誰もが自分のブランドを持てる業界に。アパレル業界の構造を変えるための挑戦。

服を作りたい人と、服を作れる人をマッチングするサービス「nutte」を運営する伊藤さん。20代でブランドを立ち上げるも大失敗。しかし、「どうすれば成功したのか分からない」とアパレル業界に限界も感じていました。それから数年、アパレル業界全体を変えるために考え続けた伊藤さんの半生をお届けします。

伊藤 悠平

いとう ゆうへい|縫製マッチングサービス運営
縫製マッチングサービス「nutte」を運営する株式会社ステイド・オブ・マインドの代表取締役を務める。

女性ファッションブランド立ち上げを夢見る


私は東京で生まれ育ちました。高校生になり進路を考えた時、漠然と女性のファッションブランドを立ち上げたい気持ちが湧いてきました。

自分で着る服やお洒落にこだわりがあったわけではありません。ただ、どこかで見た「ヨウジヤマモト」ブランドの服のイメージが頭に焼き付いていたんです。モノトーンの布を揺らして歩く女性の姿、その服の揺れていった後の余韻。同じように美しいブランドを立ち上げたいと考え、卒業後は服飾の専門学校に進学したいと考えていました。

ただ、進学校だったため周りの友達は大学進学を目指していて、私も流されるように大学に進むことにしました。特にやりたいこともなかったので、授業には身が入らず麻雀ばかりして過ごしていました。

一方、将来ブランドを立ち上げたい気持ちは変わらず、洋服のお直し屋さんが開く洋裁教室に通い、少しずつ服飾に携わっていました。趣味程度のものでしたが、洋服作りは楽しかったですね。ただ、ファッションの専門的なことを学んだわけではなかったので、将来ブランドを持ちたいとは思いつつ、大学卒業後は一旦就職することにしました。

就職、専門学校、そしてブランド立ち上げまで進む


入社したのは、ポスター等の紙媒体の広告デザインを行う会社でした。そこで未経験ながらもデザイナーの見習いとして働き、印刷物をパソコン上で制作していくオペレーションのスキルを身に付けることができました。

ただ、会社の経営状況は思わしくなく、またブランドを持ちたい気持ちは持ち続けていたので、その後2年ほどで退職し、専門学校のバンタンデザイン研究所に入ってファッション制作の全般を学びました。選んだのは社会人向けの1年のコースでしたが、カリキュラムにはデザイン、パターン、制作、企画とあらゆる内容が組み込まれていて、毎日課題に追われる忙しい日々が始まりました。正直「辞めたい」と思うこともありましたが、「1年だから頑張ろう」と何とか続けていきました。

専門学校を修了したタイミングで、大学時代に洋裁教室に通っていたお直し屋さんから、店を継がないかと話をもらったんです。オーナーも高齢だったので、誰かに引き継ぎたいと。

そこで、仲間とそのお店を引き継いで、自分たちのファッションブランドを立ち上げることにしました。お店には工房があるので、そこで試作品の制作をすればいいと思ったんです。

ブランドを立ち上げる上で、自分がデザイナーでなくてもいいと考えていたので、経営の立場に周り、デザインは他のメンバーに任せることにしました。そして試作品が完成し、徐々に展示会に出すための服が出揃ってきました。統一感もあったし、可愛くてカッコいい服だったので、「これはいけるぞ」という感覚がありました。

どうすれば成功するのか、道筋が見えないアパレル業界


ところが、展示会は惨敗でした。買い手はほとんど付かず、付いたとしても数点の発注。とてもじゃないけど量産するほどではなくて商売にならず、ブランドを畳むことにしました。

悔しかったですね。ただ、「じゃあどうしたらうまくいったのか?」と考えても、一向に答えは出ませんでした。考えれば考える程に、日本発のブランドで確立されているものはほとんどなく、ファストファッション以外、アパレル業界はどの立場の人も儲かっていなかったんです。

負けたままでは終われない。このアパレル業界をなんとかしたい。そう思いつつも、具体的な方法は思いつかなかったし、生活のために仕事はしなければならなかったので、前職のスキルを活かして印刷の会社に就職し、働き始めることにしました。

並行でお直し屋さんの経営は続けました。赤字でもなかったし、アパレル業界で何かするための糸口にはなると思っていたんです。その後結婚し、妻も「自分で何かを作りたい」と考えていたので、せっかく服を生産するノウハウはあるのだから、販路を作れたらと思ってネットショップの運営もしてみましたが、うまくいきませんでした。

会社の仕事にもやりがいはありましたが、アパレル業界のことを考え続ける生活を7年ほど送っていきました。

第二の人生はアパレル業界のためにある


ある時、アパレルの通販ショップから「服を作れますか?」と受託生産の依頼がありました。この時、自分たちの様に服を作るスキルを持ちながらも、そのスキルを活かす場がない人がたくさんいるのではと思いついたんです。メーカーが海外に工場を移転したことで閉鎖されてしまった日本の工場は多いので、そこで働いていた人の時間とスキルを有効に活用する方法があるんじゃないかと。

そして、「服を作りたい人」と「服を作れる人」のマッチングサイトの事業アイディアを持ち、新規事業のコンテストに出場することにしました。起業家の先輩や投資家の人からフィードバックをもらうことでより具体的に事業の計画が見えてきて、これならアパレル業界を変えられると希望が見えてきました。

しかし、その頃から、妻と価値観がすれ違うようになっていきました。妻は仕事は自己実現するためのもので、自分のやりたいことを、できる範囲で追求したいと考えていました。一方、私は仕事は多くの人に影響を与えるためのもので、より大きな規模の事業になるかどうかに重きをおいていたんです。

仕事観の違いなので、どちらが良いとか、そういう話でないことは分かっていました。結局、私は妻に見限られてしまい、2014年の11月に離婚することになりました。

この時に、私は人生の目的を失ってしまいました。ある種終わってしまった人生。これからの人生は新しく立ち上げるサービスの利用者さんのために捧げようと思いました。負けっぱなしの人生でしたが、アパレル業界を変えるためだけに生きていこうと。

アパレル業界の構造を変えるサービス


2015年2月に、縫製マッチングプラットフォーム「nutte(ヌッテ)」を立ち上げました。服を作りたい人と、服を作れる職人さんをインターネット上で繋げるサービスです。

このサービスを通じて、まずは服を作る職人さんが稼げるような社会を作っていければと思います。そうすることで、若い人も縫製業界に入りたいと思ってもらいたいですね。

また、服を作る側も、現在はメーカーなどの企業がメインですが、今後は一般の方や、個人事業主の方にも多く利用してもらえればと思います。結婚や出産などで仕事を辞めた後の仕事として、ネット通販ショップを開く人も多くいますが、実際に商品を作ったり、仕入れ先を探すのは難しいこともあります。そこで、服飾のアイディアを持っている人が、nutteを使うことで手軽に販売する商品を作れるのではと考えています。特に犬の服とか子供服とか、工場でのラインを持ちづらいものほど需要があると考えています。

そうすれば、規模は大きくないけれど、独自のブランドを持てる人が増えていくし、買う側もファストファッション以外の選択肢を得ることができるんです。その世界まで持って行くことができれば、アパレル業界は今とは大きく変わると感じています。

私がブランドを立ち上げた時も、今もまだまだ日本のアパレル業界は稼ぎづらく、若者が目指したいと思いづらい業界ですが、nutteによって業界構造を変え、日本のファッションを盛り上げていきたいです。

2015.03.06

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