“うんこ”ゲームで医療をもっと身近なものに。
地域と医療をつなぎ、人の居場所を創り出す。

幼いころから「自分の居場所がない」と寂しさを感じていた石井さん。潰瘍性大腸炎を患ったことをきっかけに、同じ病気に苦しむ患者を助けたいとフリーターから外科医となりました。高知県の医療現場改革や厚労省での仕事を経て、現在は人の「居場所」となるクリニックの開業準備中です。石井さんの人生の軌跡を辿ります。

石井洋介

いしい ようすけ|外科医
外科医。秋葉原内科saveクリニック共同代表。横浜市立市民病院 外科・IBD科医師、高知医療再生機構 企画戦略室特命医師を歴任。日本うんこ学会を設立し、スマホゲーム「うんコレ」を開発した。

居場所のない少年、潰瘍性大腸炎に


神奈川県横浜市で生まれ、伊勢佐木町で育ちました。小学生のころ両親が離婚し、父と母の間を行ったり来たりする生活を送っていました。父とも母とも関係性は悪くありませんでしたが、どことなく居場所のなさを感じ、両親にもわがままを言えない子どもでした。寂しさを感じないように、日々ゲームをしたり漫画を読んだり、友達と遊ぶことを考えたりして過ごしていましたね。

最終的に小学4年生のころ、自営業をしていた母に引き取られ、一緒に暮らすことになりました。父は僕に対して優しかったので、なんとなく引き剥がされた感覚があって。父と一緒にいたいという気持ちはありましたが、安定して暮らせる母と一緒にいた方が良いこともわかっていました。母とともに引っ越し、父とはそれ以来会わなくなりました。

中学ではサッカー部に入り、勉強も部活もそつなくこなしていました。自分自身が学歴がなくて苦労した経験から、母が大学に行けというので、エスカレーター式の私立高校を受験することに。高校受験のころ、血便が出るようになりました。おかしいなと思いましたが、特にそれ以外はなんともなかったのでそのまま放っておきました。

志望した高校には無事合格。ところが1年生の夏ごろ、原因不明の高熱にうなされるようになりました。薬を飲んでも良くならず、一カ月くらいその状態が続きました。全身を検査し原因を探す中で、医師に「もしかして血便出てた?」と聞かれました。はいと答えると内視鏡検査を受けることになり、そこでやっと潰瘍性大腸炎だと判明したんです。

潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜に潰瘍ができる病気で、腹痛を引き起こします。治療のための食事制限が厳しかったので友達と外食もできず、どんどん疎遠になっていきました。かつて家庭で感じたように、学校でも自分の居場所がなくなっていくような気がしました。

病気のせいで、通学中に何度もトイレのために電車を降りていました。ある日の朝、途中下車したら、「もう学校に行かなくていいかな」という気分になって。降りた駅にとどまって、そのまま街で遊ぶようになりました。
 
そんな生活を続けるうち、「不景気だし病気もあるから就職できないだろう」とか、「就職しないなら大学に行く意味もないだろう」と考えるようになったんです。本気ではないですけど、居場所がないから死にたいと感じるようになりました。今を楽しく生きていれば、いつ死んでもいいや、と。

そのまま高校を卒業し、ぶらぶらとフリーターをしていたある日、急に目の前がチカチカして意識を失いました。腸管穿孔という大腸に穴が開いた状態になり、6リットル以上の大出血。体中の血液を全て入れ替えるくらいの輸血をし、本当に死にかける体験をしました。

前から死にたいとは思っていましたが、本当に死にかけて初めて、自分がぬるいことをしていたと気が付きました。どうせ死ぬなら、自分らしく生きてから死んだ方がいい。日々全力で生きて死を迎えないと、後悔するなと思いました。

死の淵からは戻ったものの、気がつくと人工肛門という状態で。人工肛門は人工的に作られた便や尿の排泄口のことで、これをつけると皮膚から腸が突き出した状態になります。こんな見た目ではモテないだろうと思ってショックでしたが、一方で食事制限がなくなったため、またみんなとご飯を食べに行ったりできるようになったのは嬉しくて。意外と慣れることができました。とはいえ、表に出て大勢の人に会うことには抵抗があり、パソコンを使って家でできる仕事をしようと決意しました。

イケてる先生を目指し医学部受験


パソコンを買ったおかげで、ネットを通じて横浜市民病院で人工肛門を閉じる手術ができると知りました。前の病院の医者には一生人工肛門だと言われていたので、びっくりして。半信半疑で横浜市民病院に行ったら、手術を受けられることになり、無事成功しました。

もしこういう手術があることを知らなかったら、一生人工肛門のままだったかもしれない。情報を掴めてよかったと思いました。そしてなにより、「手術をしてくれたイケてる先生のおかげでハッピーになれた」と思ったんです。

この出来事をきっかけに、医者になろうと決めました。僕を治してくれた先生みたいなゴッドハンドの医者が増えれば、たくさんの人が幸せになれると考えたんです。自分のような潰瘍性大腸炎の患者さんのために生きようと思いました。

医学部受験に向けて、まずは半年間自宅学習をしました。学力も体力も全くないところからのスタートです。参考書を読んでもわからなかったので、どうしようかと思って。その時、学力が低いところから勉強して成績が上がった人が書いた本を何冊か読んだら、全員がノートに書きまくるという勉強法をしていることに気が付きました。だから真似しようと思い、新聞の社説などをひたすら書きましたね。

その後、体力がある程度つくと予備校に通い始めました。全然わからなくてつらい思いをしましたが、人生で初めて持った夢だから、ちゃんとやらないと悔いが残ると思って。自分に合っている勉強法、自分にできることだけに絞って学び、少しずつ成績を上げました。2年間の予備校通いの末、無事高知大学の医学部に合格することができました。

入学した時は、もう5年くらい人とまともにコミュニケーションをとっておらず、体力もない状態でした。でも、外科医というのはコミュニケーションの職業と言われるくらい人との関わりが大切ですし、体力も必須です。この2つを持っていないのは致命的だと思ったので、大学時代にはこれを養おうと思いました。

まず体力がつきそうだからとラグビー部に入部。そして、コミュニケーションに関する本を読んだり、知らない人に話しかけるといった努力をしました。最初、医学部に自分みたいなやばい経歴の人間はいないだろうと思っていましたが、色々な人と出会ううちに自分より変な経歴の人もたくさんいることに気づいて。ここなら自分のすべての過去が受け入れられるのではと思いました。実際にみんなに認められて、暗い過去がポジティブに変わっていきました。だんだん、「自分は生きててもいいのかな」と、生きる価値を見出せるようになりました。

それから、大学では泣けるくらい何かに打ち込んで、今までしてこなかった青春をしたいと思いました。そこで学園祭でのイベントを運営に携わり、ダンス部の友人のためにステージの後ろで流す映像を作ったり、フライヤーを作ってまいたりとさまざまな活動をしました。自分ではなく、他人のために全力で頑張る経験を通して、利害関係なしに誰かのために自分を燃やしきれることが青春なんだな、と実感しました。

研修医を集めて高知の医療現場を改革


楽しいことが多かった大学時代ですが、5年生の時にショックな出来事がありました。病院の職場環境が悪く、うつになっていた先輩が自殺したんです。とても衝撃的で、これから先自分の同級生や先輩、後輩が自殺したらたまらないと思いました。二度とこんなことが起こらないよう、高知の医療現場の環境を良くしようと決めました。

そのために自分ができることは、人を集めることなのではないかと思いました。高知の病院に若者が集まってマンパワーが増えれば、少し上の先生に余裕ができる。そうすれば職場環境がよくなり、若手の教育もしっかりできるだろうと思ったんです。

そこで始めたのが、高知県のブランディング。学園祭の時に学んだスキルを活かして、ポスターなどをデザインして作り直しました。若者に響くような高知のイメージを作って、研修医を集めようという意図です。

医者の世界にも研修医を呼び込むための合同就職説明会みたいなものがありますが、高知の病院のブースは閑散としていたんです。そこで、「胸骨切開ティッシュ」などユニークな制作物を自腹で勝手に作って、勝手に配っていました。すると、それまで配布物はほとんどはけていなかったのですが、3万個近くもはけるようになったんです。研修医の数も増えて、もともと40人くらいだったのが、70人近くにまでなりました。

こうしたブランディングと並行して、研修医同士の仲を深めるための集まりも定期的に開きました。高知は病院単位での意識が強く、病院同士があまり良好な関係ではありませんでした。でも、それでは高知から人がいなくなるだけ。だから自分の代の研修医同士では、仲良くしていこうと思ったんです。

こうした活動を「コーチレジ」と呼んで、どんどん進めていきました。今後も続いていってほしいと思ったので、僕が代表になるのではなく、高知の研修医が代々受け継ぐことのできるシステムをつくりました。
 

日本うんこ学会設立と厚労省入省


研修後は、このまま高知に残って活動していくことを勧めてくれる人もいました。しかし、それではもともとの「潰瘍性大腸炎の患者を救う医者になりたい」という自分の夢は叶えられないと思いました。それでは自分のキャリアに納得できないなと。そこで高知のことは高知の人たちに任せ、かつて手術を受けた横浜市民病院で外科医になろうと思いました。

横浜市民病院は医者を募集していませんでしたが、どうしてもそこで働きたかったので履歴書と自分の想いをつづった手紙を送りました。すると希望が通り、働けることになったんです。しかも運よく、以前僕の手術をしてくれた先生に教わることができました。

ある日、シングルマザーのお母さんが病院にきました。手術をすれば治ると思っていたんですが、いざ開腹すると、腹膜の中にがんが広がった腹膜播種という状態になっていて。もう手術をしても手遅れの状態だったので、そのまま閉じるしかありませんでした。

そのお母さんは自分にとって、心を通わせた患者さんでした。シングルマザーということで、自分の母にも重ねてしまって。この出来事はとてもショックでした。病気の発見時には、手術をしてもすでに手遅れの場合もある。そうならないように、もうちょっと早く病院に来てもらうにはどうしたらいいか考えるようになりました。

そんな時、あるサミットで「うんこ」と「おっぱい」というワードが拡散されやすいという情報を掴みました。そこで、うんこのコンテンツをつくって、そこに大腸がんの情報を入れれば良いのではないかと考えました。そうすれば広告費をかけずに、大腸がんの情報がどんどん拡散されて、早めに医療機関を受診する人が増えると思ったんです。そこで「日本うんこ学会」を設立し、「うんコレ」というゲームをリリースしました。

うんコレでは、課金の代わりに排便の報告をすると、新しいキャラクターが手に入るようになっています。便の状態についての質問に答える中で、病気が疑わしい場合には、病院に行くようアドバイスしてくれる仕組みです。

大腸がんは、進行しないと症状が出にくい病気です。自分で便の変化などに気をつけていないと、なかなか気がつけないんです。ただその知識は、意識の高い人にしか共有されない。実際に病気が進行してから病院に来る人は、健康に対する意識が低く、パチンコばっかりやっているような社会的資源が乏しい人が多い現状がありました。

でも、そういう人たちにも、「うんコレ」なら情報を届けられるのではないかと思ったんです。実際、パチンコの売り上げが落ちるときは面白いスマホゲームが出た時だというデータもあり、ゲームならいけると思いました。また、大腸がん検診が始まる40代になる前に、20~30代の若い世代にも遊んでもらい、お腹の調子が悪い時にはどんな病気の可能性があるかを知ってほしいと考えました。

実際、うんこというワードの拡散力は凄まじく、うんコレはWebを通して広まっていきました。

3年間外科医をやったころ、コーチレジの活動を知った厚労省の人たちに、地域医療計画課のポジションが空くから来てみないかと誘ってもらいました。地域医療に詳しい人を探しているということだったので、病院を離れて入省することにしました。

入った直後は感覚が違いすぎて、「国の人間には病院の現場の声がわからないんだ」と思いましたね。でもしばらくすると、厚労省には厚労省の現場があって、国全体の医療をよくするためにさまざまな駆け引きをしながら世の中を動かしているんだとわかりました。臨床現場は目の前の患者さんに向き合っていますが、厚労省の現場が向き合っているのは国全体。ここにギャップがあったんです。医療の現場と国とをつなぐ必要性を感じました。

厚労省で学んだことの一つが、質とコストとアクセスのバランスが大切だということ。例えば高知の田舎に病院を作れば、地域はアクセスの良いところに医療機関ができてハッピーになるかもしれませんが、それを数十年維持するにはコストがかかります。さらに、県全体でみると医療者が足りなくなり、医療の質が落ちてしまうかもしれません。質、コスト、アクセスは、なかなか三方良しにはなりにくいのです。

国レベルで人を幸せにしようとすると、全体として50点くらいの施策しかできないと感じました。全員にとって100点なんてことはありえないんです。誰かにとって100点の施策は、誰かにとっては0点の可能性もある。だから50点くらいがちょうどいいんです。それを知って、自分は全員に対して50点の医療よりも、自分のまわりの人を確実に助けられる医療を行いたいと思いました。

人と地域と医療をつなぎ、居場所をつくる


現在は厚労省を離れ、秋葉原で2018年9月にオープンさせるクリニックの開業準備をしています。このクリニックのコンセプトは「人生のセーブポイント」。ゲームの中で出てくるセーブポイントのように、ここで休んで回復し、また歩いていけるような、患者さんにとっての居場所になりたいと思っています。

このクリニックを拠点に、力をいれていきたいと考えているのがコミュニケーションデザインです。まずは、医者と患者とのコミュニケーション。今後どんどん少子高齢化が進む中で、病院の医療は効率が重視されるようになると予想されます。医者と患者の接点は少なくなり、患者さんと魂を通わせるような治療はできなくなる。そうなったら、ますます医療が遠いものになってしまうという危機感があります。

そのため、医者と患者が積極的にコミュニケーションをとったり、病院の外でも医療の情報を発信していく必要があると考えています。病院が怖いとか嫌なものだという体験を変えることで、もうちょっと病院も医療も身近なものにしたいんです。うんこ学会の活動も、こうした問題を解決するために行っています。開業後も積極的に地域に出て、地域の人たちに気軽に健康の悩み事を相談してもらえるような医者になりたいです。

また、医療の現場同士のコミュニケーションも促進したいと思っています。医療現場には、患者と向き合う臨床現場、病院の運営などを行う経営の現場、そして厚労省を中心とした国の現場があります。これまで、それぞれがお互いを理解できず、現場間のすれ違いがあることを感じてきました。だから僕は自分の経験を活かし、それぞれの現場をつなぐ、ハブのような存在になりたいと思っています。

誰かのための居場所であると同時に、このクリニックは僕にとっての居場所でもあります。これまでは、日本のため、患者さんのため、世の中のためにという気持ちでさまざまなことをやってきました。それがいろいろな経験を積むうち、だんだん自分と向き合うというか、自分自身の幸せを考えるようになったんです。

自分が幸せなのは、「この人を助けられた」と手応えをもって感じられた時でした。じゃあ、助けたい人は誰だったかを問い直した時、自分の好きな地域で、自分の好きな人たちを助けたいと思ったんです。そのために、小さいころから好きだったゲームや漫画などのコンテンツの発信地である秋葉原で、地域の人たちと関わりながら医療をしていきたいと思いました。このクリニックから、自分自身にとっても、患者さんにとっても、幸せな居場所をつくっていきたいです。

2018.09.06

石井洋介

いしい ようすけ|外科医
外科医。秋葉原内科saveクリニック共同代表。横浜市立市民病院 外科・IBD科医師、高知医療再生機構 企画戦略室特命医師を歴任。日本うんこ学会を設立し、スマホゲーム「うんコレ」を開発した。

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