それぞれの「正義」を言葉でつなぐ。
海と人間が末永く共存できる社会のために。
水産業界の専門紙「みなと新聞」の記者として、取材を続ける太田さん。小さいときから海と魚が好きで、大学生のときに「海を守る」と誓います。人付き合いが苦手で、劣等感の塊だったという太田さんが記者として、海と人間社会の共存を目指す思いとは。お話を伺いました。
自分はダメ人間なのではないか
石川県珠洲市で生まれた後、埼玉県所沢市に引っ越し、両親、弟、祖母と暮らしました。物心がついたときから魚が好きで、水族館では興奮しましたし、幼稚園でのままごとではいつも魚のぬいぐるみを使って遊んでいました。特に、自分の体が小さかったので、マンボウのような大きくて優しそうな魚が大好きでしたね。水族館で働きたいと思っていました。
小学校で高学年になると、クラスの人たちとぶつかることが多くなりました。正しくないことには「違う」とハッキリものを言う性格で、周囲にうまく合わせられなかったんです。あるとき、いじめっ子にいじめをやめるよう言ったことがありました。それを見た周りの友達は「後で加勢するから」と言ってくれていたのに、結局加勢してくれず、僕がいじめられることも増えました。おかしいことに「おかしい」と言っているだけなのに、何が悪いんだろうと憤りましたね。
強者に対する反骨心は強かったです。いじめられているときも「体がデカいからって偉そうにしやがって」とか思っていました。自分は体が大きくなっても、小さい人に優しくありたいとも感じていました。
中学2年の時に本格的ないじめに遭って、強烈な劣等感を持つようになりました。野球部に入っていたけど運動は苦手、腕っぷしもない。しかも、悪気はないのに自分の言動が人に嫌がられてしまい、友達もできなかったです。自分はダメな人間なのでは、と自己嫌悪に陥りました。
その頃、家庭教師として親戚の大学生のお兄さんが勉強を教えてくれていました。その人はイケメンで、運動も勉強もできる人。劣等感の塊の僕が苦手な、なんでもできる人でした。しかし、ある日その人が言ってくれたんです。「毅人、お前はいい奴だ。変な奴がいるかもしれないけど、正しいのはお前だ。何かあったら俺が守るから」。この言葉で、折れそうだった気持ちを、なんとか持ち直せました。
高校に入ってからは、人との付き合い方を改善しようと意識しました。その甲斐あって友達ができ始めたんです。いじられキャラとして、それなりに楽しく過ごせるようになりました。ただ、こだわりが強すぎるところがあったり、劣等感から妙に出しゃばったり、余計な事を言ってトラブルになることもありました。やっぱり「変な奴」と思われることが多かったと思います。
ダイビングして誓った「海を守りたい」
水族館で働きたかったので、大学は水産系の学科を選びました。海の生き物の生態、海洋の環境、漁業、魚の加工、様々なことを学びました。海についての話は、どんな角度のものでも、ある程度ついて行けるようになりましたね。
大学2年生の時、ハワイでダイビングを初めて経験しました。潜ってみると、海があまりに美しくて感動して。「絶対一生ダイビングを続けたい」と思いました。
ただ、大学などで学んだ海の環境悪化を考えてみると、自分が年老いたとき、海にこんなに魚はいないのでは、と危機感を持ちました。その時、「海を守りたい」と初めて思ったんです。何か自分にできることをしなければと思い、海の環境保全に関する知識を深めていきました。
3年生になると、進学よりも民間就職に魅力を感じて就職活動をはじめました。しかし全くうまくいかず、何十社も落ちました。100社を超えていたかもしれません。コミュニケーション能力が足りなくて面接がうまくいかず、また自己嫌悪しました。
周りの勧めもあって大学院への進学も検討しました。でも、興味があった大学院の先生に断られてしまったんです。就職がうまくいかなかったから大学院に行くという考えを見透かされていました。最終的に、ようやく合格できた太陽光発電のパネルを販売する会社に就職しました。
“発達障害”と知ってホッとした
何社も落ちてようやく受かった一社でしたが、太陽光発電の会社にはちゃんと入社したいわけがありました。発電所の建設による海の埋め立てを防ぎたい、という理由です。太陽光発電が普及すれば、発電所を建てる必要がなくなり、埋め立てを防げると思ったんですよね。誤解を恐れず言えば、原発への不信感もありました。
しかし入社して1年ほどで、東日本大震災、福島第一原発の事故がありました。自分の仕事は何のためになっているんだろうと、気持ちが真っ暗になりましたね。加えて、会社はいわゆるブラック企業。社内暴力もありましたし、一部の上司から「お前はコミュニケーション能力がない、人の気持ちを考えない。劣った人格だ」と言われることも少なくなかったです。
言われてもしょうがない面はありました。他人の顔の表情から思っていることを読み取るのが苦手で、自分が正しいと思うことを言ってしまうことが度々あったんです。人格を否定され、やはり自分はダメ人間なんだ、という思いが再び強まっていきました。
そんなある日、母が発達障害に関する本をプレゼントしてくれました。本の内容が自分に当てはまったので、専門の施設で診断を受けたんです。結果は、「元・発達障害だろう」という診断でした。言葉や数字の理解能力は高い一方、空間認識能力などが欠けていて、できること・できないことの差が激しかったんです。
診断結果を聞いて、ホッとしました。それまでずっと、悪気なく「周りの人はこうしたら喜んでくれるだろう」と思ってした言動で、人に嫌な思いをさせてしまっていました。周りから「人格が悪い」と言われるうち、俺は本当は悪気があってやっているのかもしれない、嫌な奴なのかもしれない、と自信が持てなくなっていたんです。それが、診断結果を聞いて「俺、悪い奴じゃなかったんだ。単純に苦手で、できなかっただけなんだ」と。それですごく楽になりました。自分の得意・不得意を受け入れられるようになりましたね。
診断は「人生経験で、不得意がある程度カバーされている。今は発達障害レベルを脱している」とのことでしたが、せっかくなら自分の強みである言葉と数字を生かした仕事に就きたいと思い、海を守るために必要なことを発信できる学者になろうと考えました。
学ぶことは「魚を食べる」意味での水産業だと決めました。人間が海を大切にするためには、より多くの人が「海は自分達に恵みをもたらしてくれる」と実感する必要があると思うからです。そして、人間が海から受けている1番の恵みは、きっとシーフードじゃないかと。僕自身、魚を食べるのは大好きですしね。そこで、大学院を見学したらすごく面白かったので、仕事をやめて人生を懸けようと決意したんです。勉強を頑張って大学院に合格しました。
金持ちふざけるな!
仕事をやめるときに、自分の人生でやりたいことを一気に紙に書き出しました。見返すと「野生のシロナガスクジラやジュゴン、ジンベエザメ、ホホジロザメと逢いたい」とあったので、大学院に入るまでの間、世界の海を回る旅に出ることにしたんです。
たくさんの国の海辺を訪ねました。物をなくしたり、ケガをしたりして困っていると、地元、特に漁村の人が優しくしてくれて、助けてくれました。水産や漁業に携わる人たちへの思いが強くなっていきましたね。
一方で、悪い漁業の噂も聞きました。ダイナマイトを海で爆発させて、珊瑚や魚の棲家を破壊したり、海に毒を流したりして魚を獲るというんです。最初は海の破壊に憤っていましたが、話を聞いていくうちに、悪い漁業は金持ちが漁村の人たちに指示をしてやっていることだと分かってきました。
金持ちたちはまず、困窮した漁師たちに接触し、お金や船を貸します。漁師たちは借金を返すために金持ちの言いなりになり、海を壊す漁業を教わり、実行しているようでした。海が破壊されたら、もうそこには魚がいなくなります。すると、金持ちたちはよその漁村に移動して、また別の海を壊すんです。漁村の人たちに残されるのは、魚が獲れない海だけ。東南アジアやアフリカ大陸、旅して回ったどの国々の海辺でも、ほぼ同じ話を聞きました。
「ふざけるな!」と思いました。こんなに優しい漁村の人たちが苦しんでいるのに、自分のことしか考えていない金持ちたちが海を破壊し、警察に賄賂を渡して罪を逃れている。お金を稼ぐのは構わないけど、強い立場にあることを利用して海が壊れているという現実を隠し、自分だけ利益を持っていくのはおかしいと憤ったんです。現状を包み隠さず話し合えば必ず、「海を守ったほうがいい」という結論は出るはず。なのに、なぜこんなことが起きるのか。こんな現状を、訴えられる人間になりたいと思いました。
いろいろな「正義」があるんだ
名門と呼ばれる大学院に進学し、思いを胸に勉強に打ち込みましたが、院生の中では落ちこぼれでした。基礎学力が劣っていたのに加え、言いたいことを言う性格なので「あいつは勉強もできないくせに生意気だ」「物の見方が偏ってる」と言われていました。
しかし、そうした事を言われるうちに「それも正しいな」と思う部分が出てきたんです。大学院に入ったときの僕は、劣等感もあって「権力憎し、エリート憎し」が強かったんですけど、周囲のいわゆるエリートの人達を見ると、やっぱり必死に考え、葛藤している。「そうか、この人たちもこの人たちなりの『正義』を持って、良かれと思って動いているんだ」「正義にはいろいろな形があるんだ」と痛感するようになりました。
ある日、学外の友人に「毅人くんは一般の人と学者の間に立つのが向いてるんじゃない」と言われました。話が分かりやすいし、ずっと研究だけに没頭してきた人にはない魅力があると言ってくれたんです。それを聞いて、自分は「間をつなぐ」人間になればいいと思いました。
そういえば、大学院に入った当初は、先輩たちの言っていることが全く理解できませんでした。頑張って勉強していくうちに徐々に理解できるようになったんですが、「話し方が複雑で、一般の人には通じづらいだろうな」と感じることが多くありました。
僕は「こういう言い方をしたら相手が嫌な思いをするな」「こう説明したら理解してもらえるな」ということを自覚的に考えていて、だんだんと人と話すことが得意になってきていました。だから、専門的な海の話を一般の人にわかりやすく説明できると思ったんです。
それぞれの正義を共通言語で繋ぐ
大学院を卒業してからの進路は3つの選択肢を考えました。外国で漁業を指導するコンサルタント、博士課程、新聞社です。迷いましたが、まず1社だけ水産の業界紙の就職試験を受けました。
この新聞社を受けたのは、業界紙の中で、1番「未来志向」に見えたからです。水産業界のいい部分だけでなく、問題点や改善点も指摘していて、現状を良くするためになると思ったんですよね。幸い、入社試験に受かったので新聞社に就職しました。
入社後、記者として主に水産行政について取材していきました。その中で、改めていろいろな立場の人がいて、いろいろな意見があることを思い知りましたね。漁師、科学者、業界団体それぞれに正義があるんです。でも、それぞれの言葉や知識で自分たちの主張を述べるので、なかなかわかり合えない。わかり合うにはみんなが分かる言葉で主張を噛み砕く必要があります。
だから自分が、共通言語を作って双方をつなぎたいと思うようになりました。例えば「漁業を守りたい」と言っても、「漁獲量を増やすことが漁業を守る」という声もあれば、「漁獲を減らすのが海の保全や将来の漁業のため」という意見もある。取材しながらその間に入って、「あなたと違う立場の人は、こう考えていますよ」と双方にわかりやすく伝えるのが僕の役割だと思ったんです。
胸を張れる生き方をしたい
現在も水産業界の専門紙「みなと新聞」で記者として働いています。担当も変わらず水産行政。漁業や養殖業、水産加工業などと、そこに関わる国政について伝える仕事をしています。
目指しているのは、海と人間の共存関係を作ること。そのためには、まず、海に関わる一人ひとりが海と向き合う必要があると思っています。「海は大きいからよくわからない。わからないからしょうがない」という人がいます。だけど、海と向き合わないでいたら、声の大きな一部の人の意見ばかりが通り、例えば魚を獲りすぎたり、気候変動を放置したりして、海や水産業を潰してしまうかもしれない。だからこそ、より多くの人の意見や知恵を合わせて、海と向き合っていかなければいけないと思っています。わからないなりにわかろうとしていれば、必ず理解度は上がる。僕自身がそれを体験して知っているので、そのためになるべく誰にでも分かる言葉で発信を続けていきたいです。
多くの人が「それぞれの正義」を主張するので、海の問題は揉め事だらけ。例えば、ある人が「魚は豊富にいるから漁獲量を増やすべき」と主張して、ある人が「乱獲が問題だから漁獲量を減らすべき」と主張する、という風に食い違ってしまう。どちらかの側に立った記事を書くことで、どちらかが傷つくこともあります。
誰かを傷つけてしまう分、様々な立場の人に取材して広い視野で問題全体を捉えるように気をつけ、僕が書くことで傷つく人がいることを必ず認識するようにしています。その上で、傷の深さを最小限に抑えることも心がけています。それでも、どうしても誰かを傷つけなければいけない場面、敵視される場面は、出てきてしまう。
正直、めちゃめちゃ辛いですよ。嫌われたくないのが本音です。「敵をつくるのはやめなよ、声の大きな人に合わせなよ、それが大人だよ」と言う人もいます。でも、子どもたちに良い未来、良い海や水産業を残すことが大人の仕事だとしたら、揉めそうな話題からも目を背けず発信する、僕みたいな“大人”も必要だと思うんです。
正義感は昔から強かったですけど、今は「正義」という言葉が嫌いです。いろいろな正義があるなかで、誰かが正しいと決めつけるのは、暴力的だと感じるからです。誰の中にも正義があって、そのそれぞれが良いアイディアを含んでいる。ただ、それぞれの立場が違う中で、それが伝わらなくなっているんですよね。
僕も人に分かってもらえないことで、ずっと苦しんできました。思いが伝わらない人の気持ちは、他の人よりはわかるつもりです。だからこそ、そういう人たちからも知恵を拾い集め、みんなの共通言語を作りたい。一部の人から「あんなダメなヤツは取材するな、この角度からの情報は無視しろ」なんて言われることもあるんですが、大切な知恵を、簡単に切り捨てるわけにはいきません。最近「論破」って言葉が流行っていますけど、本当に必要なとき以外、誰かを論破をしに行くのではなく、相談や説得をし合って、みんなのアイディアの「良いとこ取り」を目指す。手っ取り早く誰かを倒してしまうのではなく、面倒でも一緒に問題と向き合って解決する。そんな発信がしたいんです。
これまでたくさんの人と傷付け合ってしまい、僕自身も何度もボロボロになりました。でも、人生の節目節目で僕をすくい上げてくれる人がいた。本当に語りつくせないくらい恩人がいます。その人たちに胸を張れるような生き方をしたい。そのためには、海と人間、みんなのためになることをし続けるのが一番と思っています。辛いことも多いですが、充実感も大きい道です。これを貫いて、いつか人生を終えるとき、自分自身を心から褒めてあげられるようにありたいですね。
2019.12.12
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