小さな「きっかけ」で広い世界に飛び出せた。人生には多くの選択肢があることを伝えたい。
学生の留学を支援するSNS「SchooLynk」を運営する鈴木さん。小学生の頃に海外への憧れを抱き、高校から大学までの学生時代を海外で過ごします。小さな「きっかけ」で人生が変わった、と話す鈴木さんが、起業して実現したいこととは。お話を伺いしました。
鈴木 陽平
すずき ようへい|株式会社Doorkel代表取締役
株式会社Doorkel 代表取締役。人生における選択肢を広げるためのきっかけ作りを支援している。
「世界は広い」という衝撃
岐阜県関市で生まれました。地元はとても田舎で、子どもの頃は山の中を探検したり秘密基地を作ったりと、外でばかり遊んでいました。冒険することが大好きで、知らない山や川に行って虫を採ったり魚を捕まえたりしてましたね。小学生になってからは、大阪まで新幹線で一人で行ってみたり、名古屋まで自転車で一人旅をしてみたりと、チャレンジの規模が少しずつ大きくなっていきました。とにかく知らない世界、外の世界が楽しいなという感覚でした。
小学3年生のときに、家族でラスベガスに旅行に行きました。父はカジノに、母と姉妹は買い物に出掛けてしまい、僕は一人、ホテルのバーでビリヤードをするアメリカ人のお兄さん達を「かっこいいな〜」と思いながら見てたんです。そのうち彼らが「一緒にやらないか」と声をかけてくれて、嬉しくなって交ぜてもらうことに。英語は全く話せなかったので何を言ってるか分からなかったんですが、とにかくお兄さん達が格好よくて、彼らと一緒にビリヤードをしたその時間がすごく楽しかったんですね。「世界は広いんだな、会ったこともないような人達がたくさんいるんだな」という衝撃を受けて、海外への強い憧れを抱きました。
旅行を終えて岐阜に帰ってみると、自分が生きている世界がすごく狭いものなんだと気づきました。いつかもっと広い世界に出てみたい、遊んでくれたお兄さん達と対等に話したり仕事したりできるようになりたいと考えるようになりました。海外への憧れはどんどん強くなり、母に頼み込んで英会話教室にも通い始めました。ただ、勉強はあまり好きではなくて、成績も悪かったですね。
中学生になって進路を考え始めた頃、周りの大人を見てみると自動車関連の仕事に就いている人が多くいました。地元は自動車会社の孫請け企業や製造工場が多い街で、将来は自動車関連の仕事に就くのだという友人も多くて。ただ僕は、自動車の仕事にも魅力を感じる一方、外にはもっと多くの選択肢や可能性があるのではないかと感じていました。このまま地元に残ると将来が限定的になっちゃうんじゃないかという危機感があったんです。海外には広い世界があることも知っていたし、海外への憧れも変わらずに強かったので、海外の高校へ進学することにしました。
とはいえ、周りに海外の高校に行こうとしている人はおらず、情報もほぼ無い状態。中学の先生にも、進路指導の時間に「海外なんかに行って、もし諦めて帰ってきたらただの中卒だぞ。それでもいいのか」と言われて。正直本当に不安でしたね。留学したいと伝えた当初は親も当然反対しましたが、でもやっぱり諦められなくて。インターネットを使って必死に情報収集をしました。調べていくうちに、個人的に若者の進学を金銭面から支援してくれる篤志家から奨学金をもらって進学する方法があることを知りました。
その情報を得た後は、両親に「なぜ海外の高校へ進学するべきだと思うか」を毎日プレゼンしてなんとか説得。資金面も、両親からの支援も大きいですが、インターネットを使って全額ではないにせよ多額の奨学金を出してくれる人を見つけることができました。その方からオーストラリアへの進学を進められたこともあり、高校からオーストラリアに進学できることになりました。
高校から海外へ、苦労と充実の日々
オーストラリアに行ってからは英語に苦労しました。小学生の頃から英語を習ってはいたものの、全然聞き取れないし伝わらないし、当初は「こんなにだめなのか!」と落ち込みました。常に辞書を持ち歩く日々でしたね。それでも、もともとスポーツが好きだったことやホストファミリー先のお兄さんに誘われたこともあって、オーストラリアンフットボールのチームに参加するようになり、そこで楽しみながら英語を学んでいきました。
これまでは日本語が通じることが当たり前の世界に生きていたのに、言葉が通じない世界がある。大変なことも多い生活でしたが、自分の中の当たり前が当たり前ではない世界に出くわしたからこそ、いろいろな違いを素直に受け入れられるようになり、柔軟な考え方ができるようになりました。その経験は、英語を身につけた以上に自分の自信になりましたね。
オーストラリアで1年を過ごしたことで英語力も学力も伸び、支援してくれていた方から「もっとアカデミックな環境で挑戦してみてはどうか」と、世界共通の大学入学資格と成績証明書を与えるプログラムである「国際バカロレア」の資格取得を勧められました。通っていた高校では取得できなかったため、資格が取得できちょうど入学シーズンだったイギリスの高校に進学することに。
イギリスではバカロレアの教育システムに則った特徴的な授業についていくのが大変でした。考えることや探究することに重きを置いているのがバカロレアの教育の特徴で、答えのない問題に対してディスカッションをする形式の授業が多いんです。暗記中心の日本の教育に慣れていた僕は、「君はどう思う?」とか「アジア人としてどう思う?」とか意見を聞かれても、答えることができなくて。答えが載っているだろうと思って教科書をめくり始めて、みんなに笑われたりしましたね。
自分の考えを持ち、分かりやすく伝えること、違う意見も受け入れながら自分の考えを主張することが全然できなくて、最初はとても苦労しました。でも、その練習を繰り返すことで小さな成功体験を積み上げていき、いつの間にかその環境に慣れている自分に気づきました。最終的にはバカロレアのスタイルが面白く感じるようになり、どんどん勉強に励むようになりましたね。
そんな環境だったので、日頃からアジア人、日本人としての意見を聞かれることが多く、アジア人としてのアイデンティティが強くなっていきました。また、経済の授業で「これから世界のビジネスを牽引していくのはアジアだ」と学んだことから、進学先としてアジアの大学を目指すようになりました。アジアでトップレベルの人たちと一緒に学びたいという気持ちから、進学先として選んだのは香港大学。大学には予想通り、今後アジアを率いていくような優秀な人がたくさんいました。ディスカッション形式の授業で理解を深めたり、チームを編成して一緒にプロジェクトをしたり。周りの人達からたくさんの刺激を受け、有意義な大学生活を送りました。
選択肢を広げるきっかけ作りをしたい
就職を考える時期に日本でリーマンショックが起き、地元で自動車関連の仕事をしていた友人が、職を失うなど大変な目に遭っていることを知りました。地元の友達を支えられるような仕事、間接的にでも貢献できる仕事ができないかと考え、日本で就職することにしました。就職先として自動車産業やメーカーなども考えましたが、新人の頃から仕事を任せてもらえる環境の方が良いと思ったので、自動車産業に強い外資系の戦略コンサル企業を選びました。
入社後は仕事で海外を飛び回る日々。優秀な人達に囲まれて、海外で得た自分の強みを活かしながらの仕事だったので、やりがいもあり個人としての成長も感じられ充実した毎日でした。
その頃、周りの友達から「中学のときに留学という選択肢は知らなかった。でも知っていたら行きたかった」と言われることが多くなりました。彼らの言葉を聞いて初めて、中学で海外に出て行き様々な国で勉強したという自分の体験は特別なものだったんだと分かりました。と同時に、留学することや海外に出ることについて知るきっかけさえあれば、もっと多くの人の選択肢が広がるのではないかと考えるように。自分自身、たまたま海外について考えるきっかけや、たくさんの人との出会いがあったことで大きく成長できた。他の人にも、人生にはたくさんの選択肢があることを伝えられないかと思い始めました。
コンサルの仕事も刺激的だったのですが、選択肢を広げるきっかけ作りをしたいという想いは日に日に強くなっていき、起業を考えるようになりました。周りに類似のビジネスをしている人がいなかったので当然不安はあったのですが、強い想いは変わらず。新しいチャレンジをしてみたいという想いにも後押しされ、会社を退職して起業を目指すことにしました。
実際に事業を考えるにあたって中心にあったのは、まずは若い人のために、何かに挑戦する「きっかけ」のインフラ作りをしたいという想い。自分自身が中学から大学にかけてたくさんのきっかけに恵まれ、大きく成長できたと感じたからです。まずは自分の経験や強みが活かせる領域から始めてみようということで、海外留学や越境進学のきっかけ作りを支援するサービスを中心に、株式会社Doorkelをスタートさせました。
でき損ないでも大丈夫
現在は、「きっかけさえあれば、誰でも挑戦と成長を繰り返して夢を実現できると社会に立証する」というミッションのもと事業を展開しています。具体的には、海外進学を目指す学生、学生を迎えたい教育機関、奨学金提供機関が有機的に繋がり、コミュニケーションや直接的なコンタクトをとることができるSNSサービス「SchooLynk」を開発、運営しています。実際に、海外の学校に通っている学生さんと繋がっていろいろと相談をすることもできますし、奨学金を提供している機関の情報も掲載しています。
現在 163カ国、約2万人の学生が登録しています。学校側の数はまだ少なく10校程度ですが、新しい寮ができましたとか、オープンキャンパスが始まりますとか、うちの学生がこういう大会に出て優勝しましたとか、定期的に情報を配信しています。従来のPR方法と違い費用があまりかからない仕組みなので、魅力をどんどん訴求したいという学校側のニーズを満たしつつ、学生にも有益な情報が配信できているのではないかと思っています。
今後は、日本から海外、海外から日本というだけでなく、海外から海外へというサービス展開もしていきたいです。エリアを広げていくことで、より多くの方にきっかけのインフラを使ってもらいたいですね。また、教育だけでなくもっと幅広い領域のきっかけ作りもしていきたいと思っています。
僕、もともと英語が上手かったとか優秀だったとか勘違いされることが多いのですが、まったくそんなことはなくて、どちらかと言うとでき損ないだったんです。ただ常にあったのは、自分が持っている強い想いを実現したいという気持ち。小さなチャレンジをたくさんして成功体験を積み上げることで、自信をつけていったんですよね。そもそも高校進学という決断ができたのも、幼い頃から一人で新幹線に乗ったり、自転車で一人旅をしたりと小さなチャレンジを繰り返していたからじゃないかなと思います。
大きく決断することは格好いいですが、僕はこれからも小さな決断とチャレンジを繰り返していこうと思います。そうしているといつの間にか、届かないと思っていたようなところにも手が届くようになると思うんです。
2019.02.13