中山 祐次郎さんストーリーのトップへ
「一生死なない」ような顔をして生きる人々への危機感
医者になって経ったある日曜日の夕方、1週間の仕事を終えて上野駅に医学の教科書を買いに出かけたことがありました。すると、駅の周りを歩いていて、なんだか違和感を感じたんです。皆、普通の顔をして歩いているんですよね。まるで、自分がいつか死ぬことを考えていないかのように。がんの患者さんと毎日接して、多くの方を看取る自分とは対照的に、みんな、まるで「一生死なない」ような顔をして生きていたんです。
そして、その状況に対し、大きな危機感を抱くようになりました。「誰もがいつか死ぬ」という確実な事実を、気づいてほしい、しっかり知ってほしいと感じたんです。それを知らないことで、いつか訪れるその時に後悔すると感じたんですよね。もし予習ができたら、死を迎えた時の無念は減らすことができるし、例えば20歳の時に、死を意識することができたら、生き方ががらっと変わるんじゃないかという思いがありました。
そんな思いを心に抱き、医者としての仕事を続け、私は大腸外科の専門になり、大腸がんの専門家となりました。そしてある時、ほとんど私と同じ歳の患者さんの担当をすることになったんです。その方には若い奥さんと1歳のお子さんがいながら、がんの再発があり、緊急の入院を強いられる状況でした。
「今度はいつ家に帰ることができるかな?先生、焼酎が飲みたいな」
そう声をかけられた私は、病室に焼酎をこっそり持って来てしまおうと考えました。しかし、周りにバレたらもちろんまずいため、どうしようか考えながら一晩過ごしました。
そして、どうしようか迷いながら翌日部屋を訪れると、その患者さんはもう意識が無く、数日後にそのまま亡くなってしまったんです。なんですぐ持っていってあげられなかったんだろうと、医者である自分、いや自分という人間に激しい憤りと、私という存在を揺るがすほどのかつてない悔恨を抱きました。
同時に、「なんで俺が病気になってしまったんだろう」というその患者さんの言葉が頭を離れずにいました。同じ歳の自分ではなく彼が病気になる理由に、「たまたま」という以外のものは無かったんです。また、ここにも受け止めきれない不公平さがありました。