自分の人生の経営者を増やすことが私の使命。会社や他者に自分を委ねず、創造的に生きる。
【株式会社アイランドクレア提供】創業期のガリバーインターナショナル(現IDOM)に経営メンバーとして携わり、4年で全国展開と上場を実現させた吉田さん。現在は培ったノウハウを生かし、自らも経営に参画する形で多数の起業家・急成長ベンチャー企業を支援しています。そんな吉田さんが経営者として実現したいこととは。お話を伺います。
吉田 行宏
よしだ ゆきひろ|株式会社アイランドクレア代表取締役社長
1958年、福島県須賀川市生まれ。ガリバー(現IDOM)の創業メンバーとして、全国展開、上場、グローバル展開など急成長を支える。現在は多数のベンチャー起業家を支援する。著書に『成長マインドセット』、組織の成長にフォーカスした『全員経営者マインドセット』がある。
※この記事は、株式会社アイランドクレアの提供でお送りしました。
強制されることが嫌いな子どもだった
福島県須賀川市で、3兄弟の末っ子として生まれました。子どものころから物事の構造や仕組みづくりに興味があり、機械を解体するのが好きでした。隅々まで分解して、どんな仕組みで動いているかを観察していました。好奇心や探求心が強かったですね。
加えて、「主体性が強い」子どもでもありました。幼稚園児のころ、私が描いた怪獣の絵に、父が「こうすればもっと強く見えるぞ」とパーツを書き足しました。私はそれがすごく嫌で、泣いて怒ったんです。自分で創造したり工夫したりすることが好きで、「オリジナリティ」にこだわっていたのです。
裏を返せば、他人が決めたルールや型にはめられるのが嫌い。言われたことをただ真面目にやるタイプではありませんでした。目的がわからない勉強を押し付けられることに反発したし、宿題もやらない(笑)。それでも両親から、「やりなさい」と口うるさく言われることはありませんでした。そのように伸び伸びと育てられたせいか、「怒られるのが嫌だから」「褒められたいから」といった理由だけで自分の行動を決めることはありませんでした。
そんなスタンスのまま成長し、高校時代には自分でデザインした制服を着たし、剣道、ギター、スキーを誰にも習わずに自己流で習得しました。教室でレッスンを受けたほうが早く上達することはわかっていても、自分のやり方で工夫し、何度も失敗しながらも実践でコツをつかみました。自分で考えることに徹底的にこだわることが重要で将来に役に立つ、そんな実感がありました。
ものの見方や考え方は、父の影響を受けました。父は地元でデパートとショッピングモールを営む経営者でした。物事を一面的に見るのが嫌いで、私がニュースを見て大衆的な意見をいうと、いつも「一概に言えない」とか「その人の事情もあるから、簡単に決めつけられない」と反論されるんです。カチンときて言い返すこともありましたが、それ以上に、多面的な視点を持つ大切さを教わりました。
父はいつも忙しかったので、友達と同じように親子でキャッチボールするような時間はありませんでしたが、寂しくはありませんでしたね。その分、母が釣りや潮干狩りに連れて行ってくれて。経営者や商売人の家庭ってそういうもんだと思っていました。
何かに依存したくない。「経営者」を志す
高校3年生の夏に部活を引退するまで、進路については何も考えていませんでした。両親から「将来は会社を継げ」といった強制は一切なく、「自分の人生は自分で決めなさい」と言われていました。経営者を目指すような教育は受けていませんでしたが、父が真剣に仕事や人生に向き合う姿を見て「かっこいい」と感じていました。何かに依存したくないという気持ちもあり、自然と経営者を志すようになったのです。
関東に出たいという思いもあり、神奈川県の大学の経済学部に進学。剣道部に入部しましたが、部活だけの毎日に違和感を感じやめてしまいました。それからは麻雀とバイトの日々でした。勉強には熱心ではありませんでしたが、要領がよかったので、2年間で必要な単位をすべて取り終えました。
3、4年時は最先端ビジネスと英語を学び、卒業後すぐにアメリカ西海岸へ渡りました。父の会社の海外での仕事を手伝いながら現地のビジネスを学び、1年後に帰国。アメリカで知り合った友人と一緒に、起業の準備を始めました。フリーペーパーやレンタルビデオなど、あったらいいなと思うビジネスの案を出し合ったのです。しかし、すぐ起業するには資金も実行力もないため、まずは父の会社で修業させてもらうことにしました。跡を継ぐつもりはなく、「丁稚奉公」という感覚です。
さまざまな部門を経験しましたが、特にやりがいを感じたのは企画部門です。デパートとショッピングモールで開催するイベントのマーケティングや企画、プロモーションなど幅広く担当しました。全国各地の物産展や世界の動物展など、思いついた企画にはとにかくチャレンジし、形にしていきました。
父が社長であったため、肩書きのない私も常に「経営者の目線」で物事を見ていました。経営の視点のほかにも、財務、マーケティング、マネジメントなど経営に必要な知識を身に付けつつ、真剣に経営を実践し、11年後、自分の会社を立ち上げるために独立しました。
今までにないものを創造したい
「価値ある仕組みを作り、全国展開を目指そう」。起業当初、そんな構想を抱きました。この発想は、アメリカでの経験がベースにあります。アメリカは何でもダイナミックでスピーディーで、ワクワクするものがたくさんありました。たとえば、日本ではありえない巨大なショッピングセンターのモデルをどんどん店舗展開していく。自分のビジネスに置き換えた時、人間が本質的にワクワクするものを広く提供していきたいという思いがあったのです。
自分の会社を興し、首都圏で展開しているフランチャイズビジネスの加盟店をスタートする準備をしていたのですが、自分のやりたいこととは少し違うという感覚がありました。すでに作られた仕組みの中に参加するのではなく、新しい仕組みを作る側に回りたいと思ったんです。
そんなとき、福島県で創業したばかりの、ガリバーインターナショナルの羽鳥兼市社長と出会いました。社員が10人にも満たない会社でしたが、羽鳥社長は「全国展開」と「自動車流通革命」というビジョンを描いており、私が目指す方向性と一致していました。中古車事業はまだまだ顧客志向ではなく、変革できる。自分が培った経験も活かせる。可能性を感じて、ガリバーへの参画を決めました。
まず着手したのは、「仕組み作り」です。中古車販売といえば、空き地に車を並べ、プレハブの事務所で販売している業者が大半。買取と販売を同時に行い、相手によって提示価格を変える、「経験と勘」に頼るビジネスでした。そこで私たちは「買取専門」に特化し、データベースから適正価格を算出するなどのシステムを築き、どの店舗でも均一のサービスを提供できるようにしました。
中古車ビジネスの常識を破る仕組みにより、創業4年で株式上場と全国展開を達成。10年目には売上高1000億円を超え、「働きがいのある会社」へもランクインを果たしたのです。
主体性を持つことで、人は成長できる
会社が急成長を遂げる中で、私はFC事業、経営戦略、マーケティング、人事、教育、IT、財務などの担当役員を務め、業務の仕組み化を進めました。中でもこだわりを持って取り組んだのが、人材育成です。
組織が拡大していくプロセスでは、「組織の活力が落ちている」と感じることもありました。それはなぜかと考えたとき、「上が決めて指示を出しているばかりでは、社員が自分で考えなくなる」という危機感を抱いたのです。
組織を活性化し、成長を続けていくために必要なのは、「全員が経営者のような『当事者意識』『オーナーシップ』を持ち、主体的に動く」ことだと考えるようになりました。
そこで、メンバーに声をかけるとき「会社の目標を達成するために頑張ろう」というメッセージだけで終えないようにしたんです。もちろん、プロとして給与をもらうからには会社に貢献するのは当たり前なのですが、それだけを目標とはしない。「自分の仕事にオーナ−シップを持ち、顧客に徹底的に価値を提供する。それが自分自身を大きく成長させ、人生を豊かにする」。そんなメッセージを送り続けました。
人は、自分が成し遂げたい夢や目標、つまり「強い動機」があれば100%の力を発揮できる。そしてそれは、主体的で当事者としてのものでなければならない。一貫した信念を持ち、人材育成に取り組みました。
大勢の社員たちと接してきた中で、「このように接すれば人は成長するのか」と実感したことがあります。それは自分が心から相手に興味や愛情を持ち、相手の成長や幸せを願うこと。自分に興味がない人、愛のない人の話なんて聴きたくないし、響きませんよね。実際、チームマネジメント力が高くない人の傾向として、人に興味がない、他者への愛情が薄い、他人の成長への想いが弱いという特徴が見られました。
そんな私の見解に対し、「どうしたら人に興味を持てますか」と聞かれたことがありました。そういえば私自身が人に興味や愛情を持てたきっかけは何だったのか。振り返ると、次のような場面が浮かび上がりました。
「修羅場を経験し、人は一人では生きられないと悟ったとき」「多くの社員を採用し、本当に彼らに幸せになってほしいと感じたとき」「仲間と目標を達成し、喜びを分かち合えたとき」。
つまり、自分が気付き、学び、育つ「場」をいかに経験するかが重要だと思ったのです。振り返ると私の父も、私を経営者の会合に連れていっていろいろな経営者の話を聴く機会を与えてくれるなど、「場」を作ってくれていたと思いました。
私自身、2人の娘に対しても「自分自身で考えさせる」「体験の場を設け、選択肢を増やす」ことを意識しました。子どものころから門限も小遣いの額も決めず、自分で正しいと思うことを判断させましたが、問題は起きませんでした。彼女たちは進学も海外留学も自分の意志で決め、自分の足でしっかりと人生を歩んでくれています。
そういった経験に基づいて、相手の成長や幸せを大切にして人を育てていきました。
羽鳥社長がガリバーを創業した54歳になった時、一つの節目と感じて、自分自身も次のステージに進もうと決め、退職しました。それまでの経験から、人材育成などに関心はありましたが、明確な目標があったわけではありませんでした。
すると、さまざまな方から経営に関してアドバイスしてほしいと声を掛けていただいたんです。初めはただアドバイスをするだけでしたが、徐々に口だけ出して何も行動しないのは性に合わないと感じ始めました。そこで、運命共同体として出資して支援することにしました。自分の会社を立ち上げ、ベンチャー企業を中心としたハンズオンの経営支援を始めたんです。
私のミッション「成長のサポート」
現在は、株式会社アイランドクレアの代表として、次世代を担う人材育成に取り組み、25社ほどのベンチャー企業を支援しています。事業に出資するほか、講演や研修などを通じ、人の成長を促進する方法を伝えています。より多くの人にノウハウを届けられるように、書籍も出版しました。
支援している企業のリーダーたちへワークショップやメンタリングを行うと、皆、成長の途中では、仕事の壁やチームマネジメントに悩み、強いストレスや迷いで暗中模索の状態になります。しかし、それらの課題を周辺環境や他者のせい、つまり「他責」にするのではなく、強い「オーナーシップ」を持つこと、仕事と人生を切り分けずに主体的に生きることを会得した後は、大きく変貌を遂げるのです。
「ネガティブな思考が減った」「ストレスが減って、楽になった」「仕事が楽しくなった」「自分の中に軸、信念ができた」「他者、チームメンバー、全社の視点で考える機会が増えた」などと言ってくれるほど、大きく成長していきました。
私は、多くの人が無意識のうちに自身の人生を会社や他者に委ねてしまっていることで、悩みやストレスを抱えていると思います。自分の人生のオーナーシップをしっかり持てば、仕事も人生ももっと豊かで創造的なものになるはず。こうして自分の人生の「経営者」になる人を増やすのが私の喜びであり、生涯続けていくライフワークだと思っています。
2019.06.20