子どもたちに様々な体験の機会を!夢を実現するための、想像して創造する力。
三重県の廃校を再利用し、子どもに「能動体験型学習」の機会を提供する「子どもアイデア楽工(がっこう)」のコウチョウを務める山上さん。独自の遊園地企画を30年続けたことで磨き上げられた「想像力」と「創造力」を、「実体験」を通じて、子どもたちにも引き出して欲しいと考える背景には、どのような課題を感じていたのか。また、「全ての人に夢を持って、諦めずに実践して欲しい」と語る背景には、ご自身が夢を持つことで感じた心の変化がありました。
山上 敏樹
やまがみ としき|遊びながら学ぶ能動体験型学習塾コウチョウ
特定非営利活動法人 子どもアイデア楽工 理事長
1958年京都市生まれ。武蔵野美術大学卒業。30年間、鈴鹿サーキットを運営している株式会社モビリティランドでHondaの遊園地企画に従事。
子ども研究からイマの子どもの危機を感じ、早期退職を決意。
現在は三重県桑名市多度にある廃校を再利用し、独自の能動体験型学習法で子どもと真剣に接している。
各地で講演やセミナー・ワークショップを開催し、イマの子どもに何が必要かを伝えている。
自分の手でものづくりをしたい
京都で生まれました。 小さい頃から勉強は嫌いで、代わりに外で遊んだり絵を描くのが大好きでした。 また、生まれる前に亡くなった祖父は彫刻家で、 実物こそ見たことはないものの、作品の写真を見て衝撃を受けました。 機械なんて使わずに彫刻刀で手彫りした燭台。そこに彫刻された龍が見事だったんです。
祖父への憧れもあり、私も将来は自分の手でモノを作りたいと考えていました。そして、高校2年生の時に美大を目指すことに決めたんです。 受験は2年浪人して苦しい時期を過ごしましたが、大きな学びがありました。
ヌードクロッキーと呼ばれる速写の訓練では、モデルが一定の時間でポーズを変える中でスケッチしていく授業がありました。 モデルがポーズをする時間は30分から始まり、15分、5分、1分、最終的には10秒と、どんどん短くなっていきました。 10秒なんて短い時間では、何を描いていいか分からなかったのですが、 この時、物事を「点と線」で捉え表現することを学んだんです。 これは、絵画的な話だけではなく、人間関係やビジネスにおいても同じで、 個人や強みと言う本質的に重要な「点」がどのように繋がって「線」となって大きなものを描いているのか、そういった思考ができるようになったんです。
上京して武蔵野美術大学入学後は、空間演出デザインを学びました。 「主役」を引き立てるために、いかに「名脇役」をデザインしていくのか、全体のバランスを考える力が身につきましたね。
卒業後は、鈴鹿サーキットを運営している本田技研工業のグループ会社に就職しました。 そこでは、遊園地の遊具の企画だけでなく、自分で設計したものを実際に組み立てや納入まで行っていると知り、0から100まで自分の手で作り上げることができるし、それに子どもが乗っている姿を見られるなんて、そんな面白いことはないと思ったんです。
企画を実現する上で重要な、想像と創造
会社に入って2年目からは、アトラクションデザイナーになり、 乗り物の企画・構想をして、製作するところまで一気通貫で行う仕事に取り組みました。 単品の乗り物のデザインから始まり、エリアのプランニングや、プロデューサーとしての仕事など、 様々な企画の仕事をしていき、部下も持つようになりました。
多くの学びがある中で、「2つのソウゾウリョク」について、強く意識するようになりました。 1つ目は夢を描くイマジネーションの「想像力」です。 想像する時は、とにかく頭のなかにある楽しいアイディアを出していくことが大切なので、 会議などで出されたアイディアを否定してはいけないと強く学びましたね。
幸い上司に恵まれていた私は、「理想の状態はどんなものか?」など多くの質問をされてきたので、自分で考える習慣を持てました。 そして、自分で考えて行動するので仕事が楽しくなるし、 それがモチベーションに繋がって良い想像ができると、好循環を生めました。 逆に、いきなり否定されると明らかに上手くいかなかったので、その差を如実に感じられたんです。
2つ目はイメージをカタチにするクリエーションの「創造力」です。 アイディアを具体的なカタチにしていく作業で、想像力と比べると苦しいものですが、 「ないものねだりではなく、あるものみがき」の考え方を身につけることができました。 理想を実現しようとすると、「あれがない」「これがない」と足りないものに目を向けてしまいがちですが、 そうではなく「何があるのか」を見つめて、最大限活かす考え方です。
遊園地の園長をしていた時の楽しい出来事ですが、園内にはスライダーや流れる機能なんてついていないシンプルな丸いプールがありました。 流行に乗って機能を追加したいけれど、そんな予算はない。 そこで発想を転換させ、マイクパフォーマンスのみでお客さんに同じ方向に回ってもらうことで水流を生み出し、ただの丸いプールを流れるプールに変えてしまったことがありました。
このように、一見実現が難しいことを、どうやって実現するかを考えるのが創造力で、 その手助けをするのが上司の仕事だと学びました。
幼少期の能動体験が成長に影響する
40歳頃に新たな経営者として着任された方からは、色々なことを学べました。 その方は本田技研本社から来た人で、「本田宗一郎」の考え方が身体に浸透していたんです。 それまでも理念は大切だと考えていましたが、会社として何を目的とするかの重要性など、「本田宗一郎」の考え方を、身をもって実感することができましたね。
また、その方の計らいで、子どもの教育に関する研究プロジェクトにも携わることになりました。 ここでは、行政の出すデータなどから、子どもを取り巻く問題や教育の現状など、様々な観点から分析していきました。
例えば、1997年以降に子どもの問題行動が増加していることを知りました。 この年は、14歳だった「酒鬼薔薇聖斗」の事件が起きた年で、 彼の生まれた1983年は家庭用ゲーム機が日本で発売された年。 知育教育で体験の代わりにビデオ教育が行われたり、子どもにゲームを与えて遊ばせるようになった時代背景があり、 そういったことが少なからず子どもの成長に影響していると考えるようになりました。 そして、その他のデータからも、幼少期の能動体験の減少が、人の成長に大きく影響を与えていると考えるようになりました。
プロジェクトは2年半で終了しましたが、その後も興味を持ち続け、個人的に子どもの教育分野での調査をするようになりました。
夢を持つことで、生活が充実していく
一方、会社での仕事は上司が変わってからあまりうまくいかず、次第に愚痴ばかりこぼすようになっていきました。そしてある時、取引先の設備会社の社長にも愚痴を漏らしてしまったことがありました。
すると、その社長は「俺には夢があるんだ」と突然語り始めたんです。 55歳になったら海外に住んで、みかんのように皮が向けるレモンを作るんだと。 最初は何を話し始めたのかと思いましたが、落ち込んでいる自分を気遣ってくれていたんですよね。 大いに夢を語る姿を見て、自分の小ささに気づくことができたんです。 あんなに絶好調だった自分が、何を落ち込んでいるんだと。
そして、自分らしさを取り戻すために、まずはプライベートを充実させようと、昔からやりたいと思っていたことは全部実現しようと思い始めました。 100個の夢をノートに書き出して、1つずつ実践していったんです。
念願だったログハウスを作ったり、昔乗りたいと思いつつ諦めていた中型バイクの免許をとって伊豆半島を回ったり、自分の企画人生を振り返るための執筆を始めたりと、様々なことに取り組みました。
その1つで、昔から続けていた鳥の彫刻で個展を開くことにすると、5日間で700人を超える人が来てくれたんです。 これで完全に自信を取り戻すことができましたね。その後もホノルルマラソン完走や、鳥の彫刻「バードカービング」全日本コンクール上級者コースで一位を獲るなど、夢を描き、諦めずに実践していくことで、生活に活力が湧いていきました。
30年勤め上げた後の、次の30年
夢の中には、「廃校になった学校を再利用し、子どもに能動体験型の教育をする」という構想もありました。 相変わらず教育の研究は続けていて、全国学力テストの成績が下位の地域では、生活が不規則になっていたり、体力測定の結果も良くなかったり、学習塾に通っている率が高いことなども分かっていました。 これは、知識を詰め込む記憶型の学習方法に問題があると感じていたんです。
また、会社の「ワイガヤ」と言う年齢に関係なくアイディア出しを行う会議では、 若い人からはアイディアが出てこないけど、50代など上の世代から意見が出ることが多くあって、 そこにも幼少期の原体験の引き出しが影響していると感じていました。 その様子を見ていると、このままでは日本がどんどん衰退していくと焦りも感じました。
そこで、定年退職後は、「能動体験型」の学習機会を提供しようと考えていました。 遊園地企画で「ソウゾウリョク」に関して学んだことや、子ども研究に携わったことなど、全ては教育を提供するために経験したんだという感覚もありました。
そして、ちょうど入社して30年と区切りの良い時に、早期退職希望者の募集があり、同時期に父が85歳で亡くなりました。 私はもうすぐ55歳になるけど、今会社を辞めて次の夢に挑戦して父と同じ年まで生きれば、これまでのサラリーマン人生と同じ30年の時間がまだある。今がベストなタイミングだと思い、2013年に会社を退職して、NPO法人子どもアイデア楽工を立ち上げることにしたんです。
元気な人が溢れる社会にするために、夢を持ってほしい
私たちは「能動体験型学習」を提供するため、三重県桑名市にある廃校を再利用し、子どもたちに様々な「遊びながら学ぶ」カリキュラムを提供しています。 ものづくりや、食育講座、科学講座などを開いています。 イベントだと一過性で終わってしまうので、基本的には定点観測するためにもカリキュラムという形をとっています。 学校にはその目的に応じた設備が既に整っているので、廃校に目をつけたんです。
ずっと企画の仕事に携わってきた私の役割は、子どもたちが「2つのソウゾウリョク」を磨く手伝いをすることなので、 コーチングの手法を用いて、子どもたちの中から能力を引き出すことを念頭に置いています。そして、この子どもの教育こそ、今までの全ての経験を集約した、自分の使命だと感じています。
また、大人が夢を持てるように、私自身の経験を伝える活動も行っています。 夢を持つことで生活の充実感は変わるし、 大人が夢を見れなければ、子どもも夢を見れないですからね。
そうやって、世の中に夢を持ち、元気な人が溢れかえるような社会にしていきたいですね。 夢を持つことが何よりも活力になりますから。 私自身の夢も、日々アップデートされて増え続けています。
40歳を過ぎてたくさんの夢を持ち、実践してきた私の生き方を見て、 「自分もできるかもしれない」と思い、挑戦する人が増えてくれたらいいですね。
2015.03.20