音楽で世界中の子どもたちを繋げる。
子どもたちの笑顔で平和な世界へ!

磯野 共余さん/音楽を通じて社会に貢献する

はてぶ

開発途上国の子ども達に音楽を届け、音楽で世界の子ども達を繋げる活動を行う磯野さん。長年専業主婦だった磯野さんが、40代でコーチングを始め、さらには50代で音楽で世界を平和にするためにNPO法人を立ち上げました。その背景には、どのような想いがあるのでしょうか。お話を伺いました。

思い込みが自己肯定感を下げる

静岡県伊東市で生まれました。小学生の時にピアノを始めました。ピアノの練習は嫌いでしたね。練習をしないでレッスンに通っていたので、先生にしたら迷惑な生徒だったと思いますが、母がピアノをやめさせてくれなかったんですよ。

でも、発表会は大好きでした。発表会では、難しい曲を弾く人ほどプログラムの順番が遅くて、子ども心に「あの子難しい曲を弾いている」と言われる優越感を味わいたかったんです。なので、嫌いでしたが頑張ってはいました。また、学校の合唱コンクールや行事、市の合唱団でピアノの伴奏をしていたので、音楽は自分の一部でしたね。

両親は、そんな私を音大に進学させたいと思っていて、高校1年生の後半から本格的に音大を目指しはじめました。練習が嫌いなので、受験対策は大変でしたね。東京や静岡、地元の先生の元に毎日のようにレッスンに通ったのですが、先生によって指導方法や感性が違い、自分に合った練習方法が分からず、先生方と上手くコミュニケーションがとれなかったんです。

受験が終わってすぐに楽譜を破って捨ててしまうほど嫌でした。また、受験を通して、音楽の才能がないことにうすうす気づきはじめました。

音大に入学して、才能がある人の中にいることは、私の自己肯定感をかなり下げ、プライドを傷つけました。そのため、大学時代は音楽に打ち込むというよりも、レポーターや読者モデル、イベント関係のアルバイトをしました。アナウンサーになりたいと思った時期もありましたが、そのために必死で努力をしたかと言うとそうでもありません。本当は何がしたいのかよく分からず、20代のキラキラ輝く時期を、悶々と過ごしていましたね。

夢を成功させるのは若い時だけで、大学を卒業するまでの間に好きなことを成功させないともう夢は追えない。残りの人生は、社会人として仕事をするだけ。そんな思い込みを持っていました。音楽に希望を見つけることができないし、何をしても極めることができない。中途半端だった私は、20代で人生を諦めました。私の人生こんなものかと。

地球の回転から取り残されている自分

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