五輪への挫折からプールを専門にした写真家に。
プールにもっと人と笑顔を届けるための挑戦。

プール専門の水中フォトグラファーとして活動する西川さん。水泳選手としてアテネオリンピックの日本代表選考会への出場を経験しながら、社会人になってからは全く異なる業界でエンジニアとして働くことに。そんな中、再びプールに戻り、起業を決意するまでにはどのような背景があったのか、お話を伺いました。

西川 隼矢

にしかわ じゅんや|プール専門水中フォトグラファー
株式会社Rockin'Poolの代表取締役を務める。

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順調な水泳人生のスタート                


私は香川県丸亀市で生まれ、小学生になってから水泳を始めました。元々は、学校で水泳の放課後練習があり、担当の先生が好きで周りもやっているから参加したのですが、小学生4年生の県大会で5位に入り、「これはいけるぞ」と思いスイミングスクールに通い始めました。母やコーチが喜んでくれるのが嬉しくてどんどん力を入れていきました。

また、バスケも好きで、小学校では並行で所属していたのですが、足をくじきやすい体質でドクターストップがかかってしまい、中学校からは水泳一本に専念することに。それからは中2の県大会の自由形で優勝、中3の時に地元香川で開催された全日本中学選手権では、香川県で唯一大会出場の標準記録を突破し、選手宣誓もさせていただきました。合宿ではコーチの個別指導がつくような特別待遇で、ちやほやされることにどこか調子に乗っている部分もありました。

中学を卒業してからは、高松工芸高等学校という水泳の強豪校に進学し、練習漬けの3年間を過ごしました。高校3年生では主将を務め、県大会、四国大会のダブル総合優勝を達成してインターハイに。個人でも県で総合優勝を果たすことができました。

大きな挫折を越えて五輪代表選考会へ 


大学からは鹿児島の国立鹿屋体育大学という、全国のトップアスリートが集まってくる学校に進みました。大学の周りには田んぼとパチンコ屋さんしか無い、とても田舎の環境で、一番近くの大学に行くためにもフェリーを使って1時間半かかる場所だったので、狭いコミュニティで水泳に打ち込む日々を送りました。

それまで、地元で井の中の蛙状態だった私はそこで大海を知り、練習中には同級生の女子選手にも負けてしまい、深い挫折を体験しました。大学1年生の入学直後に周りとの差を知って凹んでからは、春から秋まで夜眠れないような辛い状態が続きました。12時には布団に入るのに4時頃まで眠れず、5時からは練習という毎日で、すごく辛かったですね。

また、私生活でも不運が重なり、バイクの事故を月に2回続けて起こして練習できない状態になってしまい、引きこもるようになってしまいました。先輩からは「あいつはなんだ」と言われ、監督からも、「君水泳人生終わりだよ」と言われ、軽い鬱状態でした。周りはみんな敵だと感じていましたね。

ところが、その状況の中、私のことを嫌っていると思っていた同級生の女の子と話をしたことをキッカケに、少しずつ考え方が変わっていきました。話してみると私のことなんて全く気にしておらず、これまで抱いていたものは全てただの被害妄想だというのがわかったんです。ちやほやされて、変にプライドが高くなってしまっていたんですよね。それ以降は積極的にコミュニケーションを取るようになり、部内でも打ち解けるようになっていきました。

その後、大学2年以降は徐々にスランプから脱していき、大学3年生の時には自己ベストを連発するようになりました。とはいえ、オリンピックに出るという夢を描きながらも、正直、選考会である日本選手権にすら出場できないレベルでした。

しかし、大学3年の冬に行われたラストチャンスとなる試合で、ギリギリで標準記録を突破し、日本選手権兼アテネオリンピック代表選考会への切符を手にすることができたんです。心の中でもしかしたら無理かもしれないと考えたこともあったのですが、本番ではそれまでの自己ベストを大幅に更新し、それまで越えられなかった壁を越えられたんです。本当に奇跡に近い感覚でした。

水泳を離れて気づいた、誰かを喜ばせることへの思い


いざ臨んだ選考会では、メディアが沢山来て非常にぴりぴりとした雰囲気で、あまりにも緊張して完全に空気に飲まれてしまいました。気づけばレースは終わっており、記憶も無い状況でしたね。とはいえ、目標としていた大会だったため、達成感を得ることはできました。

しかし、その後4年生の最後の大会であるインカレではベストタイムが出ずに不完全燃焼で終わることに。このまま水泳人生を終わらせたくないという思いから、卒業後は東京で水泳のインストラクターになることに決めました。

しかし、実際に働き始めると、私が担当したのは、バタフライまで泳げるようになった子どもが入る「選手クラス」で、本当に競泳をしたいという層ではありませんでした。一日5・6時間水の中にいながら、トップ選手の育成に携われる訳でもない。「何故ここにいるんだろう?」とか「自分は水泳界に何が出来るんだろう?」と再び悩むようになりました。

そこで、水泳以外の人生の可能性を考え始め、小学校の頃からPCに興味があったため、IT系の仕事を探すようになりました。IT系の転職フェアにも参加し、初心者歓迎という会社を手当たり次第に回ったのですが、全く相手にされないことが続きました。

しかし、その中で1社だけは対応が違い、私の体格を見て、「君いい体格してるね、ソフトボールできる?」と質問されたんです。その方は部長を務めながら、社内のソフトボールの大会を何連覇もするような監督で、そこを買われての入社させてもらえることになったんです。

実際に就職してからは、官公庁系の堅い仕事に就きました。プログラムのプの字も知らない超初心者だったので最初は苦労しましたが、主任やまわりの人間関係にも恵まれて、1年後にはそこそこ仕事ができるようになりました。

しかし、それと同時に「何か違う」という違和感もありました。大きいプロジェクトの中の一部分である仕事に対し、誰のためにやっているのか顔が見えないことに疑問を抱くようになったんです。給料はよかったものの、悶々としたものがありました。元々、水泳時代もコーチや親を喜ばせたいという思いで打ち込んでおり、「誰かを喜ばせたい」という思いが強かったことを思い出したんです。

自分が喜ばせたい相手


会社では人間関係に恵まれ、ある上司の影響で一眼レフカメラを使い始めるようにもなりました。すると、ちょうど仕事にも慣れてきたある時、その上司から「西川は、今の水泳業界に何か不満はないのか」と聞かれたんです。そこで、「今の試合は、タイムを計るだけで、現役時代からの衰えを確認する場でしかない」と答えると、「お前が面白いと思う水泳は?」という質問に。考えた結果、「もっと誰でも楽しめる、水中の運動会をやりたい」と伝えると、「それをおまえができない理由はあるか?」と 聞かれ、そんなものはないと気づいたんです。

その会話をキッカケに、次の日に上司に企画書を持っていくと、驚いた顔をしていましたが、実際に開催しようという話になりました。そこで、もっと誰でも楽しめる水泳イベントをテーマに、辰巳の水泳場で50名を集めるイベントを開催し、碁石拾いや、バランスボールをバトンにしたリレー等、遊び要素の強い種目を実施しました。すると、初めての試みながら反響は大きく,これを続けていきたいと考えるようになりました。

しかし、イベントが文化として根付くには、年に一度以上定期的に開催したいと思いつつ、その大会はポケットマネーで開催していたので、軍資金が足りませんでした。そこで考えたのがオリジナルメッシュキャップのオンライン販売でした。大会の参加賞として渡した手刷りのオリジナル水泳用メッシュキャップが好評だったので、東京ビックサイトで開催されるデザインフェスタに出展し、ドクロや女体などプリントアウトした、世の中にないスポーツアイテムを創りだしたんです。デザインが面白いと反響は上々でした。

また、その後はマラソンブームにのってランナーズアイテムも作成すると、これまた反応が良く、一念発起し脱サラしてスポーツアパレルの事業を妻と始めることに決めました。しかし、実際に独立してみると、売り上げが伸びず、ネット販売というお客様の顔の見えない商売に走ったので事業は低迷、「喜ばせたい相手はランナーだったのかな?」という疑問から、モチベーションも下がってしまいました。

そんな迷いを抱えている時に、競泳時代から仲の良かった知人が引退をすることになったので、彼の泳いでいる写真を写真集にまとめて、サプライズプレゼントをしようと考えました。 友人の撮影の際に使わせてもらった友人のホームグラウンドのプールは特殊で、小窓から水中の世界を見ることができたのです。私は生まれて初めてそこで水中写真を撮影しました。

その写真を自宅で現像した時の衝撃と興奮は本当に大きなものでした。 「いつも見てたはずの光景と全然違う!」と感じたんです。 この時の写真が私の人生を大きく変え、その写真集を友人に渡すと、本人だけでなくお母さんまですごく喜んでくれました。

一度はブレてしまったものの、その経験から、やはり自分は水泳が好きで、水泳をやっている人を喜ばせたいんだということを再確認しました。そこで、プールで泳いでいる人を専門に撮影する、水中フォトグラファーとして活動を始めることに決めたんです。

固定概念にとらわれない自由でロックなプール


それ以降、水中写真をFacebook上でアップしてみると、大阪のスイミングスクール等から反響をいただき、本格的に手応えを掴んでいきました。スイマーをカッコ良く撮影するためのライティングや撮影方法の実験を繰り返し、自分の撮影方法を確立すようにもなり、自らの世界観を作ることができました。

現在は、プールの中でできる楽しいことを増やし、働きやすいプール環境を創造し、魅力的なプール空間を世界中に発信することで、もっとプールに人と笑顔が集まる社会を創造したいという想いから、株式会社Rockin'Poolを立ち上げて活動を行っています。

固定概念にとらわれない自由でロックな発想をプールの中に入れ、「アート」「遊び」「モノ」を詰め込んだサービスを提供することによって、プールの中にいるすべての人を笑顔にし、プールのあるライフスタイルをより豊かにすることを目的として活動しています。

具体的には、プールの楽しさや気持ちよさ、そして陸上では体験できないプールならではの体験をアートな写真に閉じ込めて、多くの方にプールの魅力を伝えていきます。

また、失われつつあるプールの魅力を引き出すことにも力を入れています。危ないからといって遊具がどんどん減っている公園のように、プールの世界もどんどん規制が強くなってきており、飛び込みや潜水が禁止なプールが多くなってきました。その結果、プールの楽しみ方が減って魅力の低下につながり、プールに通う人口の低下に繋がっていると考えています。だからこそ、昔のようなプールならではの楽しみ方を復活させつつ、テクノロジーを駆使して、危険を回避し、最大限にプールの魅力を発信できるような試みを仕掛けていきたいと考えています。

将来は、4年後までにマイプールフォトスタジオを作り、なんでも自由にできる空間で、これまでできなかった撮影やイベントにもチャレンジし、そこからあらたな文化を発信していきたいです。また、2020年の東京オリンピックの水中競技の写真は私が撮りたいという夢もあります。


※インタビュー:チカイケ 秀夫

2015.10.26

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