様々なかたちでデザインに携わる人生まとめ3選

デザインと言っても空間、WEB制作、仕組み、建築など様々ですが、そんな表現の世界に身をおく人の人生を紹介します。








学校では毎日遅くまで作品制作をし、
その他にも映画を見たり、図書館や美術館に行って美術作品を鑑賞したり、
美術に関連するものからは、とにかく何でも吸収するつもりで毎日を過ごしていました。

時には、自分の思っていることをうまく作品で表現できないなど、辛いこともありました。

でも、将来「絶対有名な作家になってやる!」という強い意志があったので、
自分の思いを具現化するための訓練だと思い、
必死に作品を作り続けていましたね。

仕事では、お客様やデザイナーの要望に従わなければならないことが沢山ありました。
経験を積む中で、

「これって本当に私のやりたいことじゃないかもしれない。」

という思いが次第に強くなり、1年ほど働いたタイミングで会社を辞めることにしました。

このままでは絵を描くことが嫌いになってしまいそうだったんです。

実際に会社としての取り組みについて話を聞いたときに、以前の仕事とのスケールの違いや、
ディスプレイ制作、造形、モルタルワーク、エイジング、特殊塗装など、
絵画以外の技術にも挑戦できる環境に凄く惹かれたんですよね。

「ここなら、私のやりたいことに出会えるかもしれない」

と思い、すぐに会社へ連絡をし面接してもらい、
運よくアルバイトスタッフとして雇って頂けることになりました。



駒場 訓子さんのインタビュー全文はこちら







そのまま、マドリッドにあるその美大に入学することにしました。

入学して初めての美術史の授業の題材は、
ピカソの『ゲルニカ』等に見られる、アフリカンアートに関してでした。
そこで紹介されていた彫刻を見た時に、
突然「育ての親」の家の情景がフラッシュバックしたんです。

その家には、同じような彫刻がたくさん置いてあったんです。

その後、アメリカに渡り世界的に有名なファッション映像を制作するアーティスト、
Stephen BlaiseとCatherine Camille Cushmanと共に働きました。
そこではファッションの捉え方が大きく変わり、また映像の力というものを強く感じましたね。

ファッションって「流行り」だから、ただ「かっこいいもの」というイメージを持っていたんですが、
そのスタジオで働く人々は、「どんなメッセージを伝えるか」ということにこだわっていて。
かっこいいだけじゃなくて、何を伝えるかが本物のファッションなんだってい気づいたんですよ。



三上 マテオ 俊さんのインタビュー全文はこちら







高校生の時、雑誌を読んでいたら、「スカイアンブレラ」という、内側に晴れた空が描かれた傘が載っていたんです。
雨の日でも空が晴れているという、そんなデザインがあるのかと感動したのを覚えています。

自分もそのようなデザイン性溢れるものを作れたら良いなと考え、漫画よりもデザインの勉強をしたいと思うようになったんです。
そこで、プロダクトデザインを学ぶために、地元の新潟を離れ秋田の短大に進学することにしました。

そこでは家具に加え、建具や店舗の什器など様々なものを作っていたんですが、
そういった何かの一部分だったり、自分の身の回りにないようなものだと、
何を作っているのかイメージし辛く、どうしても愛着が持てなかったんです。

また家具を作るには高価な器具を揃えなければならず、
今後も家具屋を続けていくのは難しいんじゃないかと思っていた時に、
建築家を目指していた大学時代の友人と話す機会がありました。

今まで自分が図面で書いていたものが、実際にどうやって作られていくのかを現場で見ることで、
自分のやっている設計と完成した建物をリンクさせることができるようになりましたね。
また、現場でコミュニケーションをとることで、建物を作るまでに関わる様々な立場の人の考え方が分かってくるようになりました。

それまで、家具と同じで建築も一人で作りたいと思っていたのですが、
建築は一人でできるものではないと実感することができたんです。




田中 洋人さんのインタビュー全文はこちら

2014.10.10