新興メコン法務のパイオニアとして。日本人法律専門家ができること。
「1つのことに熱中すると他のものは目に入らなくなるんです」と語る 薮本さん。プロ野球選手を目指していた少年時代から、新興メコン諸国 にて法律業務に熱中している背景にはどんなきっかけがあったのか。お話 を伺いました。
藪本 雄登
やぶもと ゆうと|新興メコン諸国(カンボジア、ラオス、タイ)での法律事務所経営
カンボジア・ラオス・タイへ進出する日本企業向けの法務相談を行う、
JBL Mekongの代表取締役社長を務める。
JBL Mekong - カンボジア・ラオス進出法務
野球に熱中
私は和歌山県白浜町で育ちました。
小さい頃から、1つのことに真っ直ぐのめり込んで行くタイプでした。
小学生の時に友だちに誘われて野球を始めてからは、それこそ本当に野球しかしてこなかったですね。
プロ野球のプレイヤーを目指し、毎日野球の練習ばかりしていて、
野球以外に興味はなく、勉強なんて全くしなかったですね。
例え才能がなくても、絶え間ない反復練習を繰り返すことで、
少しずつ成長して結果を出せるのが楽しかったんですよ。
また、やはりチームで結果を出していくスポーツなので、
個人の鍛錬もそうですが、チームで1つになるといったことも学べました。
もちろん中学校、高校でも野球をやり、甲子園を目指していました。
高校3年生の時、和歌山県大会で決勝まで進んだのですが、
智弁和歌山に負けてしまい、惜しくも甲子園出場を逃してしまいました。
ここで私の野球人生は終わりました。
そして大学は、高校の持つ指定校推薦で自分が行ける一番偏差値の高い大学に進学することにしました。
法律に熱中
大学に入ってからは、法律の勉強にひたすら熱中してしまいました。
それまで勉強なんてしたこともなかったので、面白かったんですかね。
司法試験も視野に入れ、野球の時と同じようにひたすら勉強、研究にのめり込んでいきました。
一方、学生時代はアルバイトも色々やっていて、
議員秘書やベンチャー企業、NGOや弁護士事務所で働きましたが、どれもしっくりきませんでした。
将来やりたいことはなく、なんとなくサラリーマンになると思っていたので、
3年生の時は社会に出たら役に立ちそうな金融系のゼミに応募しました。
ところが、「君は向いていないと思う」と落とされてしまったんです。
そこで入ったのが国際法のゼミでした。
教授は著名な方でもあり、このゼミに来たことで国際法を研究する面白さを知りました。
日本の法律は研究し尽くされていて、多くの判例もあり新しい解釈をすることが難しいのですが、
アジア、特にアジア途上国の法律はまだ未整備で決まりきっていない部分も多く、
50年後、100年後にどんな世界を生きたいかといような価値判断を法律の解釈に適用できることが最大の魅力でした。
これは面白いと思い、またどんどん研究にのめり込んでいきました。
同時に国際法を勉強するには英語が必要で、それまで全く勉強してこなかったので、
英語の勉強にも力を入れるようになりました。
TOEFLでは120点満点中30点弱位しかとれない成績だったのでしたが、
複数回の語学留学や研修留学により、少しずつ英語も上達していきました。
ここならいける
4年生の時に研修留学でジュネーブに行き、ILO(国際労働機関)で研修をさせていただきました。
ここでの仕事は、学んでいる法律に関わることでしたが、
机の上の仕事が多く、法律の現場に携わることはできないので、自分には合わない仕事だと感じましたね。
結局、色々やったものの将来やりたいことが分からなかったので、もう少し考える猶予がほしいと考え、
大学を主席で卒業した後、就職はせずにイギリスの大学院に進むことにしました。
ただ、東南アジアの法律を研究しているのに、実際に現地に行ったことがなく、
現状を知らないのは問題だと考え、大学院の始まる9月までの間、東南アジアに行くことにしたんです。
初めはベトナムに行き、比較的発展している国だなぁと思い、その次にカンボジアに行きました。
すると、カンボジアはまっさらで、まだまだ何もない国だったんですよね。
その時、この国で何かやれば何とかなるだろうと、妙な自信が沸き起こってきたんです。
また、大学院で勉強するよりも、この地で暮らすほうがよっぽど学べることがあるとも思い、
カンボジアで起業することを決断しました。
その後少しだけ日本に帰り、教授や家族に説明をして、すぐにカンボジアで会社を立ち上げました。
ただ、もちろん最初は仕事なんてなかったので、
公的機関から依頼を受けて、カンボジアの法律の条文を、英語から日本語に翻訳する仕事をするようになりました。
これは半分くらい研究としてカンボジアの法律を学べる側面もあったので、
楽しみながらできましたね。
カンボジアでの起業
半年ほどで翻訳の仕事を完了させた後は、知識もつき実績としても認められたので、
少しずつカンボジアに進出したい日本企業から、法律に関わる様々な相談を受けるようになりました。
カンボジア民法は、日本の支援を受けて2011年12月に施行されましたが、適切な運用はまだこれからです。
そのため、現地の若手法律家と協力しながら法律を適用することで、
法律に命を吹き込み、法治国家としてのカンボジアを後押ししたいと考えています。
日本が法整備を支援した国なので、日本の法律人材、法律サービスの輸出に貢献したいとも思っています。
そして将来は、政治、司法、社会情勢を理解し現地に根付いた弁護士のネットワーク構築することで、
カンボジアだけでなく、東南アジア、特に新興メコン諸国に進出する企業を支援する、
より専門的な法務コンサルティングを展開したいと強く思っています。
今はカンボジアでの法律の会社を初めて4年ほど経ち、
何とか事業も順調に進んでいるため、タイやラオスでの業務も開始しました。
特にラオスは4年前のカンボジアと同じように、まだまだ日本の法律サービスの会社はほとんど無いので、
まずは法律を日本語訳するところから始めています。
「モノづくりを」新興メコン諸国へ
しかし、日系企業が東南アジア諸国に進出することは、現地にとって良いのか悪いのか、
働いていくうちに疑問を抱くようにもなりました。
ただ、様々な進出案件がある中でも、製造業であれば現地スタッフの教育や技術移転、
雇用創出を考える「愛のある人」が多く、長期的な貢献が見込めることが分かり、
また日本の若者として、先輩たちが作り上げた「世界に通用する製造業」に関わりたいと思うようになっていったんです。
そのため、現在顧問契約をしている50社以上のクライアントのうち製造業は約半分ですが、
今後はもっと製造業向けの仕事を増やしたいと思っています。
そして伝統的な日本の「モノづくり」を引き継ぎ、東南アジアでのモノづくりに貢献したいですね。
今はまだ下積みと仲間探しの時期ではありますが、
日本では既得権を崩すことが困難な法曹業界でも、カンボジアや新興メコン諸国は未開拓なので、
チャンスを掴むためにパイオニアとして走り続けたいと考えています。
新興メコン諸国への日系企業の関心が高まり、今後、競合企業は増えていくでしょうが、
新興国では資格より、現地に根付いた知識、経験、ネットワーク、何より泥臭さとガッツが大切なので、
今後も「新興メコンの法律家」として高みを目指していきます。
2014.09.25