過去と未来をつなぐ事業に力を注ぎたい。57歳の私が写真ビジネスで独立した理由。
大手事務機器製造メーカーを退職し、アナログ写真を高精細にデジタル化し、名前やコメントの付与ができるサービスを立ち上げている西村さん。57歳で大手企業を辞め、独立の決断をするに至った背景をお伺いしました。
西村 克彦
にしむら かつひこ|写真のデジタル化事業運営
アナログ写真のデジタル化事業などを行う、株式会社クロスマインズの代表取締役を務める。
CapBaseにてクラウドファンディング挑戦中!
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技術者になる
私は山口県下関市の特牛という片田舎の漁師町で生まれ、
小学校3年生の頃からは家族の病気もあり祖父母の元で暮らすようになりました。
宇宙が好きで、祖父が技術者だったことも影響し、夏休みの工作では自分で簡単なプラネタリウムを作って県に表彰されたこともありました。
また、家電製品に興味があり、テレビや冷蔵庫が動く仕組みに興味を持っていて、
将来は自分も技術者になりたいと思っていました。
カメラも好きだったので、高校では写真部に所属していましたね。
そして、将来は天文学者になりたいと考え、理論物理を学ぶ大学に進学することにしました。
大学では、場の理論を勉強し、ゼミにも所属していたのですが、
教授に理論物理学や天文学者では食べていけないと言われてしまったのです。
そこで、天文学者になれないのであれば、天体望遠鏡を作るのも良いと考え、
大学院は工学部に入り、応用物理学を学ぶようになりました。
ただ、就職の時期になり、最終的に入社したのは研究室の先輩から紹介してもらった、
旭光学工業株式会社(ペンタックス)という会社でした。
研究室からの就職は先輩や教授の繋がりで決まることが多く、天体望遠鏡を作る仕事ではありませんでしたが、
東京で働くということで、上京した際には「ここで生きていくんだ・・・」と、ブルッと武者震いしましたね。
電子写真開発に打ち込む
会社に入ってからは、ハイドロキシアパタイト(リン酸カルシウム)を用いた人工歯根を開発する仕事に従事して、
その後、電子写真と呼ばれるレーザープリンターなどに使われている技術の開発を行うようになりました。
一見全く違うものですが、どちらも粉を扱う技術が必要で、私はその技術を学んでいたので異動となったのです。
そして、電子写真に関して先輩から教えてもらっているうちに、どんどん興味が湧いてきて、
どうせなら電子写真の技術開発にもっと力を入れている会社で働きたいと思うようになってきたので、
28歳の頃にキヤノン株式会社に転職することにしました。
転職してからはずっと電子写真の研究をし、レーザープリンターの開発に携わり、
25年以上働くと、管理職として部下のマネジメントをする立場になっていきました。
そんな中で、会社の様々な人と飲み会で話していくうちに、若い人が意気消沈している様子が気になっていったのです。
意気消沈と言ってもやる気が無い訳ではなく、むしろ良いものは持っていて何かしたいと思っているのですが、
そのエネルギーをどこに向けて良いのか分からず、くすぶっているようでした。
そこで、若い人がワクワク働けるような組織にしたいと思い、
管理職が中心になり、若手社員や地域も巻き込んで有志の研究会を発足することにしました。
若者がワクワクできる組織
その研究会の名前は、同志が美しく働き、賢く生きるという意味の込めて発案した「美働賢生」という言葉が気に入り、
美働賢生スマート研究会と名付けました。
この研究会では会社はどこを目指すべきかビジョンを考えることや、若手の成長をサポートすることを目的としました。
そして、実際にこの研究会の若手メンバーが企画をし、
TEDee@CanonというTEDの動画を見ながら英語を勉強するグループが会社にも発足しました。
これは若い人が主体になることが目的なので、
あくまで我々年次の高い人間は、相談されたら「こう思うよ」とアドアバイスをするだけで、
「こうしたら良いのでは」とは口を出さないことに決めていました。
そうやって若い人と話していると、我々の時代とは生きてきた文化が全く違うので、お互い興味を持ちあえて話が弾むし、
こちらもエネルギーをもらえるので楽しかったですね。
また、仕事でお世話になった人のパーティに出席した時に、
クロスフィットと呼ばれる海外で流行している運動プログラムのジムを経営している人に出会ってから、
ジムにも通うようになりました。
このジムのみんなで行うレッスンは朝6時30分か夕方6時から開始だったのですが、
週に3回程は通うようになり、そこでも若い人との交友関係が広がってきました。
ジムというと一人で運動するイメージがありますが、クロスフィットはみんなで一緒に運動するのです。
また、運動によって脂肪が落ち筋肉がつきはじめ、体型が変わってくると心もエネルギーに満ち溢れるようになっていき、
どんどん色々なことに興味を持ち、行動に移すようになっていきました。
アナログ写真をなんとかしたい
そんな生活をする前後に、実家の山口に帰ることがありました。
実家には両親や祖父母などが写る昔の写真が多くあったのですが、残念ながら、授かった子どもは、逝ったため、いつかはこの写真もなくなるのかと危惧していて、昔から何とかしたいと考えていました。
それまでは特に何をするでもなかったのですが、
この時は東京でも写真を見たいと思い、何気なく写真をデジタルメラで撮影することにしたのです。
そして、その写真をタブレットを使って母に見せると、母はすごく喜んでくれたのです。
また、親戚のお見舞いに行った時に同じようにタブレットで昔の結婚式の写真を見せると、同様にとても喜んでもらえました。
デジタルに保存した写真を見せて喜んでもらえるという事実が、今まで漠然と写真を何とかしたいと思っていた私の心にはすごく響いたのです。
一方で、結婚式の写真に写っている人の中に、当事者である母ですら誰だか思い出せない人もいました。
それは悲しいことだと感じ、写真をデジタル化するだけでなく、
いつ撮影されたものか、誰が写っているのかという情報をコメントとして付与するサービスを始めたら良いのではと考えるようになっていきました。
導かれるように独立
しかし、写真のサービスに取り組みたいと思うものの、会社の仕事との両立は難しく、なかなか実現できずにいました。
また、会社では知財部門で働くようになっていて、お世話になっている大田区の企業の方々へ貢献していくには、弁理士の資格を取る事がベストと考え、
2014年の年明けには、その年の4月から始まる資格学校への入学手続きも済ませていました。
しかし2月になると、写真のサービスに取り組みたい気持ちが日に日に強くなってきて、
さらに複数の人から「西村さんは独立するような気がする」と言われるようになってきました。
極めつけに、3月に祖祖父母の50回忌で実家に戻った時に、お坊さんが「家にある写真をどうにかしたい」と言っていて、これは何かに導かれているんだと確信しました。
そして、写真のサービスや若者支援により多くの力を注いでいくため、
2ヵ月前までは全く思っていなかったのですが、会社を辞める決意をして、妻にその気持を伝えました。
すると妻も応援してくれたので、一切の不安はなく5月に会社を退職することにしました。
そして、7月8日に株式会社クロスマインズを立ち上げました。
過去と未来をつなぐ
今は、PictCloudというアナログ写真を高精細にデジタル化して、写っている人の名前やメッセージを追記するサービスの準備を進めています。
アナログ写真を持っている自分と同世代の人たちはパソコンに詳しくない人も多いので、
最初は難しいシステムにするのではなく、とにかく写真のデジタル化とメッセージの追加から始めようと思っています。
そして、徐々にクラウド管理などに移行していく予定です。
家族や祖先の写真を保存することで、子孫にルーツを知ってもらうのも良いですし、
自分自身の写真を残していくために保存していくのも良いと考えていて、
とにかく、せっかく撮った大切な写真が失われてしまわないように、デジタル化して保存できればと思います。
将来は写真だけではなく、絵などもデジタル化し、クラウドでメッセージとともに保管したいです。
技術も同様に失われてはならない大切なものだと考えているので、このサービスでなくとも、
技術を後世に伝えるお手伝いはしたいと考えています。
また、若者がワクワクできる社会を作るため、TEDee@Canonのサポートは勿論、
美働賢生のビジョンにしたがった活動は平行して続けています。
自分の経験や機会を提供することもそうですが、自分自身が頑張っている姿を見せるのが一番若者に影響を与えられるのではとも思っていますね。
私にとって、PictCloudは今の自分に影響を与えてくれた人たちと自分をつなぐものであり、
美働賢生ビジョンによる活動は、自分とこれからの若者をつなぐものなんです。
クロスマインズという会社にも、様々な人と心の交流をしたいという意味が込められているので、
過去と未来、この両軸を繋げられるように、今後も様々な活動やサービスに力を入れていきます。
2014.11.08