真剣な顔で言いました。また、『カンブリア宮殿』というテレビ番組を取り上げた本を、「1ヶ月後に感想を教えてね」と言いながら私に渡してくれました。

初対面で真剣に向き合ってくる人なんて出会ったことがなかったのですが、その人は本気でした。自分と本気で向き合ってくれている。この人の話は聞いた方がいい。そう思い、仕事の合間を縫って、借りた本を読み始めました。『カンブリア宮殿』に出演した、成功した経営者の言葉が詰まった本で、経済用語をはじめ知らない言葉ばかりでしたが、辞書を片手に必死で読みました。

本に書かれた経営者の考え方を知って、自分の甘さを痛感しました。それまでの自分にとって、仕事とは、お金やステータスのために、与えられたことをこなすだけのもの。我慢できない事があったら、上司には反発し、ライバルでもある同僚とはぶつかってばかり。

そんな考え方ではうまくはいかないと気づかされました。自分の中で、仕事への向き合い方が大きく変わった瞬間でした。

それからはとにかく必死で、月400時間近く働いて入院もしましたが、働かせてもらえることや、自分の環境と周囲の方々に、心から感謝するようになったんです。

幸せな家族を築きたい


一時期、外国人観光客のお客様が多い店舗で働いていました。外国人のお客様って、何かひとつ物を買うのにも、心から楽しそうなんですよね。日本人でこんなに楽しそうにしている人は見たことがない、と思うほどです。

その姿を見ていると、この人たちは買い物以外でも何に対しても全力で楽しめるんだろうな、と日本人にはないものを感じました。こんな人たちがいる所で暮らしてみたい、と海外生活に興味が湧きました。

そこで、4年働いた会社を辞めて、オーストラリアに留学に行きました。英語は全く喋れなかったのですが、行けばなんとかなると思っていましたね。

現地に着くと、予想に反して英語を全く理解できませんでした。聞こえないし、話せない。かなり落ち込みました。人と話すことが好きだったので、会話できないことがものすごく苦痛で、いっそのこと帰国しようかと思いました。

そんな私を心配したホームステイ先の家族が、丁寧に英語を教えてくれました。自分でも勉強して、1日18時間ぐらいは英語漬けでした。3ヶ月ほど経つと、まわりの会話が理解できるようになり、話せるようにもなりました。

ホームステイ先での生活は、英語を上達させてくれただけではなく、私の価値観を大きく変えてくれました。

私の両親は、仲が悪いわけではないし、私に愛情を注いでもくれましたが、よく喧嘩していました。喧嘩する両親の姿を見ていて、家族を持ちたいとは思いませんでした。

一方で、ホームステイ先では、家族で一緒に食卓を囲んでいるだけで、楽しくて笑顔が溢れてくるんです。自分の家庭では、父親が朝早かったり、夜遅かったりと皆で食卓を囲むことがなかったので、新鮮でした。

一緒にご飯を食べているだけで幸せ。ただ笑っているだけで幸せ。家族ってなんて素晴らしいものなんだろう。家族を持ちたいと、思うようになりました。

また、3ヶ月かけてオーストラリアを一周した時に、様々な自然に触れました。その中でも、ピナクルスで見た景色は忘れられません。荒野の地平線に落ちていく夕日。肌に感じる、温かい空気や穏やかに吹く風。その場にいると、自然と涙が流れてくるんです。

日本では見られない自然の景色。ずっとこんな景色を見続けたい。日本と外国を行き来する生活がしたい。そう思いました。

彼女の両親に結婚を大反対されてしまう


オーストラリアから帰ってすぐに、渡航前に一目惚れした女性と1年ぶりに会いました。その時、直感的に、「この人と結婚するだろうな。この人しかいない」と思い、必死で口説きました。アパレル時代の時に培った営業スキルをフル回転させましたね(笑)。会ったその日に付き合い始め、すぐに結婚を申し入れました。

ところが、彼女の両親は、結婚に大反対でした。当時、私はフリーターでした。私のように後先考えずに行動するような人間が、幸せな家庭を築けるはずがない。そう言われました。

これまでの人生を真っ向から否定されたような気がして、私も反発して大喧嘩。彼女の両親からは、企業に勤めて安定した収入を得ること、結婚までに同棲を1年すること、同棲資金100万円を貯めることなど、結婚への条件をいくつか提示され、私もそれに同意しました。

「そんなに甘くないよ、そんな簡単にお金を貯められる訳がないよ」と言われましたが、「絶対貯めてやる」と心に決めていました。

稼げる仕事を探し、不動産会社で営業として働くことにしました。不動産営業なら、成績次第でいくらでも稼げます。また、将来、日本と外国を行き来するために安定した不動産収入を得たいと考えていたので、不動産投資について学べるとも思ったんです。

未経験の仕事だったので苦労しましたし、とにかく売り上げが欲しかったので、休日も出勤しました。その甲斐もあって、3ヶ月で約束した同棲資金100万円を貯めました。オーストラリアで感じた「家族の温かさ」を否定されたくない。早く結婚して幸せな家庭を作りたい。そんな思いで必死でしたね。

お金を貯めたことを報告すると、彼女の両親は「同棲したら、すぐに結婚してほしい」と言ってきました。最初に言っていたことと違うじゃないかと反発もしましたが、彼女の母親が泣いてしまいました。その姿を見たら気持ちが変わりましたね。すぐに彼女と結婚しました。

結婚してからは、妻の両親も私を認めてくれ、家族の一員として迎えてくれるようになり、すぐに仲良くなりました。

日本とハワイで半分ずつ生活したい


結婚してすぐに妻が妊娠して、娘が生まれました。娘が生まれた時、自分のひとつの旅が終わったと感じました。自分の人生は自分だけのものではなく、娘や妻、家族を幸せにするために生きているんだと感じました。

娘に色んな景色を見せてあげたい。自分がしたような色々な経験をさせてあげたい。娘という最高の宝物を見つけて、宝物探しの旅が終わった感じがしました。

現在は、お誘いがあった大手の不動産会社で働いています。専門卒の私が、一流の大学を出ている方達と一緒の時間を共有できるのは、貴重な経験だと思ってます。偏差値が35でも、特別な才能がなくても、人を大切にして目の前の出来事に一生懸命になれば、必ず誰かが見てくれてるんだなと感じました。

また、現在は不動産業にしては珍しい土日休みで、家族を大切にしたい私としてもとてもありがたいです。

今後の目標は、1年の半分ずつをハワイと日本で暮らす生活を実現すること。私がオーストラリアの自然の美しさを見てエネルギーをもらったように、日本にはない海外の自然の素晴らしさを、家族にも味わってほしいんですよね。

ハワイを選んだ理由は、妻がハワイを好きだからです。私も小さい頃ハワイに行ったことがありました。最近久しぶりに家族で行き、自然の豊かさを再認識しました。自然の良さを常に新鮮に感じられて感性を磨き続けられるよう、日本と半分ずつ暮らすことを考えています。40歳までにハワイと日本で暮らす生活を実現したいですね。

今の自分がいるのは周りの方達のおかげです。人とのご縁で導かれているとつくづく感じています。これからも、人とのつながりを大切にしながら、愛する家族のために生きていきます。

2016.01.13

藤城 秀隆

ふじしろ ひでたか|幸せな家族を築く
オーストラリア一周の旅を終え、大手不動産会社に勤務し営業として働く。

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