「可能性」をデザインしたい。スペインで生まれた日本人として抱く想い。

スペインで生まれ育ち、現在は日本でフリーランスのビジュアルデザイナーとして映像制作、写真撮影、ブランディングを手がけるマテオさん。ビジュアルデザインの道に進むきっかけや今後の展望について、お話を伺いました。

三上 マテオ 俊

みかみ まてお すぐる|ビジュアルデザイナー
フリーランスのビジュアルデザイナーとして活動を行う。

HP

産みの親と育ての親


私はスペインで生まれ育ちました。

ちょっと複雑なんですが、
「産みの親」は日本人なんですが、11歳までの「育ての親」はスペイン人なんです。

そのスペイン人両親は世界中を飛び回るダンサーで、
引退後も、父は絵を描き、母は歌手や役者として舞台に立つという、アーティスト一家でした。

その後、11歳頃からは「産みの親」と暮らし初めたんですが、
そちらの母親もアートが好きで、週に何回も美術館に通っていたり、毎日のように美術の本を読んでいましたね。

一方で、父親は数学が大好きで、そろばんのチャンピオンになったり、
囲碁の5段を持っていたりして、よく自慢していまいた。
その割に簡単な計算とかは苦手で、消費税の計算がすぐにできなかったりするんですけどね。(笑)

そんな父からは、俺の息子だから数学が得意だろうと言われていて、
当時はよく考えもせず「そうかもなぁ」と思って、
理系の高校に進学し、大学も工学部に入学しました。

しかし、勉強自体は面白かったのですが、
学校の空気が自分のリズムとはどうしても合わず、結局、大学はすぐに辞めてしまいました。

グラフィックデザインの道へ


どうしようかと考えながらふらふらしていた時期に、
とりあえず絵の学校に入ることにしたんですよね。

その学校の生徒達は、美大を受けるために必死に絵の練習をしていました。
「みんなすごいなぁ」と思いながら自分はどうしようかと考えていたところ、
「興味があるなら、美大を受けてみれば?」
と美大の受験を勧められました。

勧められるまま受験をしてみたら、
普通なら入学するまで数年浪人するような美大に、たまたま受かっちゃったんですよ。(笑)

そのまま、マドリッドにあるその美大に入学することにしました。

入学して初めての美術史の授業の題材は、
ピカソの『ゲルニカ』等に見られる、アフリカンアートに関してでした。
そこで紹介されていた彫刻を見た時に、
突然「育ての親」の家の情景がフラッシュバックしたんです。

その家には、同じような彫刻がたくさん置いてあったんです。

「環境の影響はバカでかかったんだ」と思い、すぐに「育ての親」に電話してその話をしていましたね。

同じように、授業を受けて行く度に、小さい頃の記憶をどんどん思い出していって。

小さいころ育った環境や、「育ての親」のことを思い出していくうちに、
自分の性格は「育ての父親」に影響を受けているんだと、徐々に気づいていきました。

「育ての親」は世界を旅するダンサーだったので、
2ヶ月以上滞在した国が何十カ国もあるような人たちでしたが、
私も同じように、将来は大型の車に乗って、色んなところを旅して、
ビーチでサーフィンとかして、仕事もするみたいな暮らしをしたいと思うようになっていました。

そんな旅する生活を実現するため、PC1つでできる、
グラフィックデザインの方向に進もうと思うようになったんです。

映像の力に気づく


その後、アメリカに渡り世界的に有名なファッション映像を制作するアーティスト、
Stephen BlaiseとCatherine Camille Cushmanと共に働きました。
そこではファッションの捉え方が大きく変わり、また映像の力というものを強く感じましたね。

ファッションって「流行り」だから、ただ「かっこいいもの」というイメージを持っていたんですが、
そのスタジオで働く人々は、「どんなメッセージを伝えるか」ということにこだわっていて。
かっこいいだけじゃなくて、何を伝えるかが本物のファッションなんだってい気づいたんですよ。

また、そこに来るまでは自分はグラフィックとか静止画に感心があったんですが、
動いて音も聞ける映像にするとパワーが倍になるんだなって感じたんですよね。

デザイナーとして得るものもすごく大きかったのですが、
生き方としても得られたものが大きかったですね、アメリカ生活は。

自分は日本人の子どもだったので、スペインにいた時はどうしてもいじめられたりすることもあって。
日本でも強く感じますが、「どこ出身か」ってすごくみんな気にするんですよね。
でもアメリカはどこ出身かなんて関係なくて、「何をしているか」が重要で。
その環境が心地よく、自分自身に対してポジティブに捉えられるようになりましたね。

そんなこんなで5年間ニューヨークで活動していたのですが、
刺激的であるものの、「何を撮っても絵になってしまう」街だったので、
もう少しチャレンジングな環境に身を置きたいと思い、
徐々にメキシコやスペインなどにも活動の場所を広げていきました。

フリーランサーとして各地を点々としている自分を見て、
両親からすれば「何をやっているのか、さっぱり分からない」という気持ちだったんでしょうね。
気づいたら、当時日本に住んでいた姉も含めてみんなから、
僕は日本には向いていないと言われるようになっていました。

そう言われていることに反発して、あえて日本に来ることにしたんです。

「雇われる」ことへの違和感


しかし、正直、日本に来て大失敗だなぁと思いましたよ。

すごく生きづらくて、
何もしていなかったのに原因不明のストレスで1ヶ月入院し、本当に死ぬかと思いました。

そんなことがありながらも、まずは日本の社会というものを経験した方が良いと思っていたところ、
ちょうど姉の紹介で知り合った、「日本の良いもの」を海外に紹介する思いを持っていた社長の元、
ベンチャー企業に就職しました。

実は元々、日本のコンテンツを海外に発信したいと思って日本に来ていたので、考え方が合致したんですよね。

日本の雑誌やTVなどのコンテンツは世界的に見てもすごく良いのに、あまり海外に発信されていないのが現状で、
この素晴らしいコンテンツが日本だけで死んでしまうのはもったいない、そう感じていたんです。

そんな経緯もあり、仕事自体は楽しかったのですが、
一方で「雇われる」という働き方には全く馴染めませんでした。

クリエイティブ職なので、正直机の前で悩んでいる時間も多く、
そういった何も生み出せていない時間でも給料が支払われることにすごく違和感を感じたんです。
会社に飼われている、文字通り負け犬の気分でしたよ。

逆に人生で最高の作品を生み出しても、人生で最悪の作品を生み出しても給料を毎月もらえるのが、
根本的に合わなかったんでしょうね。

そんな感じで、1年間働いた会社を辞めることにして、今はまたフリーランスで仕事をしています。

可能性を伝えたい


今後は、デザインの仕事をしつつ、ものごとの「個性」や、
「一般的に知られていない側面」をアピールしていくような活動をしたいと考えています。

「知られていない」ということで、いろんな可能性を潰してしまうことがすごく悔しいんですよね。

例えば、スペインは経済的にどん底のため、「終わった国」みたいに見られるんですが、
ワインとかオリーブオイルとか観光とか、良い面もいっぱいあるんです。
でも、スペイン産のオリーブオイルなのに瓶には有名なイタリアブランドのシールが貼られていて、
「イタリアのオリーブオイル」としてしか知られていないこととかもあって。
それってスペインを好きになってもらう可能性を潰しちゃってるんじゃなかと思って。

良い部分が知られないのって、ものの「可能性」を潰しているようで、すごく悔しいんですよ。

これは実は日本に来てから特に強く感じるようになった課題でもあるんですよ。
日本って個性をつぶすようなところがあるじゃないですか。
ユニークであるって素晴らしいのに、それが悪とみなされる風潮があって。

それってまさに「個人の可能性」を潰しちゃってるんじゃないかって思うんです。

だから、そういった点に光を当てアピールしていくことで、
いろんなものの「可能性」を発信していくようなことがしたいなって思うんです。

ただ、それって仕事にして、お金が関わってくると一気につまらないものになる気がしているので、
お互いが協力しあい、お金を挟まないシステムをデザインできたらと思っています。

2014.06.22

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?