人、環境、社会、地域に思いやりのある消費を。
一人一人の行動で世界は変えられる。

末吉 里花さん/エシカル協会代表理事

はてぶ

親の転勤が多く、内気な子供時代を過ごしたという末吉さん。フリーアナウンサー、TV番組TBS系『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターの活動を経て、エシカル協会代表理事として「エシカル消費」の普及活動を行なっています。末吉さんがエシカルの活動に込める想い、そして描く世界とは。お話を伺いました。

居場所が見つからない

小さい頃から父の転勤について回って、日本と海外を行ったり来たりの生活でした。生まれたのはニューヨークで、その後すぐに日本に渡り、幼稚園年長まで鎌倉で暮らしました。小さい頃はとても引っ込み思案で臆病な性格でした。「幼稚園に行きたくない」、「友達とも遊びたくない」と言ったりして。周りに溶け込めていなかったです。

幼稚園年長でタイのバンコクに移り、小2までの2年間を過ごしました。気候が良く、自然が豊かなのんびりした国で、毎日のように泳いだり遊んだりしていましたね。内気だった性格もそのうち自然と開放的になっていきました。日本人学校に通っていたので、私と同じように親の転勤が理由の転入生がたくさんいました。自分だけが違うわけじゃないと思えたのは大きかったですね。バンコクの環境全てが私を明るくしてくれました。

小3で帰国して鎌倉の公立学校に通いました。新しい環境では、地元の友達もいたので、わりとすぐに馴染むことができました。しかし、転入生だということで奇異な目で見られ、いじめられることもありました。

小4になり、地元の私立校に編入しましたが、その学校は規則が厳しくて、窮屈でした。とにかくみんな同じことをしなければいけない、という考え方を強いられる環境で。髪の長さは一定、使えるトイレットペーパーの長さも一定、同級生をニックネームで呼んではいけない、という厳格なルールばかりでした。

仲の良い友達はいたものの、“学校”というすごく狭い社会の中で、小学生ということもあり、残酷なことを平気で言う子たちもいて、通うのが嫌な日が続きました。それでも、状況を変える選択肢が自分にはありませんでした。

移動するたびに新しいルールに適応するのは本当に大変でした。せっかく楽しかったタイからまた日本へ帰り、周りに馴染めず嫌な思いをしたことを、「こんな目に合うのは転勤の多い親のせいだ」と思うこともありました。

中1の時に父の転勤で再びニューヨークへ引っ越しました。その時は、「今の状況から抜け出せる」という嬉しさがありましたね。しかし、ニューヨークでもまたいじめにあいました。それも、人種差別というこれまでとは違った次元でのいじめでした。

入学したのはニューヨークでもトップの公立校で、白人ばかりの世界。そのエリア在住の人しか入れない小中高一貫校でした。私が入学した時点で、すでに小学校上がりの仲良しグループが出来上がっている状態でした。日本人であること、英語ができないこと、加えて同級生はすでに絆が出来上がっていること、全てに置いて私はマイノリティーであるという環境でした。そこに突然放り込まれて、右も左も分からず、ただ呆然とする毎日でしたね。「毎日宇宙に連れていかれてる」ような感じでした。

ロッカーを開けると、死んだネズミが入っている。英語ができなかったので誰にも聞けず、次の授業の移動先も分からない日々が続く。授業で意見を求められても答えられないし、そこに自分の居場所はありませんでした。それでも、いつも辞書片手になんとか食らいついていこう、と必死でした。

一生懸命勉強してやっと少しずつ話せるようになると、ようやくコミュニケーションもとれて、徐々に友達もできるようになりました。

なんとなくの受け身姿勢

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