中途半端だった自分が見つけた勝てる場所。社会課題を解決し、歴史に名を刻む人物になる。
複数のインターネットメディア運営を通して世の中のニーズを正しく把握し、「なくてはならない」サービスを開発、展開している春日さん。社会課題解決を通じて歴史に名を刻みたいと言います。そう考えるに至った背景には何があったのか、お話を伺いました。
春日 博文
かすが ひろふみ|ポート株式会社代表取締役
2011年に大学卒業と同時に創業。現在はキャリア、ファイナンス、メディカルの領域で特化型インターネットメディアを複数運営。メディアで集めた知見活かして、就職相談やオンライン診療などのリアルプロダクトを開発。2018年に東証マザーズに上場。
「まあまあ」コンプレックス
埼玉県東松山市で生まれました。小さい頃から自己主張が強いタイプで、自分の意見は周りの大人や友人たちにしっかりアピールしていました。そのせいか、学級委員長に運動会の応援団長、部活の部長など、いろいろな役割を経験。小学生や中学生の時は、リーダーを任されがちでした。それなりに器用にこなせていましたね。
器用にこなせるのは勉強やスポーツも同じで、どちらもわりと良い成績を残してきました。ただ、高校生になってなにをやっても「まあまあ」できるけど、逆にいうと全てにおいて一番じゃないことに、どこかフラストレーションを感じるようになりました。いくら勉強しても学年で一番にはなれないし、いくらスポーツに打ち込んでも、全国大会出場などの良い成績は残せなかったんです。
特にスポーツでは自分に合った競技があるはずだと、水泳、サッカー、野球、卓球と、様々なことを経験しましたが、どれも一定のレベル以上にはなれず、そんな自分が好きではなかったですね。
結果がでなければ意味がない
高校3年生の時、とある大学への推薦の話をもらいました。ただ、他にもっとレベルの高い大学に行きたいと思い、推薦を辞退したんです。
その後、浪人して予備校で1年間、朝から晩まで勉強しました。同じ予備校の誰よりも長時間、勉強していた自負がありました。必死の努力が身を結んで、模試の成績もトップクラスになり、志望大学には確実に合格できると周りから言われました。自分も絶対に合格できると、自信を持って受験に臨みましたね。
ところがセンター試験当日、会場の異様な空気にのまれて緊張してしまい、いつも通り試験に臨めなくなってしまいました。その結果、最初の科目はボロボロ。これまで普通にできていたことができなくなって動揺し、焦るうちに2科目目、3科目目も終わってしまいました。そのまま気持ちを立て直せずに試験は終了、最悪の結果でした。
その後2次試験に臨みましたが、合格できたのはたった1校、それも、現役時代に自分が推薦を断った大学だけでした。あれだけ勉強したのに結果は何も変わらなかった。自分の浪人した1年間は全くの無駄だった。結果が出なければ意味がないと思い知らされました。
ビジネスなら一番になれる
1年間を棒に振ったので、入学当初はどこか焦っていました。なんとかして大学の4年間で周りの人たちからの遅れを取り戻さなければと、公認会計士や税理士など資格の勉強を始めました。ただ、勉強がすごく好きなわけでもなく、結果的にはすぐに飽きてしまい、友人たちと遊ぶようになっていましたね。
そんな中、たまたま飲み会で目の前に座っていた人が、学生起業家の方でした。学生なのにビジネスをしていることに衝撃を受けました。私の父親は学校の先生ですし、これまであまりビジネスに触れる機会がなく、本当に何も知らなくて、そんな世界もあるのかと驚いたのです。
また、彼から「今何か頑張っていることはある?」と聞かれ、なんとなく「資格の勉強をしている」と伝えると「なぜ資格の勉強をしているの?」と聞かれ、理由なんて考えた事もなく、うまく答えられませんでした。
そんな私に彼は「これまでは社会のレールの中で生きてきた。勉強という形でインプットしたものを試験でアウトプットしてきたけど、これからは違う。自分で主体的に何をするのか、まずアウトプットをして、そのためのインプットをすることが求められるようになる。人生最後の学生生活において、無目的に生きるのではなく、主体的な生活を送るべきだ」と言いました。
さらに続けて「これまでとは違うやり方だから、まずはやってみないと自分に合ってるかどうかわからないよ」とも言われました。そんな言葉を聞いて、確かにこれまでと全く違った生活をしない限り、今までの人生を変えることはできないんだと思いましたね。
その人と話したことで、1年間無駄にした分を取り戻すためにも、何か始めなければと思いました。しかし、ビジネスなど今までと全く違う分野に飛び込む勇気が出ず、なかなか一歩を踏み出せない毎日が続いてしまっていました。
1年ほど経った頃、起業している先輩から、大学生向けビジネスコンテストの運営メンバーにならないかと誘われました。このチャンスを逃すともう一生変われないんじゃないかという危機感から、イベント運営に参画しました。
任されたのは、イベントに協賛してくれる企業を探す仕事でした。自分を変える絶好のチャンスだと思い、わからないことしかなかったですが、必死でセールストークを学び、いろいろな会社に提案しに行きました。その結果、1カ月ほどで高額の協賛を獲得できたんです。その経験が自信になり、数カ月で運営メンバーの誰よりも多くの金額を集められるようになりました。
これまでの人生の中で、何一つ一番になれなかった自分が、ビジネスの世界が自分には向いているのではと思うようになりました。
スポーツや受験は、一発勝負の本番で結果がでないと意味がないし、制限時間も存在する。でも、ビジネスは制限時間はないし、やり直しも効くから地道にやればやるだけ成果が出る。まずやってみて、やりながら習得していくというアウトプットからインプットするものでもある。そんな性質が自分には合っていると思ったんです。
それからは、さらに結果を出せるように、提案の仕方を社会人に教わったり、自分の声を録音して聞き直したりして、営業スキルを磨いていきました。ビジネスコンテストの後ではそこで接点を持った企業から声をかけてもらったり、優秀な学生の紹介サービスを個人事業主として始めたりと、次々に新しいことにチャレンジしていきました。
すっかりビジネスの世界にのめり込んだ大学3年生の時は、かなりのハードスケジュールでしたね。朝4時まで仕事して8時まで仮眠。9時からまた仕事。そんなサイクルでした。
「歴史に名を刻みたい」と起業
大学3年生の夏頃になると、自分のビジネスを続けながら就職活動を始めました。個人事業を続けていく気はなく、最初は大企業に就職したいと思っていました。浪人時代に無駄にした1年間を挽回するには、周りの学生より少しでも有名な企業に入るのが大事だと思っていたんです。
多くの企業にエントリーシートを書く中、ふと「そもそも僕は何をやりたいんだろう」と、人生に疑問を持つようになりました。何でもそこそこしかこなせなかった自分でも、ビジネスの世界なら人よりも大きなことが成し遂げられるかもしれないと、大学生になって気がつきました。どうせビジネスをやるなら、歴史の教科書に載るほど大きなことを成し遂げたいと思い至ったんです。そこで、自分の人生の目標を「歴史に名を刻む」に決めました。
目標を決めた上で進路について考えると、すでに大きなことをやっている大企業に入るよりも、ゼロから大きなサービスを作った方が世の中に与えるインパクトが大きいのではと考え、大企業への就職はやめました。
そして、今まさに世の中にインパクトを与えるサービスを作ろうとしているスタートアップ企業に入ろうと考えました。どこでそんな企業と出会えるかわからかったので、スタートアップ企業に出資している、いくつかのベンチャーキャピタルに「御社が出資している会社を紹介してほしい」と履歴書を送りました。
その中で唯一返事をくれた会社の人と会い、そこで「歴史に自分の名を残すために、大きなことができるスタートアップ企業に入りたい」と自分の希望を伝えました。すると、「だったら自分で起業した方がいい」「もし自分で会社を立ち上げるなら出資する」と言ってくれたんです。
これまでずっと個人で仕事をしてきたので、いきなり自分で会社を持って誰かを雇う立場になりたいとは考えていませんでした。むしろ、なれると思ってもいませんでした。起業は、スキルアップしてからどこかのタイミングでできればいいなくらいに思っていたのです。
しかし、投資家の人と話すうちに、どこまでスキルアップすれば起業できる、といったラインなんて存在せず、人生の目標に近づけるならすぐにでも起業した方が良いなと思いました。そこで、大学卒業後、就職はせず、起業しました。
資金調達のたびに上がる目線
立ち上げたのは、これまで個人でやってきた採用支援をソーシャルメディアを使って行う会社でした。
サービス内容は決まったものの、会社のビジョンや売上目標を考えていた時、投資家の人から「日本の市場の中で考える必要はないよね」と言われました。確かに、ソーシャルメディアは外国でも使われており、手法さえ確立できれば十分世界でも通用する商品だと思ったのです。そこで、まずは「アジアナンバーワンの企業」を目標に据え、会社を立ち上げました。
起業して半年ほどたった時、開始したサービスの売上もぐんぐん伸びていて一気に社員も増えていっていました。その時に、投資家から「春日くん、上場しよう」と提案されました。起業の時と同様、これまで自分が思い描いてなかった目標を提案されたのです。確かに、歴史に名を刻むためには、大きなインパクトを与える会社を作らなければならず、その通過点として上場はしなくてはならないなと考え、上場を目指すことにしました。
2年ほど経った頃、売上、利益は順調で増員もしていて非常に好調でしたが、新しい投資家から「歴史に名を刻む会社をつくるためにはもっと大きな投資フェーズが必要だ。赤字を恐れて経営してたら大きな会社を作れないよ」と言われました。ここで一気に投資して、飛躍するきっかけを作ろうと思い、2度目の資金調達を受け、新しいサービスに挑戦することにしたのです。
始めたのは就活生用のウェブメディア。就活生にとって価値のある情報を正しく届けるサービスでした。順調にユーザー数は伸びて行き、メディアの価値はどんどん高まりました。
立ち上げて2年ほど経った頃、3度目の資金調達を行いました。この時の資金調達では、また新規の投資家から「たった一つの小さな成功で満足しちゃいけないよ。その就活メディアのノウハウを活かして、全領域でナンバーワンを目指していこう」と言われました。
確かに、このまま就活会社になってしまったら歴史に名を刻む会社を創れないと思い、拡大を目指し、ナンバーワンのメディア企業になろうと挑戦することにしました。サービスの領域を「採用」から他の分野へも広げることにしました。
それに伴って会社名を「ポート株式会社」へと変更。市場という名の大海原での中でヒト、モノ、情報が交流する港、すなわちPORT(ポート)のような存在になりたい、という思いを込めました。採用領域だけでなく、世の中に存在するあらゆる社会問題を解決し、新しい当たり前を作ることをミッションにしました。
このように、数々の資金調達を通じて、その度に多くの投資家の皆さんからのアドバイスをうけ自分の目線を上げ続けてくれました。それが30歳で上場、など自分一人では成し遂げられなかった結果を作ってきたのだと思います。
社会課題解決のためルールを変える
現在は、ウェブメディアの運営と、そこで得たデータを活用した様々なサービスの開発、運営に取り組んでいます。
メディアは、キャリア、ファイナンス、メディカルなど領域ごとに立ち上げていて、中立的でわかりやすい情報提供を心がけています。
また、メディアには社会で何が求められていて、どんなサービスを作れば社会課題を解決できるかを探るという役割があります。ユーザーの情報や行動変遷を分析し、そこで得たデータを元に新しいサービスを開発します。例えば就活支援メディアから得た情報を元に、就活の相談やキャリアのマッチングができるサービスを展開しています。
最近では、医療関係のメディアを運営する中で発見した課題感を解決するため、高血圧の患者さんを対象に、スマートフォンを活用してオンライン診療を受けられるサービスを開始しました。これによって、より手軽に医療サービスが受けられるようになりました。
元々は法律でオンラインでの診療は認められていませんでしたが、医療機関との共同研究をつうじてオンライン診療の効果を証明しました。法律の改正にもチャレンジし、自分たちが描いたあるべき社会づくりに数々取り組んできましたし、結果的に法律も改正され、サービスをリリースできたんです。真に社会課題の解決に繋がるサービスであれば、法律すら変えられると感じました。今後も、民間企業だからこそできるやり方で社会課題の解決に向けて尽力していきたいです。
今後も扱う社会課題の領域はどんどん広げていきたいです。例えば法務領域にも挑戦して弁護士への相談の心理的ハードルを下げ、もっと気軽に相談できる窓口を作りたいと考えています。
歴史に名を刻むためにも、社会課題を解決し、世の中からなくてはならないと思われるようなサービスを生み出し続けていきたいです。
2019.07.27