一歩目のキャリアを就職ではない道を選んだ人の人生まとめ

就職は絶対に必要なのか?もちろん企業に勤めることで学べることは多くあります。しかし、大学卒業後就職の道ではない決断をする人もいて、そんな挑戦者の人生を紹介します。







その後、就職活動の時は、3年以内に起業すると決めて会社を見ていました。

そのため、もし大手企業に入ってしまうと、良い収入や待遇を捨て切れないかもしれないと思ったので、
あえてもうすぐ潰れると言われていたベンチャー企業に入ることを決めました。

しかし、就職活動を終えた大学4年生の時に、
祖父が経営していた印刷工場をつぶして、次の事業として老人ホームを建てることになり、
父からその老人ホームの経営をやってみないかと提案されたのです。

調べてみると、それは3年生で実習に行った時に、現場での仕事に悪いイメージを持ってしまうからでした。
実習に行っても、利用者の方に何かあったら責任が取れないので受け入れ施設側も学生には仕事を任せられず、
学生は表面的な仕事しかさせてもらえないし、その背景も説明されないので、
仕事に良いイメージを持てずに、福祉業界での就職から遠ざかっていくんです。


その事実を知り、日本は先進国で1番の高齢者率なのに、
若者が介護の現場で働きたくないと言っているようでは未来はないのでは、と危機感をもったんです。

また、介護業界での起業は、知識も資金もいるので難しいんですよね。
だからこそ、条件に恵まれている自分にしかできないことがあるのではないかと思い、
内定を辞退し、老人ホームの経営をすることを決意しました。

正直不安しかなかったですし、お先真っ暗でしたが、
なんとかなるという思いもありました。



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この環境で過ごしたことで、コミュニケーションは経験だということを学びましたね。
ある程度質の高いコミュニケーションを数重ねることで、
人間関係が円滑に進み始めることに気づいたんです。
この寮生活で、僕の経験値はたくさん蓄積されたと思います。

ただ、世間ではITバブル最盛期で、ベンチャー企業がどんどん立ち上がっており、
自分も歴史に名を残すようなサービスを作りたいと考えるようになりました。
そのためには今の大学の環境では満足できないと感じ始め、
半年ほど仮面浪人をして、京都大学の経営学部に入ったんです。

世の中には時代ごとに違ったコミュニケーション課題があり、
その時代に調和したコミュニケーションの取り方を、
誰かが提供し続けなくてはならないと考えるようになったんです。
その一方で、就職の時期に差しかかってきましたが、就職はしないことにしました。
経営学を学ぶ中で、自分は会社員として組織システムの一部になるよりも、
経営者として仕組みを作る側になりたいと考えていたんです。
在学中に会社をやったりもしていましたが、卒業後も寮に在籍したまま2年程フラフラしていたんです。
そしてちょうど僕が卒業した年に、寮に入ってきた新入生がいました。



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そこで入ったのが国際法のゼミでした。
教授は著名な方でもあり、このゼミに来たことで国際法を研究する面白さを知りました。

日本の法律は研究し尽くされていて、多くの判例もあり新しい解釈をすることが難しいのですが、
アジア、特にアジア途上国の法律はまだ未整備で決まりきっていない部分も多く、
50年後、100年後にどんな世界を生きたいかといような価値判断を法律の解釈に適用できることが最大の魅力でした。

これは面白いと思い、またどんどん研究にのめり込んでいきました。
同時に国際法を勉強するには英語が必要で、それまで全く勉強してこなかったので、
英語の勉強にも力を入れるようになりました。

4年生の時に研修留学でジュネーブに行き、ILO(国際労働機関)で研修をさせていただきました。
ここでの仕事は、学んでいる法律に関わることでしたが、
机の上の仕事が多く、法律の現場に携わることはできないので、自分には合わない仕事だと感じましたね。

結局、色々やったものの将来やりたいことが分からなかったので、もう少し考える猶予がほしいと考え、
大学を主席で卒業した後、就職はせずにイギリスの大学院に進むことにしました。

ただ、東南アジアの法律を研究しているのに、実際に現地に行ったことがなく、
現状を知らないのは問題だと考え、大学院の始まる9月までの間、東南アジアに行くことにしたんです。

初めはベトナムに行き、比較的発展している国だなぁと思い、その次にカンボジアに行きました。
すると、カンボジアはまっさらで、まだまだ何もない国だったんですよね。
その時、この国で何かやれば何とかなるだろうと、妙な自信が沸き起こってきたんです。
また、大学院で勉強するよりも、この地で暮らすほうがよっぽど学べることがあるとも思い、
カンボジアで起業することを決断しました。
その後少しだけ日本に帰り、教授や家族に説明をして、すぐにカンボジアで会社を立ち上げました。



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2014.10.16