仕事と育児の二兎を得られる社会を創る!19歳でパパになった僕の恩返しのための挑戦。
総合人材サービス企業にて新規事業開発に携わる傍ら、2児の父として、「ワーク・ライフ・ソーシャルミックス」をコンセプトに活動を行う西村さん。「男性も女性も、仕事と育児の二兎を追って両方得られる社会を創りたい」というミッションを掲げる背景には、ご自身の置かれた環境への考え方を変える転機がありました。
西村 創一朗
にしむら そういちろう|人材系新規事業開発・ワークライフミックスの活動
株式会社リクルートキャリアにて新規事業開発に従事する傍ら、
2児の子育て、NPO法人ファザーリングジャパンの活動などに従事している。
個人ブログ
なぜうちはこういう状況なんだろう?
小さい頃、自我が芽生えた頃から、両親がよく喧嘩をしていた気がします。小学6年生の時に離婚をしてからは、母親とともに住むようになったのですが、「やっとか」と感じたんです。
別れたいとこぼしながら一緒にいることを理解できず、「なんでもっと早く離婚できなかったんだろうな?」と、疑問に思いましたね。
それから、母は生保レディの仕事を始めたのですが、母はそれまで専業主婦だったこともあり、苦労しており、ついには身体を壊してしまったんです。僕を含めた子ども3人を養うことはすごく大変なことだったんですよね。
長男だった僕は小6にして一家の大黒柱になったのですが、そんな状況に対し、「家にいたくない、今の環境を直視したくない」という気持ちがありました。
「なぜうちはこういう状況なんだろう?」
と思い悩み、将来への不安や重圧を感じたんです。そして、そんな悩みをなるべく考えないように、家の外でずっとサッカーに打ち込み、なんとか自分を保っていました。
ところが、中学になっても状況は好転せず、母の治療も続き、経済的な状況も悪化していたので、病院の先生が働きかけてくれ、生活保護の支給を受けることになったんです。
また、僕は唯一の拠り所だったサッカーを、怪我でできなくなってしまいました。試合で怪我をしてしまったのですが、たぶん、その気になればリハビリもできたと思います。けれども、そこでプチンと全てが切れてしまったんですよね。
それからは、あまり学校に行かなくなりました。行く意味を感じなくなり、午前中は寝て、午後からゲーセンに行くという生活を送るようになったんです。
家庭のせいではなく、家庭のために
そんな生活を重ね、中学3年の冬を迎えると、ずっと自分のことを気にしてくれていた熱血漢の担任の先生から、「もうすぐ卒業だけど、どうするのか?」と聞かれたんです。
僕は「全く考えてないです」と返したのですが、先生は「公民の授業で俺が教えた言葉をおぼえているか?」と言って、
「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」
という、ジョン・F・ケネディの言葉をかけてくれたんです。
その時に自分の中で電撃が走った気がしました。それまでは、家庭がいまいちだから自分がいまいちだと考えていたのが、親のために、自分が何をすればいいのかを考えなければいけないと感じたんです。そこでスイッチが入ってからは猛勉強をするようになり、なんとか、高校受験に合格することができました。
それまでの経緯もあり、漠然とですが、親はもちろん、社会に恩返しをする仕事がしたいと思い、公務員になりたいと考えるようになりましたね。
大学1年の夏にできた新しい家族
その後、高校でも家庭の悩みは尽きませんでしたが、自分自身は前向きに過ごし、もう一度サッカーも始めるようになりました。もともと、勉強自体は嫌いでなかったため、高校ではしっかり勉学にも励み、都内の公立大学の法学部に進学することに決めたんです。
実際に大学に入ってからは、人生の夏休みを満喫しようと、サークルやバイト等、キャンパスライフを楽しんでいましたね。ところが、そんな風に過ごしていた、大学1年の夏休みの最後の日、付き合っている彼女との間に子どもができたことが分かりました。
産婦人科の検査で子どもを授かったことを知った僕らは、その新しい命を産み育てる決断をしたんです。
彼女の両親に結婚と出産について話をするのは、大きな緊張と不安がありました。「大学を辞めて就職して、死ぬ気で働いてふたりを養います。」と、ひたすら懇願をし続けた気がします。
そして、最終的には、懐の深い素晴らしい両親のご意向から、「妻と子を養うためにも、大学は辞めずに卒業してから就職をする」という条件で、結婚・出産を認めてもらうことができたんです。
「学生パパ」というジレンマがアイデンティティに
それ以来、「いかにちゃんと就職するか」が学生生活のゴールになりました。毎日日経新聞を読み、授業にバイトに子育てに、と忙しい日々を過ごしていましたね。
ところが、大学2年が終わり、3年を迎える春休みに、ふと、このままでは自分は就職活動で語れることが何も無いな、と感じてしまったんです。加えて、「学生」であり、「父親」であるということのジレンマがありました。
妻の実家で「マスオさん生活」をしながら、もちろん他の学生のような自由な時間はなく、週6・7でバイトに励むという毎日だったこともありますが、何より、父親であるにもかかわらず、自分の家族すら養えていないことへの悔しさがあったんです。
「学生なのに父親」
「父親なのに学生」
という自分の置かれた立場に、フラストレーションを抱えていたんですよね。
そんな折、たまたま新聞で、「父親であることを楽しもう」というコンセプトで活動する『NPO法人ファザーリングジャパン』の記事に出会ったんです。そこには、IT系のビジネスマンとして活躍しながら、家庭を顧みれていなかったことで、娘に、「お父さん最近笑っていないね」と言われた代表の方のエピソードが載っていました。
その記事を読んだ瞬間、まさに自分は今笑っていないことに気づき、強く共感するとともに、なんだか、救われたような気がしたんですよね。「学生パパ」であること自体が自分のアイデンティティで、そんな自分だからこそ、生み出せることがあるんじゃないかと感じたんです。
そこで、記事を読んでその日に代表に連絡し、そのNPOでインターンをさせてもらうことになったんです。そして、『ファザーリング・ジャパン・スチューデント』という団体を立ち上げ、学生が親になることを学ぶ、キャリア教育の機会を作る取り組みを始めました。
それまでは、自らが置かれた立場で迷っていたのが、そういった活動に出会い、自ら行動を起こしていくことで、「男性も女性も、仕事と育児の二兎を追って両方得られる社会を創りたい」という、自らのライフミッションが決まったんです。
「社会をこうしたい」という私欲
そんな新しいやりがいを見つけた大学生活も後半を迎え、進路を真剣に考える時期が来ました。元々、入学した当初から公務員になることを考えていたこともあり、大学1年から行政学のゼミをとったり、公務員の方にたくさん会いにいったりという活動を行っていました。
ところが、実際に様々な方にお話を伺ってみると、「安定」を動機に公務員になった人が多いことに失望してしまったんです。ある種私的な動機で働く人がたくさんいるように感じ、そういった組織で社会のための貢献ができるのかな?と悶々とするようになっていきました。
そんな折、ちょうど大学2年生の頃から「ソーシャルビジネス」という考え方が台頭してきたのを目の当たりにし、もしかしたら、ビジネスでも自分がやりたいことって成し遂げられるんじゃないかと思うようになっていったんです。実際に大学3年になり就職活動を迎えると、民間企業に選択肢を絞り、業界問わずとにかくたくさんの会社をうけるようになりました。
そんな中、先輩の紹介でリクルートエージェント(現:リクルートキャリア)に出会いました。そして、色々な社員の方に会う中で、「ああ、めっちゃ良い会社だな」と感じたんですよね。先に違和感を感じた「安定」への私欲とは違い、「社会をこうしたい」という私欲で仕事をしている人ばかりだったんです。
ここでなら、自分の目指す社会に向け、ビジネスで貢献することが出きるんじゃないかという感覚を持てたんですよね。気づけば入社を決めていました。
しかし、実際に入社してからは仕事に苦しみましたね。1年目は営業職の配属となったのですが、自分が思った以上に成果が上がらず、壁に打ち当たりました。できない自分を知ることで目線がどんどん下がっていき、仕事が終わって家に帰ると子育てがあり、と目の前のことでとにかく精一杯でしたね。
「力愛不二」という言葉がぴったりくるような、自分の描く理想に対し、全く力が足りないことを痛感する日々でした。
自分の人生への肯定感
それでも、なんとか周りに救われてやっていくことができ、社会人4年目を迎えた今年は、リクルートキャリアの新しい柱となるような新規事業を創る部署で、新しいスタートを切ることになりました。改めて自分のミッションを考え直したときに、営業職ではなく、社会の仕組みそのものを創れるビジネスデザイナーになりたいと感じたんですよね。
また、家庭の面では、今年でパパ7年目を迎え、上の子どもが6歳に、新卒1年目の時に生まれた次男は3歳になりました。たまたま今年は保育園の父母会の役員を務めることになり、次男のいる園のイベントの運営等を行っています。
加えて、仕事でも家庭でもない活動として、ずっと続けているファザーリングジャパンの活動や、いくつかのプライベートプロジェクト、スタートアップのメンタリング等を行っています。
目指しているのは、ワーク・ライフ・ソーシャルの「バランス」ではなくて「ミックス」なんですよね。仕事も育児も二兎を追い、妥協せずに両方得るためにも、自分自身が各役割のシナジーを活かして、色々な挑戦をしていきたいなと思うんです。二兎を追うといっても、専業主婦を否定したり、共働きを推奨したりすることではなくて、誰もが自分の人生に対して、肯定感を持って過ごせるような社会にしていきたいんですよね。
自分自身、幼少期からの経験を含め、国のおかげで生きてこられたという感覚があるので、そういった社会を創ることで、少しでも恩返しをしたいという気持ちがあります。
2014.09.08