小さくまとまることへの不安から再び海外へ。9年間かけて世界66カ国を旅した僕の生き方。

冬はイタリアでスキー講師、夏は世界各国の日本食レストランで働き、お金を貯めては旅に出る生活を送る井上さん。日本で安泰な生活を送る道もありながら、なぜ海外に出ようと思ったのか。66カ国を回り、スキーで次なる挑戦を決めた井上さんにお話を伺いました。

井上 雄介

いのうえ ゆうすけ|世界中でスキーを教える
スキー講師として世界中を旅しながら生きる。

帰ろうと思ったカナダで入国拒否にあう


僕は大阪で生まれました。小さい頃から鍵っ子で、家に帰ればひとり。また、週末や長期休みは知り合いや祖父母の家に預けられていたので、「知らない場所」に行くのがあたりまえで、自立した子どもでした。冬の間は1ヶ月ほど山小屋に預けられたので、スキーの腕が上達していきました。

何となく将来は大学に進むのかと思っていた高校1年生の頃、母に「1年位海外に住んで、それから進路を決めたら?」と言われました。その言葉を聞き、確かにそうだと思い、高校卒業後はワーキングホリデービザでカナダに行くことにしたんです。

英語は現地に行けばなんとかなるだろうと思い、ほとんど勉強していませんでした。そのため最初は苦労しましたが、語学学校に少しだけ通ったし、現地に住む日本人から英語を教えてもらっていたので、すぐに慣れていきました。

お金がなかったので、日本食レストランで働き始めました。すると、飲食店でのアルバイト経験があったので試しに交渉してみると、経験者待遇で働き始めることがでたんです。実力主義で、日本では調理経験はほとんどなかったのですが、現地ではいきなり「寿司を握ってみろ」と言われ、結果を出せば評価してもらえました。

日本と比べて、年齢や経歴に関わらず、結果を見てもらえる文化に居心地の良さを感じ、「カナダに一生住みたい」と思うようになりました。そこで、1年のワーキングホリデーを終えると、就労ビザを申請することにしました。

ところが、一度日本に帰国してから再度カナダに行った時、不法就労をする可能性があると、入国拒否されてしまったんです。「JAPAN」と書かれたTシャツを着た僕は手錠をかけられ、大勢の人の目の前で地下室まで連れて行かれました。そして、他の不法入国の疑いのある人と一緒に24時間勾留されて、日本にそのまま返されることになったんです。

ワーキングホリデー中にお金はそれなりに稼いでいて、車も買っていたし、すでに家も借りていて、荷物も全てカナダの家にありました。しかし、想像もしていなかった入国を拒否にあい、「自分が行くべきはカナダじゃなかったんだ」と思いつつも、どこに帰って何をしたら良いのか、全く分かりませんでした。

小さくまとまることへの焦りから、もう一度海外に挑戦に行く


日本に帰ってからは、契約社員としてレストランに衛生管理の検査を営業する仕事を始めました。ただ、これなら自分でもできるんじゃないかと思い始め、2回目の契約更新の時には独立して業務委託として仕事を受けることにしたんです。そのため、普通に雇われて働くよりはお金も稼げるようになり、それなりにいい生活を送るようになりました。

しかし、カナダにいた時のような刺激は感じていませんでした。言葉も通じるし、虐げられる感じもない。自分がすごく守られている感じがして、いくら稼いだとしても、それは自分の実力ではないと感じてしまったんです。

「このまま続けたら自分は小さくまとまってしまう」そんな焦りが湧いてきました。そこで、もう一度海外で挑戦することに決めたんです。

そして、人がやっていないことをしようと、あまり日本では馴染みのないスロベニアに渡り、飲食店で働くことにしました。実際、スロベニアに住む日本人としては97人目でした。

ただ、自分が働くことで、そのお店を去らなければならない人がいて、その人から壮絶ないじめを受けてしまったんです。「こいつを辞めさせてやろう」と強い悪意を感じるような、非常に理不尽なパワハラでした。しかし、その人は4ヶ月で辞めることは決まっていたので、何事もなく辞めてもらうために、周りの人も見て見ぬふりをしていました。

その状況は、かなり辛いものでした。ただ、考えてみれば、僕の目的は「海外で生活すること」で、飲食店で働くのはそのための手段でしかなかったんです。そこで、自分がやりたいかどうか分からないことで辛い思いをするよりも、自分がやりたいと思うことで努力したいと考えるようになりました。

そんな時、スキー講師の求人を見つけました。スキーは昔から大好きで、カナダで講師資格も取っていました。これなら好きなことをしながら稼げると思い、転職することにしました。

冬は山で、夏は陸で仕事をして世界中を旅して回る生活


半年ほどのスロベニア生活を終え、新しい職場であるスイスに向かうことにしました。その道中、オ−ストリア、セルビア、ボスニアと旅して回ったんですが、これが僕にとっては衝撃でした。距離的には近い国なのに、全然違う国だったんです。正直、日本とカナダよりも、スロベニアとオーストリアの方が違うと感じるほどでした。

また、スロベニアには自分と同じ世代の人がみんな戦争を経験していて、自分はいかに視野が狭いのかを痛感していました。そのため、冬は雪山で、夏は飲食店で働いてお金を貯め、季節の変わり目は旅して視野を広げる生活をしようと決めたんです。

そして、スイスに着くと、すぐに配属先のイタリアに渡ることになりました。イタリアは世界でも有数のスキー場がありスキー自体が盛んで、講師の待遇も日本とは比べ物になりませんでした。教えるのも楽しく、自分の好きなことをやりながらお金を稼げたんです。

イタリアでは、多くの人が「愛郷心」を持っていました。その姿を見て、純粋にいいなと思うとともに、日本をそこまで知らず、同じような愛郷心を持てていない自分を寂しくも思いました。本当にグローバルな日本人は、日本のことを誇れる人。そう考え、それからは海外で住みながらも、毎年日本に帰って日本を知る期間を作ろうと決めました。

ただ、イタリアの夏の仕事は、職場環境が最悪でした。給料が支払われないんです。期日通りに払われることはなく、催促しても満額もらえない。働いた3店舗全てそうでした。給料が払われないなら仕事をしないと交渉すると、「もう来なくていい」と言われてしまい、ホームレスをしている時期もありました。

さすがに日本に帰りたいとも思いましたが、ここで帰ったら負けだという感覚もあり、諦めずに粘っていました。

イタリアは「おかえり」と言ってもらえる帰るべき場所


そして、どうにかイタリアの夏を乗り切り、冬までは旅をすることにしました。すると、道中で世界中全ての国を回ったことのある日本人と出会いました。

その人は、やりたいと思ったらすぐに行動に移すための力がありました。リスクとリターンを考えて、あえてリスクがある方に飛び込める。そんな生き方に強く憧れ、自分も世界全ての国を回ること、やりたいことを常に行動できる状態である人間になることを目標にしたんです。

それからも、冬はイタリアのスキー場、夏は各国で飲食店の仕事をして、間の時期は旅する生活を続けました。スウェーデン、パラオ、スペイン、フランス、オーストラリア、ニュージーランドと、様々なところで働きました。

スペインでは、やっと見つけた仕事をオーナーの身勝手な都合でクビになってしまいました。その島にあった60件ほどの全てのレストランを回っても仕事は決まりませんでした。そのため、諦めて日本に帰ることにしました。

しかし、帰りの飛行機の乗り換え時間にPCを開くと、何年も前に履歴書を渡していたオーストラリアの飲食店から仕事のオファーが来ていたんです。

私はどこで縁が繋がるか分からないと考え、旅先でもいつも履歴書を渡していたし、不採用の連絡にも必ず返信することを決めていました。この時、今までのことは無駄じゃなかったし、やっぱり全てのことは繋がっているんだと実感しましたね。また、「捨てる神あれば拾う神あり」のことわざの通り、先の見えないときも手を抜かずに頑張っていれば必ずいつか報われると思い知らされました。

また、日本に1年程戻り、日本の包丁を海外に輸出する事業を立ち上げていた時もありました。海外で生活していると日本の素晴らしさを感じられるようになり、海外の人にも伝えたいと思ったんです。

9年程そんな旅する生活を送っていき、東南アジア、ヨーロッパの国は全て回り、これまでに66カ国に行くことができました。毎冬に行くイタリアは、「おかえり」と言ってもらえる僕にとっての帰る場所になっています。

生活を支えてくれたスキー業界に恩返しをしたい


そして、次第にスキーへの熱が高まってきて、これからは「夏もスキーをする生活」を送ることに決めました。毎年やっていると、どんどん上達していき、中途半端に冬だけやるのではなく、真剣に取り組みたいと思ったんです。

また、雇われて教えることに少し飽きてしまったこともあり、講師としても独立することに決めました。2015年は夏はニュージランドでスキーを教え、冬はまたイタリアに戻る予定です。

講師として1つの目標は、イタリアの最高峰の講師国家資格を取ることです。これさえあれば、世界中でトップ講師として働くことができます。日本ではスキーやウインタースポーツは下火で、スキー場経営も難しくなってきていますが、世界ではそんなことありません。むしろ、スキー講師は稼げる仕事ですらあります。

僕は、スキーのお陰でこれまで旅をしながら世界で暮らす生活を続けることができました。だからこそ、お世話になったスキー業界に少しでも貢献したいという気持ちもあるんです。世界各国で見たスキーのカッコ良さを、日本にも伝えられたらと思いながら色んな国を滑っています。

僕は10年近く、ずっと「明日が見えない生活」を送ってきました。それでも、自分に嘘をつかずに、毎日一生懸命生きることで、有難いことに仕事もほとんど絶えずに暮らすことができました。過去を見ると、全てが繋がっていて、正直に生きることの大切を感じています。

今も、やりたいことがどんどん増えていますが、その自分の気持ちに正直に生きていきたいと思います。そして、人生を終える時「カッコいい人生を送れたかな?」とほくそ笑んでいたいですね。

2015.09.02

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