同時多発的に複数の事業を生み出す。差別や格差のない豊かな世界を創るために。

企業内起業家の支援やゲノム解析など、全く異なる複数のビジネスを立ち上げ、複眼的な視点を持ってそれぞれを運営している麻生さん。他人とのコミュニケーションが苦手でアニメオタクだった子ども時代から一変し、多くの人と関わりながら事業を立ち上げるようになった背景には何があったのか。お話を伺いました。

麻生要一

あそう よういち|起業家・投資家・経営者
株式会社アルファドライブ代表取締役社長兼CEO。株式会社ゲノムクリニック代表取締役Co-CEO(経営・ファイナンス管掌)。株式会社UB VENTURESベンチャー・パートナー。株式会社ニューズピックス執行役員。

優等生からの脱皮


東京都世田谷区で育ちました。父は代々続いてきた住職の家の生まれでしたが、次男だったため、僕が生まれた当時は家業を継がず自分でお店を経営したりしていました。そんな背景からか、僕に対して仕事や財産を引き継げないぶん、自分の人生は自分で切り開いてほしいと考えており、幼い頃から「お前に残してやれる財産は何もない」とよく言っていました。

将来のための備えとして英才教育を受けさせられていて、かなりの優等生でした。幼少期には自分より頭のいい人に会ったことがなく、毎日のように塾や習い事に通っていましたが、遊びたいとか、他の子が羨ましいとか考えることもなく、そういうもんだと思って、親に言われるがままに過ごしていました。

あまりにも勉強ばかりで、日常生活のいろんなことを正解と不正解に分けて考える癖がつきました。例えば学校の先生から「給食を食べる前にはいただきますって言いましょう」と言われたら、その通りするのが正解で、いただきますを言わないのは不正解。常に問題を解く感覚で暮らしていたため、感情があまりありませんでした。

中学受験では日本最難関といわれる2校に合格し、そのうちの一校に入学しました。 名門校に入学したことで、両親からの「こうしなさい」が急激になくなって、解放されたような感覚になり、ようやく自分の人生が始まった気がしました。

それからは、もともとゲームや漫画が好きだったこともありアニメにどっぷりはまり、アニヲタになりました。放送されているものは全部録画し、CMを抜いて編集したりして、情熱を全部アニメに注いでいました。

そのうちにアニヲタ仲間ができ、その仲間から演劇をやってみないかと誘われました。特に部活などには所属しておらず、時間があったのでやってみることに。演者としてステージに立つ傍ら、脚本づくりにも熱中するようになりました。

高校2年生のとき、演劇をやっている高校生なら誰しもが憧れる大きな舞台で公演をする機会をもらいました。そのとき脚本、演出、役者と一人三役を務めており、失敗したらどうしようとすごく追い込まれていました。大きな舞台だったので、仲間もプレッシャーを感じて吐いたりしていて。

本番当日。緊張の中で一生懸命練習した成果を出し切りました。その結果はスタンディングオベーション。仲間とともに必死で作り上げたステージだっただけに忘れられない感動がありました。舞台って、演じたものがその場でリアルタイムにお客さんに届いて反応が返ってくる。表現したい感情が観客に伝わると、お客さんは泣くし大爆笑もしてくれる、これってすごいことだなと思いました。

ビジネスは幸せを生み出すもの


高校3年生になるまでは演劇ばかりで全然勉強してなくて、成績は学内のテストで下から20番目でした。しかし、好きだった女の子から頭のいい人が好きだと言われ、一年間猛勉強。その結果、東京大学経済学部へ入学することができました。

大学入学後は燃え尽き症候群になってしまって、学校にも行かずただお酒を呑んでバンドするみたいな、どうしようもない生活を送ってました。そんなときに意識高い系の友達から、一緒にビジネスコンテストに出ないかと誘われたんです。特に断る理由もなかったので出場することにしました。

ビジネスコンテストの会場では、僕と年齢がほぼ変わらない人たちがビシッとスーツを着て、パソコンを鮮やかに使いこなし、プレゼンテーションを行なっている姿に衝撃を受けました。当時の僕には、彼らが言ってる言葉の意味はほとんどわかりませんでした。しかし良いビジネスモデルがその場で評価されて、次々と投資家から投資されていく、そのやりとりが単純にとてもカッコイイと思いました。難しい言葉の意味はわからなかったけど、想いを発信してそれが相手に伝わることで何かが動く、そのシーンに魅せられたんです。よい演劇を観たときと似たような高揚感がありました。

僕も、チームメイトと一緒に1週間ビジネスプランを練り上げ、プレゼンをしました。 でも、まったく歯が立たず、コンサルタントの人から「ビジョンはわかる。だけど、ビジネスにおいて一番重要なお金の流れが一切定義されていない。君たちはお金の流れを重要だと思ってないでしょ」と言われました。

さらに続けて「お金を生み出さないんだったらただ単に吠えてるだけのやつ。そういうのは格好悪いから、ちゃんと金の流れを作れ。そうすれば必然的に、幸せは生まれるから」と言われました。その時、頭を殴られたような強い衝撃を覚えたんです。お金を稼ぐことは、汚いことではなくて幸せを生み出すこと。「ビジネスっていうやつを使えば、お金の流れを生み出すことで、幸せを生むことができる」。そして、劇や曲を作るよりもビジネスを作った方がより大きいインパクトを世の中に与えられるし、そっちの方が多くの人を動かしたり感動させたりできるんじゃないかと強く思い、そこから「経営者になる」という夢を追うようになりました。

最後の一ミリまで自己責任だと考えらるように


自分でビジネスを生み出せるようになるために、まずは営業を経験したいと思いました。ビジネスの現場の感覚を身につけ、自分自身でお客さんと向き合う経験をすることが将来の糧になると思ったのです。しかし営業は足で稼ぐ、泥臭いイメージがあり、もっと、頭良く先生面して、東大生という肩書きを使ってうまくやりたいという気持ちもありました。しかし、経営者になるためには必要だと勇気を振り絞って、当時営業が学べる会社として有名だった大手営業会社に入社をしました。

就職して2年間の営業経験で、人間が変わりました。一番変わったのは、商売において、頭の良さや正しさは一切関係ないんだということがわかったことです。例えば、うどん屋のおっちゃんとうどんの話を1時間したら、なぜか知らないけど広告の発注がもらえたり、自身に課せられた目標金額に売上が足りない時に、泣きながら「数字が足んないんです、買ってください」と言うと買ってくれる。そんな経験をする中で、「あぁ、ロジカルで正しい行動ばかりが求められているわけじゃないんだな」とわかっていきました。

入社2年目に、営業をやりながら、毎年開催されていた社内新規事業コンテストにも応募しました。コンテストに応募すると、もれなく景品がもらえたので。

提案したのは、当時急速に広がっていた携帯電話から接続するインターネットの上でコンテンツを作成するサービスです。驚いたことに書類選考に通過して、ある日役員の人から電話がかかってきてプレゼンをしてくれと言われました。慌てて、思いつきのアイディアレベルだったプランを一生懸命練り直し、プレゼンをすると、選考を通過。その流れでさらにビジネスプランのブラッシュアップを行い、最終選考に出場するとそのまま優勝してしまいました。

そこから、自ら提案したビジネスモデルを新規事業として立ち上げ、3年後にはその事業を独立させ、新しい子会社を立ち上げることに。僕はその会社の執行役員になり、社長には親会社の上司が就任しました。会社は1〜2期目で劇的に成長したのですが、3期目で右肩下がりになりました。このままではまずいということで、経営再建もしくは清算をするために、4期目を迎えるタイミングで僕が社長に就任することになりました。

最初は会社を立て直すために奔走し、ちょっとでも改善できればと思っていたのですが、結局業績の下降に歯止めがきかず、このままだといよいよ危ないということで構造改革、つまりリストラをすることになりました。

やりたくなかったです。自分で作った会社の、自分が採用した人たち。頑張ってくれていたのも知ってるし、家族みたいな存在でした。でも会社ごとすべてを失うわけにはいかないからと、極限の精神状態でリストラを進めていきました。

本当は、業績が右肩下がりになる前の段階でこのままではマズイと思っていました。しかしそれを止められなかったし手を打てなかった。社長や親会社を説得して自分が会社の舵を切るのは無理だ、と諦めてしまったんです。本当は自分がやるべきだったのに、どこかで他責にして、業績が悪化していくのはもうしょうがないかなと思ってしまっている自分がいました。その結果、家族同然の多くの社員のリストラをすることになってしまいました。その後、会社はV字回復を遂げることができたのですが、今でも当時のリストラを強く後悔しています。

もう二度とあんな後悔はしたくない。だからこそこれからは、どんな状況でも、最後の1ミリまで自分の責任だと言い切れるだけの深く考えぬいた決断をしようと心に誓いました。

差別や格差のない社会をつくりたい


現在は、企業内新規事業の立ち上げを支援する株式会社アルファドライブと、医療レベルのゲノム解析の社会実装を目指す株式会社ゲノムクリニックの2社を起業し経営者として仕事をしています。
株式会社アルファドライブでは、自身が社内で起業した経験を活かして、企業内新規事業の立ち上げ支援を行なっています。あらゆる領域の大企業の中から新しい事業を作ることで、大きな社会インパクトが与えられると思っています。生み出すインパクトの規模も大切に事業を起こしましたね。

株式会社ゲノムクリニックは、ゲノム・遺伝子解析の技術を用いて人々の健康に寄与する検査を開発する会社です。ゲノム・遺伝子情報は究極の個人情報であるがゆえに、扱い方を間違えば、病気になる人よりならない人の方が偉いといった差別につながりかねません。ゲノム・遺伝子解析が差別や格差を生まない世界を自分の手で作りたいという気持ちで立ち上げました。

さらに、株式会社UB Venturesではベンチャーキャピタリストとして活動をしているほか、株式会社ニューズピックスでは非常勤の執行役員として、新規事業開発を担当しています。

同時に複数の事業を始めた背景には、やりたいことが一つに絞れなかったということもありますが、そもそも事業はどれか一つだけに集中するよりも、同時にやった方がそれぞれの成功確率が高まるはずだと言う考えもありました。一つの分野の視点しかなければ、それだけを突き詰めても普通の商品しかできません。しかしまったく異なる分野がかけ合わさることでこれまでなかった新しいサービスが生まれるはず。

これから訪れる未来の社会課題は、1つの領域やスキルを極めても解決できない複雑でからみあったものが増えていくと思います。領域を超えること。もっといえば、領域だけではなく、ビジネスと非ビジネスの境目すら超えていくこと。それこそがイノベーションであり、だからこそ複数の事業を同時多発的に立ち上げることが全部の仕事にとって新たな価値を生むのではないかと思っているのです。

今後は、この時代に僕が生きているからこそ生み出すことができる良い影響を、できる限りたくさん周りの人に与えていきたい。そのためにも今よりもっと、自分や周りが豊かで幸せになるために、僕にしか生めない価値を作り続けていきたいです。あらゆる既成概念、手法や、ジャンルや、形や、立場にはこだわっておらず、同時多発的にたくさんの事業を仕掛け続けていきたいです。

5年ごとに別人のように変化を遂げられるような、今はまだ想像できない自分になりつづける人生を送っていければと思います。

2019.01.10

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