大企業の中から変革を起こす、社内イノベーター人生のまとめ

日本を牽引する大企業の中で、さらなるイノベーションを巻き起こしている方々をご紹介します。







そんな社会人生活を過ごしながら、生意気な若手社員だった私は、「憧れる先輩が社内にいない」と愚痴をこぼしていました。するとその時、先輩から、「だったらお前がなれよ」と言われたんです。これにはすごく納得させられました。下を向くのではなく、前向きに行動していこうと考えるようになったんですよね。先輩からのそんな言葉に、愛情を感じました。

その後、7年目になったタイミングで商品開発部という、
イノベーションを起こすことをミッションとした部署に配属されました。
もともと人がやらない新しいことに取り組むことにモチベーションがあったので、
すごく嬉しかったですね。

部署を移動してまず始めたプロジェクトは、商品開発会議をオープンプラットフォーム化して、
他の業界のイノベーターの声を集めて商品作りをしていくというものでした。
実際に社外の様々な方とお会いしプロジェクトを進めていく中で、メディアなどの反響も大きく、
社会的な手応えを感じました。
しかし、プロジェクトとして進める中で、会社の期待に応えることができず、
自分の力不足を痛感しました。

また、商品開発部で経験した2つのプロジェクトを通じて、
日本企業でイノベーションを起こすことの難しさ、課題も感じていました。
今の社会で新しい価値を生み出すには、
小さく始めてトライ&エラーを繰り返して最適化しなければいけないと思うのですが、
一般的に、会社でそれを進めようとすると、実績が出る前の一歩目を作ることは簡単ではないと感じたんです。

そこで自分と同じような課題を抱える人のためにも、社会人向けのオープンイノベーションのプラットフォームを、
社外の活動として作れないかと考えるようになったんですよね。

そんな背景から、「オープンイノベーションのプラットフォームを作る」というテーマで、
『新宿360°大学』というプロジェクトを立ち上げました。



刈内 一博さんのインタビュー全文はこちら







入社してから最初の配属は法人営業でSE業務をする仕事でした。

大きな組織なので最初から自分のやりたいことをできるとは思ってなかったし、
そもそもどんな仕事が会社にあるのか、入社前は把握できていなかったので、
特にどの仕事をやりたいとか希望はなく、頂いた環境でしっかりと働きましたね。

その後、数年その部署で働き、さらに次世代のフレッツサービスを企画する仕事をした後、
会社のMBA制度を利用して経営大学院に行かせてもらいました。
すごく憧れていた先輩がいたのですが、その人がMBA制度を利用していたので、
私も行ってみたいと思ったんです。

その中で、私はスタートアップ企業とコラボレーションして、
新しいサービスをつくる仕事をしています。

多くの大企業がそうであるように、今の会社の組織や制度は、
今までやってきた事業に最適化されているので新しいものを始めようとした時に、
必ずしも合うかと言われるとそうでもない面があります。
そうであれば、柔軟に動ける外の企業さんと連携したほうが、
より早く良い物が生み出せると考えています。

そのため、まずはスタートアップ企業の販路開拓などのアライアンス連携から始めて関係を築いていき、
将来的にお互い成長していけるような連携が推し進められたら良いと思っています。


今後は、この大企業とスタートアップ企業の連携を、
会社の一取り組みとしてだけではなく、社会の仕組みとして育てていきたいと考えています。

この停滞してしまった日本の成長を取り戻すには、
大企業からスタートアップにリソースを循環させて、新陳代謝を活性化させる必要があって、
大企業には資金もあるし、優秀な人材もたくさんいるので、
そのリソースがどんどんスタートアップに還元されれば良いと思っています。



片岡 和也さんのインタビュー全文はこちら







入社してからは、薄型テレビを北米に販売するためのマーケティング部署に配属されました。

私が携わることになった薄型テレビは、会社でも花形の商品だったのですが、
社内からの期待でプレッシャーが大きい上に、競合他社との競争も激しく、職場には焦りや閉塞感が漂っていました。

周りの方々の表情やモチベーションに触れると、
「みんな一生懸命に働いているのに、なんでだろう?」 という哀しみを抱いたんです。
漠然と、この状態をなんとかしたい、と感じましたね。

その一方で、海外マーケティングの仕事とは別に、
「人のつながり」をテーマにした業務外の活動を行うようになりました。

元々、私が内定者の時から社員とのつながりが無いことに、漠然と課題感を感じており、
実際に入社してみると、「こんなに面白い人がいるのか!」と思うことが多々あったんですよね。
そこで、社会人1年目の時から、内定者懇親会を企画し、社員との交流を増やしていきました。

そんな交流会を、若手中心に6年続けていたところ、2012年の1月にグループ会社3社が合併することになったんです。
合併後は、異なる文化や組織のシナジーを生み出そうとしていたのですが、
大企業かつ縦割りの組織ということもあり、現場レベルでは一つになったことを実感することすら難しかったんですよね。

そこで、それまで培ってきた新入社員のネットワークを活かして、
2012年の3月、パナソニック社員のモチベーションの向上・知識拡大・社内外の人脈形成を目的に活動する、
『One Panasonic』という若手主体の有志団体を設立したんです。



濱松 誠さんのインタビュー全文はこちら

2014.10.21