和歌山県で働くようになってから、趣味で釣りをしていました。海の幸が豊富な地域なので、どうせなら自分で釣って新鮮な魚を食べたいと思ったんです。

道具や船を出すのに少しお金がかかるので、釣り仲間は、自分よりも上の世代の方がほとんどでした。仕事をリタイヤされた方や、確固たる地位を築き上げた方が多いんです。釣りをしているとそんな人たちと、上下関係なしに仲良くなるんですよね。例えば、自分のところで育てている野菜を届けてくれたり、私が「その釣り竿かっこええな」と言えば、「やるよ。でもリールは高いからやらん」なんて言い合うような仲です。

10年以上も一緒に釣りをしていると、仲間が弱ってくるのを感じました。70歳だった人は80歳に、60歳だった人は70歳にと、年を取ってくるんです。「独身と聞いてるけど、この先どうするのかな?」と思ったり、釣りを一緒にしているときは元気でも、普段は酸素吸入器を使っているとか、しばらく見ない人がいると思えば入院しているとか、ことあるごとに心配する場面が増えました。

次第に、仲間に介護が必要になった時、私以外の事業所の人に見てほしくないなという思いが芽生え始めました。仲間は皆、様々な経験をされてきた尊敬すべき人たち。ひとつでも年上なら尊敬する私にとって、40歳も離れた人に対してはとても大きな尊敬の念を抱かずにいられませんでした。そういう人たちが、必要な配慮もされずに画一的な介護を受けるのかと思ったら、心が痛くなってきて。そんな思いをしてほしくない。それなら、自分で介護施設を作ろうと思ったんです。

私が突然、介護施設を作るなんて言うものですから、周りからは反対されました。でも、人生はひとつしかありません。やりたいことはやりたい。迷いはありませんでした。

分刻みのスケジュールの中で、高齢者施設を作る準備を始めました。高齢者施設は、安全な場所に建てる必要があります。太平洋に面している地域なので、水害などを考慮すると、海から離れた郊外に作る必要がありました。しかし、郊外に高齢者施設があると、家族がなかなか会いに行けないので、利用者にとっても家族にとっても、あまり親切ではないと感じました。そこで、高齢者施設だけでなく、同時に、親、子、孫の三世代が集まれる町づくりをすることにしました。

小児科医に来る子どものお母さんから、近くに遊ぶ場所がないという悩みを聞いていた影響もありました。新宮に住む多くの家族は、休日になると、車で二時間くらいかけて隣町にある新庄公園というところに行きます。そこで昼間は遊んで、帰りに白浜の美味しいパン屋さんでご飯を買って、新宮に帰ってくる、というサイクルを繰り返しているのですが、それを新宮内でもできないかと思ったんです。

新宮にも公園自体はありますが、あえて休日に行こうと思えるほど面白い場所ではありません。それに、市内で消費が進む場所がある方が、市にとってもメリットです。家族が気軽に遊びに行ける場所を市内に作ろうと思ったことも、三世代集まれる町づくりに取り組み始めたきっかけでした。

診療の合間に準備を進めていき、2016年4月に、介護サービス付き高齢者住宅や子どもが遊べる公園、さらには商業施設がそろった「新宮MCスクエア」をオープンしました。