中山 祐次郎さんストーリーのトップへ
医者としての無力感と医療の目的
大学に進学してからは、サッカー部に入り芋焼酎ばかり飲んで、金髪にピアスをたくさん開けて、タバコを吸ってと、完全に周囲とは異質な学生でした。それでも、長い間医学部の授業に思い焦がれていたので、勉強をするのは楽しみでしたね。
ところが、素晴らしい授業が多数ある中、ほとんどの授業が医学が人を「どう治すか」に焦点を当てており、「何故治すか」については議論されていないことに違和感を抱くようになったんです。そのモヤモヤは実習等で様々な患者さんと出会う中でより大きくなっていき、自分の中で葛藤がありました。
その後、卒業が近づき専門を決める時期になると、小児科や救急・外科に関心を持っていました。そこで、色々な病院を見て回っていると、ある病院の外科に見学に行った際、熱っぽくて見学していた会議でぼーっとしていたことがありました。すると、会議中にある部長の方が怒って「お前、やる気が無いなら帰れ!」と怒鳴られたんです。その時に、「絶対にこの病院に行きたい」と心が決まりました。見学に来た学生にキレるほど本気を感じられるような人がいることに強く憧れたんですよね。
そして、無事希望通り第一志望に合格することができ、がん・感染症センター都立駒込という病院で、研修医としてスタートを切りました。
最初の2年間は初期研修という時期なのですが、4月からいきなり「先生」と呼ばれる反面、実務的なことは何もできない状態。点滴一本まともに打てない状況に、圧倒的な無力感を抱く日々を過ごしました。早朝から深夜まで働き土日も無し、患者さんからも上司や同僚からも信頼が得られていないという、とても過酷な環境でした。周りには退職する人も居る中、考える暇無く、歯を食いしばって毎日とにかく必死に生きていましたね。
それでも、多くの患者さんと接していく中で、医療の目的は病気にアプローチをして延命をすることではなく、人を幸せにすることだという、自分の中での答えも出たような感覚がありました。