人生を楽しむため、時間や場所には縛られない。自由な生き方を子どもたちにも見せていく。

子どもと過ごす時間を増やすために独立し、フリーライターとしての仕事、そしてフリーランサーをまとめる会社経営を行う三河さん。小さい頃から“やること”と“やらないこと”を自分で線引きして、ある種「わがまま」に生きてきたとか。そんな三河さんが独立を決意した経緯など、その半生を伺いました。

三河 賢文

みかわ まさふみ|走るフリーライター
走るフリーライターとして執筆活動をしながら、ナレッジ・リンクスの代表を務める。

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やることとやらないこと


私は宮城県仙台市で生まれました。
正義感が強い子どもで、いじめられている友だちを助けて、自分がいじめられてしまうなんていうこともありました。

スポーツ全般が好きで、中学ではバスケ部と駅伝部に入り、途中でバスケ部から陸上部に転部。
そして高校生になると、「3000メートル障害」という競技を始めました。これは障害物を飛び越えたり水濠に入ったりする競技で、
普通に走るより面白いと思ったんです。

しかし高校3年生になると、学校に行かなくなってしまいました。というのも、学校の授業が必要だと思えなくなったんです。
大学受験で利用する科目「現代社会」の授業はなく、逆に、授業で行う「数学3C」等は受験に不要。さらに、そういった科目を将来社会で使うとも思えず、「勉強は自分でやろう」と決めてしまったんです。それから、学校にはほとんど行かなくなっていきました。

昔から、やると決めたことはやるけれど、やらないと決めたことはやらない、わがままな性格だったんです。それは、父の影響が大きかったのかもしれません。
父は障害を持っているので、様々な苦労をしてきたと思います。
その分、私には「制約があっても意思があるのであればなんでもやりなさい」というタイプの人で、
小さい頃から何をやるにしてもダメとは言われてこなかったんです。

しかし大学受験には失敗し、浪人することになりました。

自由にのびのびと


浪人中は東京に出て、新聞奨学生として働きながら勉強していました。東北は仕事が少なく、将来は漠然と東京に出てこようと思っていたので、
ちょうど良い機会だったんです。
とは言っても、実際に将来の具体的なイメージなんて持てていませんでした。
そこで、大学は父のことを理解できるようになりたいという思いや、高齢化社会において将来自分の生活にも役に立つとの考えがあり、
社会福祉を学ぶことに決めました。

ただ、自由にのびのびできる環境が好きだったので、東京の窮屈さにはうんざりしていたんです。
そのため、大学くらいは田舎に行きたいと考え、茨城にある大学を選びました。

入学後、気がつけばあまり入る気がなかった陸上部に入部していました。
しかし浪人生活でブランクがあったので、同じ種目は難しいと思い十種競技を始めたんです。

大学生活の序盤は授業に出つつ、部活に打ち込む日々でした。
ところが2年生の時、怪我などをキッカケに退部。その後は、空いた時間で色々なアルバイトをしていくうちに、
「せっかく時間があるのだから、誰にでもできる単純作業ではない仕事がしたい」と思うようになったんです。

すると調べている中で、学生が大学を紹介するWebライターの仕事が見つけました。
それまで本を読むことが苦手だったのに、文章で表現することは意外に楽しく感じ、
また、自分が書いたものが世に出る喜びもあって、ライターのアルバイトを探すようになりました。
これが、私がライターとして仕事を始めたスタートラインです。

どうせ働くなら楽しく


3年生になって就職活動が始まると、かなり早い段階から動き始め、就活サークルも立ち上げました。
新聞配達をしていた時に「自分でお金を稼ぐ」ことを体感したことから、自分が楽しいと感じられる仕事がしたいと思っていたんです。
ただ、楽しいかどうかは実際にやってみないと分かりませんから、色々な企業を見る中でどこが合うのかを見定めていきました。

そんな中、私はあまり人付き合いが得意ではなかったこともあり、あえて営業にチャレンジしようと考えました。
また、当時伸び盛りだった人材業界を中心に見ていき、いくつか内定をもらった中からある企業で働くことを決めたんです

そして大学4年生になり、卒業論文以外の単位を取り終えていたので、内定先でインターンを始めました。
学生と面談したり、受け入れ先の企業に営業したりと、毎日朝から晩まで働く日々。
充実していましたが、しかし徐々に「別の会社で働きたい」と思うようになり、4年生の11月に内定を辞退して、改めて就職活動を始めたんです。

すでに自分の卒業年度の新卒採用活動はほとんど終わっていたので、直接会社に連絡していきました。そして、医療系人材を扱う会社への入社を決めたんです。
また、入社直前に婚約していた彼女の妊娠が発覚し、入社1年目に結婚。同年に長男が生まれました。

子どもと過ごす時間を大切に


営業として仕事を始め、2年目には売上げトップを達成。
その頃からWebサイトの運営などに興味を持ち始め、営業企画としてインターネットを使った集客の仕事にも携わるようになっていきました。

しかし上司と折り合いが悪かったことや、営業以外の仕事をしたいと考えるようになっていたことから、2年半ほどで転職することにしました。

転職したのは、Web系企業の企画職。
入社してすぐに会社の数字分析などを担い、今後の事業予測といった仕事を任されました。
しかし分析を進めていくと、会社の経営状態が芳しくないことが分かってきたんです。
経営陣は「やっぱり」というような反応で、程なくリストラまで始まっていきました。
このとき、私を“雇う”余裕があったはずなのに、人を“解雇”していることに強い違和感を感じました。
「それなら、その人たちに自分の仕事を任せればよかったのに」って。

この時、いくら会社に属していても自分でコントロールできることは少なく、
安定なんて無いことに気づいたんです。

また、ちょうどこの頃に長男が言葉を話し始めていました。
家で話しかけられて喋ってみるのですが、それを見て妻が笑っていたんです。「全然会話が成り立っていない」って。
妻は毎日子どもと時間を過ごしているから、子どもが何を言っているのか分かる。
しかし私は仕事があり、子どもと過ごす時間が少ないから、日々の成長をあまり見ることができない。
子どもの成長なんてあっという間なのに、その瞬間に立ち会えないなんて、そんな悲しいことないと感じたんです。
ちょうど次男が妻のお腹の中にいたこともあり、「子どもと過ごす時間を、もっと増やしたい」と強く思いました。

そんなことが重なり、また、副業として行っていた営業代行や企画、ライティング業務に良い感触を得ていたこともあり、
会社を辞めて独立することにしたんです。

人生を楽しむために


独立する直前に、知り合いからの頼みで会社の立ち上げを手伝いました。その会社で取締役を務めながら、
独立後はライター業務を中心に自分で仕事を受けていったんです。
すると、徐々に「他のライターを束ねて、取材や執筆を行ってくれないか」と要望をもらうようになりました。
次第に1人ではなく、他のフリーランサーチームで仕事する機会が増加。そうしていくうちに、依頼される仕事の領域はどんどん広がっていきました。
「スキルはあるけど、地方に住んでいて仕事が少ない」という方とも繋がりが増え、いつしかその規模が大きくなっていったんです。
そこで、「個人の仕事とは分けた方が良い」と考え、2014年に会社の立ち上げを決めました。それが、現在代表を務めるナレッジ・リンクスです。

また、独立して1年が経った頃、Twitterで出会った人がキッカケでランニングを始めていました。
いつしか本気で取り組むようになっており、会社設立をキッカケに「“走る”フリーライター」として名乗り始めたんです。
それからは、ライターとしてスポーツ系の取材や執筆も多く依頼されるようになっていきました。

現在は約150人のフリーランサーと繋がり、プロジェクトごとにチームを作って仕事を請け負っています。
また、“走る”フリーライターとして、多くの本やWebメディア等で執筆も行っています。

また、走ることが生き甲斐化しており、レースに参加することはもちろん、
打ち合わせ先から2時間ほど走って帰ったり、温泉まで走って行って仕事をしたりと、毎日のように走る時間を作っています。

さらに、最近は中学校で陸上部のコーチもしています。
十種競技は陸上競技のあらゆる種目を経験しますが、競技者は少ないんです。
そのノウハウが若い人に受け継がれないことに課題を感じて、「それなら、昼に時間を作れる自分が教えたら良い」と考えました。

そして、もちろん子どもとの時間は大切にしています。
現在は3児の父親ですが、子どもたちの成長を間近で見られることは本当に嬉しいですね。
学校の行事も、ほとんど全て参加しています。
運動会やお遊戯会など年1回のイベントは、そのたびに子どもの成長を感じます。
前はまともに台詞なんて言えなかったのに、ちょっとした感情表現まで見せたりして。

そうやって、大切なことに時間を使えるよう、私は自由な生き方を設計しています。
私にとって仕事は人生の全てではなく、人生を楽しむための手段なんです。
ただ、人生を楽しむためにはお金は必要で、それならば楽しく働きたい。

そして、そんな自分の姿を見た子どもたちが、社会に出ることをポジティブに捉えてくれたらいいですね。
子どもにとって働くことに親の姿は影響がすごく大きいし、そこでネガティブに感じてしまうと、大人になってから意識を変えるは難しいですから。
私は、子どもたちにも自分の人生を楽しんでもらいたいんです。

子どもが成人したら、今度は妻が自由にできるように支えていきたいですね。
今ももちろんですが、我慢させてしまっていることは多いと思うので。
例えば2人でお店を開くなんていうのも、良いかもしれません。

2014.12.28

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