人間くささから作業療法士という道に。考えるべきことはクライエントの意志。

作業療法士であり、クライエントの意志を大切にし可能性を最大限引き出すリハビリサービスや、介護事業を展開する介護施設長の鎌田さん。作業療法士になろうと思ったきっかけや、クライエントの能動性や自立を促進する仕組みを実現したいと語る背景にはどんな想いがあるのでしょうか?

鎌田 大啓

かまた ともひこ|介護・リハビリステーション施設の統括
作業療法士の資格取得のために大学を卒業後、医療専門学校の作業療法士学科に通う。
作業療法士の資格を取得後、病院勤務を経て、医療法人俊和会さつき地域事業センターに勤務。
現在は同センターのセンター長としてスタッフのマネジメントに取り組んでいる。

仕事だけでなく


私は大阪府大阪市で生まれ育ち、社会人になるまでずっと大阪で過ごしていました。

大学1回生の時、たまたま通学途中で配られていたアルバイトの求人チラシで新聞社が編集補助の仕事を募集しているのを見て、
これやってみたいと思い、そこで働くことにしました。

ほとんど毎日アルバイトに行っていて、シフトによっては夜勤もあり大変でしたが、
記者や編集者のフォローをして自分が間接的に関わった新聞が社会に出て、読者に喜んでもらえていることがすごく嬉しかったですね。
直接読者の反応を見聞きすることができなくとも、
ただひたすら読者の喜ぶ姿を思いながら仕事に取り組むことに人間くささを感じ、そんな仕事が好きだったんです。
そんな経験から、将来は新聞社で働きたいと思うようになりました。

ただ、大学3回生になっても編集補助のアルバイトを続けていたのですが、現場で働いている社員の方々を見て、
次第にこの業界に就職するのは違うと思い始めたんです。
というのは、この業界は転勤ばかりで家庭を持っても単身赴任になることが比較的多かったので、
ほとんど家族と会えないことが分かったんですよね。

仕事は楽しかったのですが、私は家庭を持ったら家族と過ごす時間も大事にしたいと思っていたので、
この業界ではそれは実現できないと思い、就職活動を始める前にアルバイトも辞めることにしました。

人間くささ


就職活動が始まった頃、友人たちと将来何を大事にして生きていくか話したことがありました。
その時、友人たちからは「お金」「安定」などの言葉が出てきたんですが、私はどれにも興味を持てず、
とにかく「人間くささ」を大事にしたいと思っていました。
新聞社の仕事のように、人のことを親身に考え、誰かのためになる仕事がしたかったんです。

というのも、私はいつも周りの人に助けられてばかりで、
大学でもアルバイトが忙しく授業はほとんど出ず、テスト前に友人に勉強を教えてもらってなんとか単位を取れるような状況でした。
ただ、自分には何も特別なことはないのに、そうやって支えてくれる人たちがいつも周りにいることが幸せで、
だからこそ、将来は私自身も周りの人に寄り添って助けられるような人になりたいと思っていたんです。

そんなことを考えながら、具体的にどんな職業が合うのか迷っていた時に、
証券会社で働きたいと言っていた友達がファイナンシャルプランナーの資格を取ったんです。
その時に、就職するにはやっぱり何か資格が必要なのかと思ったんですよね。

そこで、本屋で様々な資格に関することが載っている雑誌を買ってみたのですが、
その時目に付いたのが「作業療法士」という資格だったんです。

お前は逃げている


その作業療法士の紹介ページには、
人の人生は障害を持っただけで終わるようなものでないこと、
他人と比べるのではなく、一人の人間としてどんな人生を歩むかという人生そのものの質が大事であること、
そして、そのことをクライエントに気づいてもらい、サポートしていくのが作業療法士の仕事だ、
といったようなことが書いてあったんです。

私はそれを読んだ時に、なんて人間くさい仕事なんだと興奮し、
どうしてこの作業療法士という職業にもっと早く出会えなかったんだろうと思いましたね。

ところが、この作業療法士になるためには、3年以上の専門教育を受けてから国家資格を取る必要があり、
自分は後1年ほどで大学卒業なのに、一から勉強し直して受験し、また学校に通うなんて無理だと思ってしまいました。

しかし、それを友達に話すと「お前は逃げている」と言われたんです。

その時に正直「お前に逃げてるなんて言われたくない!」と反発する気持ちがわいてきて、
逃げているなんて言わせないためにも、自分の行きたい道に何が何でも進んでいくという強い意志を持つことができたんです。
正直、それだけその友達の一言は心に深く刺さったんですよね。

そして大学最後の1年間は猛勉強し、卒業後は就職せずに大阪にある医療専門学校の作業療法士学科の夜間部に通うことにしました。
昼間に比べて授業料を抑えることができ、働きながら学校に通うことができるため、夜間部にしたんです。

相手のことを考えるサービスを


そして専門学校に通い始めると、知り合いから訪問リハビリや介護のデイサービスなどを運営している方を紹介してもらい、
その方の元で学校とは別に実習させてもらえることになりました。
ここでは色々と面倒を見てもらい、訪問リハビリに同行して現場を学ばせてもらったり、
クライエントに行うレクリエーションの企画を一緒に考えたり、様々な経験をさせてもらいました。

また、ここで働いたことを通じてリハビリや地域医療において大切なことは、クライエントの身体的な回復だけを考えるのではなく、
最終的にクライエント自身が日常生活の中でどんなことをしたいのか把握し、
それを実現させるサポートをすることが大切であり、クライエントの本当の笑顔に繋がると学びました。

そして、無事に4年で卒業試験と国家試験に合格することができ、晴れて作業療法士の資格を取得することができました。
資格を取ってからは作業療法士として大きな病院に就職し、
主に脳卒中等の救急手術を行って間もない患者さん向けに、リハビリ医療を提供していました。

ただ、病院では他の職種の方々とも共同でリハビリ医療を提供することが多いのですが、
専門性や立場の違いから意見が食い違うことも増えていきました。
ある時、そのことを他の病院で働いていた尊敬する先輩に相談すると、
「自分の意見の合わない相手に照準があっていて向かう先を大きく間違えているのでは?
一番大切だと思っていた患者さんと向き合えていないんじゃないの?」と言われたんです。

その言葉に、確かにそうだったと気づかされました。
自分のしたかったリハビリサービスとは患者さんと向き合い、彼らの意志に寄り添うことだったと思い出したんです。

ただ、多くの患者さんを相手にする病院という大きな組織で、
患者さん一人一人のライフスタイルにまで踏み込んだリハビリをすることは無理な話なんです。
それなのに私はそんな組織という小さな限られたフレームの中だけで全てをやりきろうとしていたんです。

そこで、自分が大切にしている理想を現実のものにするには自分からフレームを大きくすることが一番の近道であり、
それを実現できる環境に行くことが必要だと思い、私は病院を飛び出す決意をしました。

クライエントの笑顔のために


そうして4年働いた病院を辞め、専門学校時代にお世話になった方の紹介で、医療法人俊和会さつき地域事業センターで働くことにしました。
最初は1人の作業療法士として現場で働き始め、4年経った今ではセンター長として従業員全体のマネジメントを行っています。

私たちは、クライエントがどんな生活を送りたいかという意志を第一に考えるリハビリサービスを提供しています。
従来のリハビリサービスでは、クライエントの身体情報をもとに一方的に提供サービスの範囲を区切り、押し付けてしまっている一面もあり、
それによってクライエントが日常生活に戻った後の自立心や能動的な行動を阻害してしまっていると感じることもあったんです。

そのため、私たちが大事にしていることは、クライエントにこちらから限界を与えないことで、
リハビリのメニューも100種類以上の様々なアクティビティから、クライエントが何をしたいかを自分で選んでもらっています。
クライエントがやろうとしたことが実現できなければ、なぜできなかったのか、次はどうすれば実現に近づけるのか、
一緒にプランを組み、少しずつクライエントができることを増やしていきます。

できるまで自分で考えてもらうので、ある意味では厳しいリハビリかもしれませんが、
たとえリハビリ中は私たちの前では笑顔でなくとも、自分のコミュニティに戻った時に、
自分の望む行動が実現できたことに喜びを感じて貰えらたら、それほど嬉しいことはないです。

これからもこの温かみのある人間くさい仕事を通して、クライエントの笑顔のために奔走していきたいと思います。

2014.11.09

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