目が覚めて、やっと自分の人生を歩みだした。心に膜が張り、本気になれない自分を超えて。

人を育てることを軸に、Yahoo!アカデミア学長、グロービス経営大学院客員教授、株式会社ウェイウェイ代表取締役社長として企画・講師・ファシリテーター業を行う伊藤さん。ずっと本気になれず「他人の人生を生きてきた」という伊藤さんが、自分の人生を生きるようになった背景とは。お話を伺いました。

伊藤 羊一

いとう よういち|次世代リーダーの育成
ヤフー株式会社 コーポレートエバンジェリスト Yahoo!アカデミア学長 / 株式会社ウェイウェイ 代表取締役 / グロービス経営大学院 客員教授

【2017年10月1日イベント登壇!】【10/1】another life. Sunday Morning Cafe |ヤフーアカデミア学長の伊藤 羊一さんをゲストに、トークセッション・ワークショップを開催

何でもできるからこそ本気になれない


東京都大田区で生まれました。幼少期は、分別のある、極めていい子でしたね。わがままを言わず親や先生の言うことをよく聞き、学級委員もする優等生。内向的だけど別け隔てなく、いじめられっ子にも人気がありました。

4歳上の姉の勉強を隣で見ていて、丸暗記も得意だったので同級生よりも勉強ができました。それでいて体育も得意で。要領が良く、何でもできたんですよね。

小学校卒業後、なんとなく中学受験をして、中高一貫の進学校に入りました。中学では硬式テニスに打ち込みました。姉がやっていたのと、周りで流行っていたのがきっかけです。部活の他に地元のテニスクラブにも入って、毎日練習していました。全国大会に出たり、個人でも大会でシードになったり、成果も出ていました。

ところが、高校1年生の時、テニス部をクビになりました。校外のテニスクラブやバンドで忙しくて、部活の練習にあまり出なかったことが理由です。クビを告げられて、最初は真っ暗になっちゃいましたね。ショックでした。

それでも、すぐに「引退までそもそもあと1年だったし、他でもテニスはできるし、いいや」と考えるようになりました。やりきりたいという気持ちが全然なかったんですよね。ある程度何でもできると、ハングリーな意識がなくなるんですよ。強烈に「これだ!」という想いがなくて。本気を出す習慣がありませんでした。

部活を辞めてからは、バンドをしたり大学生とつるんでダンパに通ったり、ただれた生活をしていました。そのまま卒業を迎え、一浪して大学に入りました。理系科目が苦手だから文系。偏差値表を見て、なんとなく経済系の学部に決めました。

大学入学後はまた内向的になりました。みんなが始めるコンパとかダンパとかは高校の頃にやっているわけですよ。それを見て、急にいろいろなことが嫌になっちゃった。テニスサークルも入ったけれど、少し腰を痛めて休んでいるうちにやる気がなくなっちゃって。

授業に全然出ず、バンド、バイト、デートの毎日でした。友達と会うのも嫌で、なるべく学校には近寄らないようにして。自意識過剰なんでしょうね。俺がバカだとか何も考えていないとか、見透かされるのが嫌で。

大学の間ずっとやる気がなくて、自分で何も掴みに行かず、居心地良く過ごせる社会とか、何かきっかけが降ってくるのを待っていました。

ダメな社会人、メンタル不調になる


就職活動もいいかげんでした。売り手市場で、 学生側が選ぶことができる状況。何をしたいかよくわからないから、いろいろな企業の面接に行きました。最終的に就職を決めたのは銀行です。

窮地に追い込まれて、瞬発力で対応するようなふざけた面接だったのに、キャラが立つからか通っちゃって。内定が決まって握手をされた後、「世界を股にかける銀行マンになれるんだ、かっこいいじゃん」と思って、他の選考をやめてしまいました。

それでも、翌日から早速後悔してるんです。こんなんでいいんだろうかって。内定者の集まりとかいくと、みんな体育系で「うぉー」ってなってて。なんだかな、みたいな。

気持ちが常にマイナス1くらいなんです。そこから何の盛り上がりもなくて、その場その場で生きてるみたいな。「本気出せばすごいんだろな、俺」っていつも言ってましたね。

銀行に入ってからも、毎日出社するのが嫌でしたね。毎朝同じ時間に出社するのも、挨拶も飲み会も敬語も全部嫌で。社会人になりきれてない。研修中のテストで160人のうち、合格点に達してないやつが4人いるって言われて、「馬鹿がいるわ」って思ってたら僕のことで。「お前は立ってろ」って言われても、なんか「あれー?」みたいな感じです。

最初の2年は内勤で、3年目から営業で外の人と関わるようになりました。ちょっと案件が進まないだけでプレッシャーを感じてましたね。現実逃避でテレビゲームばっかりやって。でも、引きこもる勇気もないから会社には行く。25歳までそんな生活でした。

26歳の時、仕事のストレスからか、ついにメンタルをやられました。課長と行った取引先でお腹が気持ち悪くなって、取引先のトイレに立て籠もって出られないんです。結局、1~2時間吐き続けました。いつも精神的にマイナス1・2くらいだったのが、急にマイナス10まで行ってしまいました。

病院に行っても原因が分からず、整腸剤を飲んでも吐き気が止まらず、まず2~3週間仕事を休みました。でも、土日になるとピンピンしてるんですよね。会社に行こうとすると体調が悪くなるから、最初はサボり病だと思いましたね。常に気持ち悪くて、体調が悪い。何のために生きてるのかもわからなくて、心に膜を張ったような感覚でした。会社に行くようになってからも、毎朝吐いてました。

「一生懸命」が成果と自信に繋がる


毎日吐くような生活が続くと、次第にそんな状態でいることに疲れていきました。立ち直るというより、「結局、このままやってても人生ダメだわ」と割り切るような感覚です。そこから仕方なく、まあ仕事でもするか、という気になって、じわじわ治っていきました。

根底には、「いつかは何かやりたい、本気出したいという」気持ちがずっとありましたね。サッカーの三浦知良選手と同い年なんですが、カズは26歳であんなに活躍している。なのに俺はこんな状態で辛い。

それで、復活した後の最初のチームの夕礼で言ったんです。「今まですいませんでした。頑張ります。」「僕、おかしくなっちゃってるときに考えたんすけど、サッカーの三浦カズと同い年なんで、生涯かけて、カズより有名になります。」って。

みんな「バカじゃないの」ってつっこむんですけど、それから「お前カズになるんだろ」とか、冷やかしながら励ましてくれるんですよね。それでちょっと元気になりました。

復帰してからは、マンション融資の案件を担当しました。バブル崩壊後の時期なのでとにかく市況が悪いんです。それでも、何かできないかもがいていたら、あまりの一生懸命さに、課長が「俺を口説いたら、社内は絶対通してやる」と言ってくれたんです。

結局、チームみんなに助けてもらい、課長からも本部に働きかけてもらい、案件が成立しました。業界の中でも、バブル後初の案件だったこともあって、ニュースになり、「第6次マンションブーム」のきっかけになったと言ってもらいました。

その仕事は本当に自信になりましたね。「こんな俺でも働いていていいんだ」って。できるできないじゃなくて、やるかやらないかなんだとつくづく思いましたね。

それからは仕事に打ち込むようになりました。そうすると営業実績も出て、気づけば同期の中で一番先に課長代理に昇進。自分に自信はないけど、成果は出てるし、総合的には俺頑張ってるなという感じです。ただ、一生懸命ではあったけど、相変わらず本気ではないし、志なんてものもありませんでした。

電流が走り、本気になれたグロービス


36歳の時、プラスという文具事務用品・家具メーカーに転職しました。オーナーの今泉喜久さんに出会って話すうちに、気づけば心酔していました。この人のもとで働きたいと思い、流通カンパニーの物流部門で働くことになりました。

新しい環境では周りが僕を受け入れてくれたものの、仕事に慣れるのには少し時間がかかりました。14年間物が動かない世界で仕事をして、いきなり物流をやり始めても、何をどう考えて良いのかわからないんですよね。

1年ほど経った時、突然「お前、部長をやれ」と言われました。それからは、もうなんかパニックでしたね。銀行時代の経験でそれなりに力はありそうなんだけど、一つの部門を動かすとなると能力も経験も足りない。一生懸命考えて、なんとなくおぼろげに浮かぶものもあるんだけど、時間が経つと忘れちゃうし、ゴールにたどり着けない。

そんな悩みを前職の後輩との飲みの席で話してみると、「グロービス行った方がいいですよ」って言われたんです。「なんだそれ」って聞くと「ビジネススクールです」って。勉強は嫌いだったんですけど、何かとっかかりがないとやばいっていう焦りもあって、体験コースに行くことにしました。

僕の性格的に、体験授業に行っても斜にかまえて、「つまんねぇ」ってなるかなと思いきや、なんかね、ウルトラすごい授業が展開されるわけですよ。

あるお題について、講師がみんなの発言をまとめるんです。ホワイトボードを縦横無尽に使って、ピラミッドスクラクチャ―で。「何が起きたんだ」と電流が走りましたね。世の中の頭いい人はこうやって考えてたんだなって。

それで、その瞬間に「行きます」とか言って、申し込むわけですよね。よくわかんないけど、「俺がやるべきことはこれだ!」って本能と直感で。

授業が始まってからも、毎回いちいちびっくりしてのけぞってましたね。今までの人生で一番没入しました。奨学金制度を使いながら、最終的には大学院にも編入して全科目受講して、成績も良かったんですよ。

本業でアウトプットの機会があったことも大きいですね。2回目のクラスでやったことがたまたま、会社のクレームを解決するのに役立って。それからは常に学んだこと生かすように心がけましたね。この授業とこの授業の知識をくっつけてフル活用するみたいな。総合芸術みたいな感じですね。スクールと仕事を行ったり来たりして、成果も出て前のめりになってきて、だんだん本気になっていきましたね。

自分の意志で人生を決定していく


グロービスを卒業する頃、東日本大震災が起こりました。道路が壊れ、電力やガソリン不足もあり、自社の物流もボロボロに。被害の全容がわからない中、「被災地の支援・復興のために物流を回復させる」という目標に向けて自ら決断しなければいけない。これまで学んだスキルとマインドを総動員して意思決定しました。普段の100倍くらいのスピードでやらざるを得ない状況でした。

そういう状況ってマニュアルがなくて、会社として求められるものはないことはないけど、非常時は、最後は自分の価値観なんですよね。そこに合理的な理由はないんですよ。俺の価値観で決めなきゃいけない。その時初めて、目がはっと覚めたんですよ。「自分の意志でやる」ってことが、人生をコントロールすることなんだって気づいたんです。

それ以来、俺はこれをやらねばならないという使命感も出てきました。恥ずかしいとか、人と接する時に引いちゃうとか、遠慮するとか、できるできないとか、そういうのがあろうがなかろうが、とにかくやらなきゃいけない時はやる。そんなことに目覚めましたね。

同じ年に、グロービスの卒業式で代表謝辞を読むことができたのも大きな節目でした。入る時には全然ダメだったのに、代表謝辞を読めるような成績優秀者になれて。一つのけじめがつきました。

もう一つ、同じタイミングで、ソフトバンクグループを担う後継者発掘・育成を目的としたソフトバンクアカデミアにも応募しました。孫さんの「後継者募集」には全然興味なかったんですが、「最終予選は私(孫さん)が直接面談します」というのを見て、孫さんに会えるならちょっと行ってみるか!と軽い気持ちで行ったんです。

入学後最初のプレゼン大会で、240人の予選で、上位30人に入り予選通過して孫さんの前でプレゼンしました。決勝では全体の中の2番に選んでもらい、孫さんにも「お前面白いな」って言ってもらえたんですよ。入る前は、「うわー俺なんぞが」とか思ってたけど、その時に「あれ、なんかやれんのかな」みたいな手応えを感じました。

僕のプレゼンは「Eコマースを盛り上げたい」という内容だったので、その後、ちょっとお前人と会えと言われて、Yahoo!ショッピングの責任者を務めていた宮坂学(現ヤフー代表取締役社長CEO)を紹介してもらいました。初対面にも関わらず意気投合して、2時間くらい盛り上がりましたね。

それから3年経って、ヤフーのCEOになった宮坂から、「Yahoo!アカデミアっていう次世代リーダーの育成機関を作ったんだけど、手伝ってくれない?」と誘われました。ちょうど、その前年に誘いを受けてグロービスでも講師を始めていたんです。

俺はこれが天職なんだろうなっていうのを、宮坂に気付かされたみたいなところはありますね。銀行から流通・メーカー、また物流、マーケ、事業再編から経営まで、幅広い経験をして、色々な辛いことがある中できりっと目が開いたわけですよね。そういうきっかけを提供する仕事ってすげえなって、改めて思ったんです。

色々考えて、プラスの今泉会長にも相談して、48歳のタイミングでヤフーへの転職を決めました。

「目が覚める」きっかけを提供する


現在は、次世代リーダーの育成というテーマのもと、3つの軸で仕事をしています。

1つ目は、Yahoo!アカデミアの学長として、選抜された社員を対象にリーダー開発をしています。企画の責任者から、ワークショップのファシリテーターまで一気通貫で担当しています。直近では講義を誰でも受けられるようにストリーミング配信をするなど、広く教育の機会を提供しようとしています。

2つ目は、グロービス経営大学院の講師です。2つクラスを持っていて、リーダーシップ開発のクラスでは、マインドの部分、ひたすら自分を見つめることをやっています。もう一つ、「パワーと影響力」というクラスでは、それを実践に移す時にどういうことをやるか。両方の科目で、結局あなたの志は何?という話をしていますね。

3つ目は、もともと個人事業主としてやっていたことで、大手企業の社内外インキュベーションプログラムのディレクターやメンターをしたり、講演会をしたり。広い意味での人材育成ですね。

事業はそれぞれ違っていても、3つとも、結局やっていることはほぼ同じです。

人ってやりたい気持ちがあれば踏み出すんです。踏み出しているうちに得られるものがあるので、とにかく踏み出そうよと。その点をものすごく強調しています。コンテンツをやっているというより、「火をつける人」「勇気づける人」をやっている感じですね。

人の育成に携わりながら、それを全否定するみたいですけど、そもそも僕らが「育てる」っていうのは無理だと思っているんです。きっかけは提供するけど、育つのは自分の意志だと思うんですよね。

「目が覚める」っていうか、「目が開く」っていうか、そこを目指しています。なんとなく生きてた人生から、自分の人生を生きるようになる。そんな感覚です。自分の人生を生きるっていうのは、別に起業しようとかそういう話だけでもなくて、自分で自分の人生を選択していく、自分の思ったことをやっていくということ。そうじゃないともったいない。

そのためにスキルを学んだり、議論や対話をしたり、いろんな形で提供するのが僕の仕事だと思っています。

僕自身、途中まで自分の人生を生きていなくて、なんとなく生きていたんです。ハードな経験とかつらい思いもそんなになくて。受動的ですよね。クラゲみたいに浮遊している感じで、他人の人生を生きてきた感じです。

今でも自分の人生を生ききれているかというと、まだまだ全然できることはあります。それでも、目が覚めてからは、目に映る空の色すら違うんですよね。上から降ってきたことをやる日々から、自分の人生を生きるようになると、心の膜がなくなるというか、フィルターがなくなるというか。そうすると、「これをしたいからする」っていうことが増えていくんです。人間として当たり前のことなんですけどね。

僕自身がそういう大きな変化があったからこそ、今後は、できる限り触れた人の人生のきっかけになるような、目が覚めるようなことをやり続けたいですね。事業化とかスケールとかはあまり考えていないです。

実は、その先の将来はあんまり考えてないんです。やってるうちになんかまた見えてくるっていう感覚が近いですかね。

2017.08.22

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