死を意識した時、思い浮かんだのは遊びだった。人生を遊び倒し、世界を楽しく豊かにする挑戦。

「あそびの力で不可能を可能にする」というコンセプトのもと、「実名型遊びの体験メディア」PLAYLIFEを運営する佐藤さん。仕事に打ち込み過ぎて、心身ともに疲れ果て、自殺しようとした瞬間に溢れてきた、遊びの記憶。「遊びの力を信じている」と語り、70億人分の遊びの記憶を集めようとする挑戦の背景には、どんな思いがあるのでしょうか?

佐藤 太一

さとう たいち|遊びで人生を豊かにする
「実名型遊びの体験メディア」PLAYLIFEを運営するプレイライフ株式会社の代表取締役を務める。

商売への嫌悪感、国連職員を目指す


北海道空知郡(そらちぐん)に生まれました。祖父の代から国内首位のシェアを誇る炭鉱を経営する家庭に育ち、小さい頃から商売を身近に感じていました。親から「自分で稼げ」と言われて育ち、仕事を手伝い、対価としてお金を受け取ることが習慣に。遊んだ帰りに友達がお小遣いでジュースを買っていても、自分だけ水道水を飲んでいました。そもそも、お小遣いという制度があることを知りませんでしたね。

小学生の頃から音楽が好きで、中学1年でCornelius(コーネリアス)を聴いてビビっときてからは、ドラムや作曲を始めました。音楽を通じて色々な世界を表現できることや、演奏している人も聴いている人も幸せになることが心地良かったですね。高校生になってからは、メロコア系に傾倒し、バンド活動に力を入れていきました。

高校時代、周りの同級生はアルバイトをしていましたが、私は実家の会社の財務経理の仕事をしていました。そこから、商売とはどういうものなのかや、会社が生き物であることを実感として学びました。ただ、金儲けは大嫌いでしたね。身近にいるからこそ分かる、汚いと感じてしまう部分への嫌悪感がありました。

その反動もあり、将来は国連職員などの公益性の高い職業に就きたいと考えるようになりました。広い視野で、世界の広さを体感したい。世界を股にかけて様々な宗教や文化に触れたい。田舎の炭鉱の息子でいたくない。そう思いました。色々と職業を調べ、世界を股にかけて活躍できる、諜報員(スパイ)になりたいと考えました。映画で見た時の憧れもありましたね。

高校卒業後は、国際経営を学ぶために青山学院に進学しました。大学時代は、犯罪防止ボランティア「ガーディアンエンジェルス」のリーダーとして、渋谷で週3回の街頭パトロールなどを行いました。学問だけできても意味がない、将来世界を相手にする時のために、危機管理能力や交渉力を身につけておきたいという思いからです。犯罪防止だけに、命がけでした。海外では死者が出たこともある危険な活動で、私自身大怪我を負うこともありました。活動に全力で打ち込みましたね。

ガーディアンエンジェルスの他にも、学費を稼ぐため、高校時代の知見を活かして資金調達のコンサルティングを個人で行っていました。ただ、飽くまで目的は生きていくため。商売への関心はなく、友達と遊べて留学が出来るお金があればそれで十分だと考えていました。

音楽の世界で見えたもの、「最強のビジネスマン」を目指す


大学卒業後はアメリカの大学院に進学しました。核の査察活動などを行う、IAEA(国際原子力機関)の職員を養成する大学院で、まさにスパイになるための学校でした。

しかし、憧れていたものとは異なるものでした。『ミッション・インポッシブル』のような世界を想像していたのですが、ほとんどが教室内でのディスカッション。教官に「相手国の施設の爆破や戦闘行為といったことは学ばないんですか?」と質問したところ、「そんなこと学ぶ訳ないじゃないか。爆破なんてしたら国際問題になってしまう。」と答えられてしまう始末。考えてみれば、当たり前ですよね(笑)。スパイは頭を使うことが仕事で、思った以上にアカデミックな世界でした。このまま先に進んでも本当にやりたいことができないと、大学院を中退し、日本に帰国しました。

漠然と「かっこいい」という理由で追いかけていた目標がなくなり、もう一度自分がやりたいことを考え直しました。思い浮かんだのは音楽でした。音楽は人を感動させる力がある。いい音を作って周りを楽しませたい。そう思って、昔から続けていた音楽に本格的に取組みました。早稲田大学の大学院に通いながらDJ・VJとして活動を始め、有名なアーティストのイベントでDJを務め、周りのアーティストが大手レーベルに所属するようになったりと、少しずつ活動の舞台は大きくなっていきました。

メジャーの世界に近づく中で、メジャーデビューしているアーティストですら、自分たちの音楽だけでは食べていけていないという話を聞き、驚きました。ビジネスとして、お金を稼ぐために求められている音楽の形があり、自分たちが本当にやりたい音楽をできているわけではない。

「結局金儲けなのか。音楽もビジネスなんだ。」と痛感しましたね。同時に、「音楽業界のビジネスモデルを考える存在になろう」と決めました。アーティストとしては、小さい頃から練習を重ねてきた人には勝てない。でも、自分は多少なりともビジネスが分かる。音楽×ビジネスなら勝てる。そう考えました。業界のビジネス構造を変えるため、まずは更にビジネススキルをつけようと考え、アクセンチュアからスピンアウトした経営コンサルティング会社に就職しました。

コンサルタントとして働き始めてからは、ビジネスの基礎を自分に叩き込んでいきました。右脳だけでなく左脳も使うようになりました。将来は「最強のビジネスマン」になりたいと考えていましたね。なんでもできる人間になって、音楽業界に貢献したい、と。3年弱働いた後、より優秀な人が集まっている会社で働きたいと考え、株式会社DeNAへ。南場さんのもと、社長直轄でM&Aなどの業務に携わったり、重要なプロジェクトのトラブルシューティングで色んな部署を飛び回ったりしていました。1年ほど働いた後、DeNAで一通り学んだので次は前職の本流が知りたいと思い、アクセンチュアへ転職しました。ぼんやりとですが、30歳までに起業しようと考えていましたね。

電車に飛び込む瞬間に浮かんだ「遊びの記憶」


転職後は、とにかくハードに働きました。負けず嫌いなので、成果のためには時間も惜しまず、飲み会も遊びも全て断って、仕事に没頭しました。自分の思い描いた世界を、ビジネスの力を使って作りたい、その一心で働きましたね。

ある時、メーカーの事業計画を、26カ国分、1ヶ月で作るというプロジェクトの担当になりました。「とにかくやるしかない」という思いで取り組みましたが、やってもやっても仕事が終わらない。過労で、次第に心身に異常を来すようになりました。何か食べると吐いてしまう。コーヒーを飲まないと集中力が保てない。1週間でうつ病のような症状になり、2週目からは短期的な記憶喪失、3週目に入ると今まで興味があったもの、音楽や遊びへの関心を失う、という具合でした。1ヶ月で12キロ痩せました。

それでもなんとかプロジェクトをやり切りましたが、心がすっからかんになってしまいました。「なんでこんなに頑張っているんだろう?」「この仕事は、本当に自分のやりたいことに必要なことなんだろうか?」。気持ちが真っ白になり、最後は「なんで生きているんだろう?」という問いが浮かびました。灰のように燃え尽きてしまい、「自分の人生なんだったんだろうな・・・」と。楽になろうと思っていた時、仕事を終えて歩いていた新横浜駅のホームで、横浜線の線路が目の前にありました。

電車に飛び込もうとした瞬間、思い浮かんだのは遊びの記憶でした。子供の頃に川の近くに作った秘密基地。渋谷の鬼ごっこに沖縄旅行、ヨーロッパ横断。

溢れてくる記憶に、「遊びの思い出しか出てこないんだな・・・」と感じましたね。同時に、自分以外の人類、70億人の遊びの記憶が気になりました。もっと遊びを知りたい、知った遊びを自分でやってみたい。そのためには死ねない。飛び込む方向が変わりました。新横浜駅のホームで倒れ、その先の記憶はありません。

病院で目を覚ましてから、皆が持つ遊びの記憶を共有するサービスについて、すぐに事業計画を書き始めました。退院したその日のうちに、パスポートだけを持って、そのままシリコンバレーへ。現地のスタートアップの知り合いに相談したり、FacebookやGoogleの本社の前で社員にヒアリングをしたり、とにかくがむしゃらに自分のアイデアを磨いていきました。

貯金はありませんでした。高給をもらっていましたが、遊びにお金を使ってしまっていました。友人一人一人に「やりたいことができたから、もう遊べないわ」と連絡し、遊びを止め、必死で資金を貯めました。出資したいという方もいたのですが、「自分の夢だから、人様のお金ではなく自分のお金でやろう」と決めていました。

デザイナーにもエンジニアにも知り合いがおらず、仲間は誰もいません。色んな人に紹介してもらい、一人一人会いにいき、チームを作っていきました。音楽業界で経験したのは、本当に良い音楽を作れるのは、どん底を見て、全てを捨てて突き詰めた人だということ。ビジネスでも同じで、とにかく自分のアイデアを突き詰め、形にすることに力を注ぎました。

そして、2012年6月に会社を退職し、2013年にプレイライフ株式会社を立ち上げました。

遊びの力で人生を豊かにする


現在は、実名型遊びの体験メディア「PLAYLIFE」の運営を行っています。PLAYLIFEでは、女子会やデートに飲み会など、7000以上の遊びの情報を配信しています。ターゲットは、学生から30代まで、遊びを企画する幹事になる人です。掲載されている記事は100人以上のプランナーが実際に体験して作成しています。特徴は、実用性があること、実名であること、写真もテキストもオリジナルであること、実際に体験した人の写真を利用し、表情やシチュエーションなど楽しさのリアリティが伝わることです。

世の中には、多くのまとめサイトやキュレーションサイトがあり、情報は溢れていますが、「良い情報」かどうかまではわかりません。特に、自分が利用したい目的に沿うかどうか。店を探すことは手段でしかありません。デートなのか宴会なのかで、目的は全く異なります。

PLAYLIFEは目的別で課題解決ができるメディアを作っていきます。遊びの質と量を増やすこと、毎日の笑顔を増やすこと。「人生を遊び倒そう」というスローガンのもとに集まったメンバーは20名を超えます。皆優秀なだけでなく、人生を遊び倒すということに賛同してくれて、一緒に遊びたいと思える仲間です。

まずは、日本全国の面白い遊びを全て網羅することが目標です。日本の次は、アジアへの展開を考えています。プランナーにしか分からない、「現地の遊び」を伝えるメディアに。

ゆくゆくは、「今遊びたい」という気持ちを可視化して、近くにいる人と遊べる様なコミュニケーションの領域までサービスを広げていきたいと思っています。「今から遊びたいけど、忙しいかもしれないから連絡したら悪いかな」というような遊びの機会損失を減らしたいんですよね。

遊びの力を、私は信じています。自分が経験したように、人が死ぬ瞬間に思い出すのは、家族や恋人、友人との遊びの思い出だと思うんです。この世にはまだまだたくさん遊びがある。その遊びを楽しみたい。みんなにも楽しんでほしい。遊びを仕事にする会社として、世界をもっと楽しくしていきたいんです。

人生を遊び倒す。遊びの力で、人生を豊かにしていきたいです。

2016.01.06

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