恋も仕事も子育ても、人生まるごと楽しみたい!「女性に生まれて良かった!」と思える社会を。

地域全体で子育てを支援するサービス「まちのてらこや」など、働く女性を応援する事業を行う高原さん。大手企業に勤めながら、起業することを決めたきっかけとは?お話を伺いました。

高原 友美

たかはら ともみ|女性がイキイキと輝ける社会を作る
「まちのてらこや」などを運営する、株式会社サムライウーマン代表取締役を務める。

海外の紛争や貧困地域の人の手助けをしたい


出身は、岡山県倉敷市。公務員の父と専業主婦の母の元、3姉妹の長女として育ちました。初孫だったこともあり、祖父にはたくさん褒められて育ちました。その祖父の影響もあってか、やりたいことに臆することなくチャレンジできるようになりました。

小学2年生の時、アフリカの貧困地域で活動するAMDAの医師のドキュメンタリー番組を見ました。AMDAは岡山にある紛争地や貧困地域で医療活動をするNGO。私たちの生活と全く異なるその映像はとても衝撃的で、雷に打たれたように「将来は私もAMDAのお医者さんとしてアフリカで仕事をするんだ!」と決めました。

ただ、大切に温めていた夢でしたが、高校で進路を考え始めた頃、少しずつ考え方が変わっていきました。紛争や貧困で傷付いた人々を助けるのは不可欠ですが、そもそもの原因である紛争や貧困を無くさなくてはいけないと感じるようになってきたんです。そのために、医師ではなく国連で働くことを目指すようになりました。

そして、もっと広い世界を見るために高校卒業後は東京に行くことに決め、お茶の水女子大学に進学しました。同じ夢を持つ仲間もたくさんでき、刺激的で充実した大学生活を送りました。

大学2年生の時には、内閣府が主催する「東南アジア青年の船」という国際交流事業へ参加しました。これは、ASEAN10カ国と日本の若者が船で共同生活をしながら約3ヶ月船旅をするというもの。船の中ではお互いの国の歴史や文化について学びあったり、「教育」というテーマでディスカッションをしたりしました。私にとっては「世界」に触れるのはほとんど初めての体験。海外の友達も多くできて、国連で働きたいという気持ちは一層強くなりましたね。

また、その経験を通じて「日本」に目が向くようになりました。ASEANの友人たちは、みな自国の未来について真剣に考えているし、国に誇りや愛着を持っていたんですよね。その姿を見て、私も日本をもっと良くするにはどうしたらよいか、50年後100年後も日本が海外の人に愛される国で居続けるためにはどうしたらいいのかということについて真剣に考えるようになりました。

援助ではなく、仕事を作る


大学では、ジェンダーの勉強をしていました。特に発展途上国では、女性の方が貧困に陥りやすいし、暴力や差別の対象になることが多いんです。そうした状況をなんとかしたいと思うようになり、国連では、途上国の女性を元気にする仕事をしたいと考えていました。

しかし、スーダンとケニアの国境沿いにある難民キャンプを訪れた際、「国連などによる外部からの援助って、貧困から脱出する上で、本当に意味があるのかな」と疑問を持ちました。たくさんの国が何十年もアフリカに対して援助を行っているのに、未だに紛争や貧困は無くなっていない。私が進もうとしている道は正しいのかな、と。

一方で、外国企業が進出しているアフリカ諸国は、急速に発展していました。そのギャップを見た時、外部から金銭的な援助を行うよりも、その国に産業や仕事を作り出すことの方がインパクトが大きいのではないかと考えるようになりました。

悩んだ末、国連ではなく、多くの海外事業を展開している総合商社の三井物産に入ることにしました。そして、途上国で産業を作ることを目標に、金属資源本部で働き始めました。

しかし、すぐに大きな挫折感を味わうことになりました。周りの先輩たちがどんどん仕事を進めていく中、わたしはうまく仕事をこなすことができませんでした。上司もものすごく厳しくて、私は毎日怒鳴られてばかり。自信が無くなって萎縮して、また失敗して怒られて…と、負のスパイラルにはまってしまいました。

これまで幸運にも大きな失敗をしたことがなかった私にとって、初めての挫折でした。朝、出勤してデスクにつくと自然と涙が出てきてしまったり、動悸が止まらなくなってしまったり。どうしたらこのトンネルから抜け出せるのか、全くわかりませんでした。

仕事を「自分ごと」にするための決断


部署の方々や同期、大切なお客様たちに支えられながら、負のスパイラルから抜け出そうともがいていた入社4年目の時、ブラジルの大手鉄鉱石会社との交換留学として、3ヶ月間ブラジルに行くことになりました。この期間中、鉄鉱石会社がブラジル国内で保有している、鉄鉱石、銅、アルミ、ニッケルなど、各地に点在するたくさんの鉱山を回りました。

日々、次の鉱山に向けて長距離移動するので、体力的には辛かったのですが、ブラジルの雄大な自然と、明るい気質に包まれたこの3ヶ月間は、自分のことをゆっくりと考える時間になりました。私には、できないこともたくさんあるけど、得意なこともある。できないことは、自分で抱え込まずに周りに助けてもらえばいいって気づけたんです。それからはとても気持ちが楽になり、帰国後の異動先では心機一転、新たなスタートを切ることができました。

異動先では、ブラジルにあるアルミ工場への投資管理と、新規の鉱山開発の仕事に携わりました。アルミ工場への投資管理は、まさに学生時代にやりたかった仕事でした。工場が建つまではブラジルの貧困地域のひとつだった場所に産業が生まれ、人々がそこで働くようになると、人が集まり街ができるんですよね。生活の質も教育レベルも劇的に向上しました。私が関わったのはこのプロジェクトの長い歴史のほんの一部分でしたが、とてもよい経験になりました。

ただ、心のどこかに仕事を「自分ごと」できていないことに、モヤモヤした感覚がありました。常に一歩引いて仕事を見ている自分がいて、心からワクワクしきれていなかったんです。

そんな時、長年付き合っていた彼が、外資系の証券会社を辞めて、自然豊かな瀬戸内地方で飲食店を開くことになりました。そして、その彼に、「きみの人生、本当にこのままでいいの?」と聞かれたんです。心から仕事に打ち込めずモヤモヤしていた自分を見抜かれていたんですね。

そこで、30歳を目前にして私は三井物産を辞めることを決めました。一度しかない人生。ワクワクすることをたくさんしたもん勝ち!と、そこに迷いはありませんでした。

女性がいきいきと輝くための事業を


退職を心に決めた直後、「ミス中央区」(東京都中央区)に選ばれました。軽い気持ちで応募していたのですが、まさか三十路手前の私が選ばれるとは思っていなくて、決まった時はとても驚きました。一緒に選ばれたふたりは、19歳と20代半ばでしたから。(笑)

ミス中央区として活動が始まると、これまで関わったことのない色々な人とお会いする機会が増え、人脈が一気に広がりました。また「ミス中央区」という聞きなれない肩書きのおかげで、いろんな会食でもすぐに私のことを覚えてもらえるようになりました。これは、独立には絶対追い風。このタイミングで会社を辞めるのは間違っていないと確信しました。

そして、2014年4月、7年間働いた三井物産を退職し、6月に株式会社サムライウーマンを立ち上げました。この会社で私は、女性がもっとイキイキと輝くための事業に取り組むことにしました。学生時代は、発展途上国の女性問題を解決することを目指していましたが、社会人経験を経て日本でも女性を取り巻く課題は大きいと実感したんです。

「女性の社会進出」や「仕事と育児の両立」という言葉の裏側で、多くの負担が女性たちの肩に乗っていて、苦しそうな同世代ワーキングウーマンがたくさんいました。仕事をすること、家族を作り育てること。そのどちらも素晴らしいことで、人生を豊かにする前向きで楽しい時間であるべきなのに、その時間を楽しんだり、自らが輝くことを諦めてしまっている女性たちも少なくありませんでした。

何かを得るためには何かを捨てなければならないことも多くて、「優先順位」とか「効率」とかを考えると、「選択と集中」が正しいのかもしれない。だけど、成功とか幸せの形はひとそれぞれだし、そういったいわゆる「男性的な」価値観に縛られなくていい。いろんなことを同時並行で進められるマルチタスク能力が高いと言われている女性こそ、もっとヨクバリに生きてもいいんじゃないかと思ったんです。

街全体で子育てをサポートする事業からスタート


そんな生き方を支えるために、どんな社会の枠組みが必要か考えていき、「子育て事業」に辿り着きました。働きながら子育てする女性と、その子どもたちを街全体でサポートする枠組みがあったらいいのにって思ったんです。

ミス中央区として活動するようになって気づいたのですが、東京にも地域に根ざした古くからのコミュニティがちゃんと残っているんですよね。ただ、マンションなどに新しく引っ越してきた若い子育て世帯には、なかなかそのコミュニティにアクセスする機会がない。保育園を起点に、古いコミュニティと子育て世帯を繋げば、保育園と家庭という小さい範囲で完結しがちな都会の子育てを変えられるんじゃないかと考えたんです。

そして、実際に保育園で働かせてもらいながら物件を探していき、2015年7月、東京の人形町駅近くに、「まちのてらこや学童ひろば」オープンしました。さらに、9月には学童ひろばと同じ建物の2階を使って「まちのてらこや保育園」が開園します。この地域はひとりっ子も多いので、てらこや内で擬似の兄弟体験も提供できたらと思います。

まちのてらこやでは、子どもたちがまちの人と関われるように地元の老舗企業の見学に行ったり、逆に園に来て頂いたりして特別授業を開こうと考えています。まずはこの場所で、まち全体で子育てをする事例を作っていき、それをいろいろな地域に広げながら、日本社会の子育てのあり方を変えられたらと考えています。

そうやって社会の仕組みを整えることで、仕事も恋愛も、ライフステージが変わっても子育ても自分磨きも、全部楽しみながら生き、欲しいものを全部獲りに行く、「ヨクバリな女性」を増やしていきたいですね。

「女の子に生まれてよかったな」と思える女性を増やすために、子育て事業以外にも、いろんなサービスを展開してみたいと考えています。まだまだ始まったばかりの挑戦ですが、私自身もサムライウーマンも「ヨクバリ」に生きていきたいと思っています。

2015.07.28

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