専門家でなくても好きなことを仕事に。ボールペン1本が秘める世界の可能性。
フリーランスのボールペン画クリエイターとして、数々の展示や絵本出版に携っているにもかかわらず、「絵を描くことは娯楽です」と語る佐藤さん。旅先でのCAとの運命的な出会いを機に、ボールペン画クリエイターとして活躍する現在までにどんな経緯があったのか。お話を伺いました。
佐藤 明日香
さとう あすか|ボールペン画クリエイター
ボールペン画クリエイター。絵本出版や企業とのコラボ商品の開発に携わる。作品は全て株式会社パイロットコーポレーションの HI-TEC-C を使用。
熱中していた勉強の挫折と、やっと出会えた「これだ!」という感覚
北海道に生まれ、幼稚園のとき東京に引っ越しました。幼少期は、運動よりも家にいることが好きだったので、シルバニアファミリーで遊んだり、ポケモンやドラクエをしてました。特に目立つタイプではありませんでした。
中学の頃、公立の学校に通う中で、特に心から熱中できるものに出会うことはありませんでしたが、唯一勉強をすることは大好きでした。特に、私が通っていた塾の先生を尊敬していたので、その先生に褒めてもらいたい一心で頑張っていました。勉強にまっすぐ打ち込む気持ちと集中力はつきました。高校は都立の進学校に合格しました。
しかし、高校1年生の最初の中間テストで、クラスの中で真ん中よりも下の順位をとってしまってしまいました。周りの子の頭の良さに圧倒され、一気に勉強に対するやる気がなくなってしまったんです。受験勉強も高3の夏までほぼ手をつけていない状態で、通いやすさでなんとなく大学を選択しました。
大学は、法政大学部文学部に入学し日本文学科を専攻しました。自分が入学前に想像していた授業と異なっていたこともあり、ひたすら国外逃亡しました。まとまった休暇は数ヶ月間北欧やヨーロッパで過ごし、バックパッカーをしていました。
入学してすぐ、授業中の時間が暇で、先生に見つからないようにノートにこっそり絵を描き始めました。そうしたらどんどん細かい絵が描けるようになってきて。その瞬間、中学の頃に熱中していた勉強以来、初めて「私が求めていたものはこれだ!」と感じました。
人生を変えた日本人CAとの出会いを機に、クリエイターへの道を決意
大学在学中は、海外旅行の資金を貯めるために、居酒屋やカフェ、家庭教師など様々なアルバイトを経験しました。長期の休み期間では、国内から海外までバックパッカーの旅にでかけ、素敵な人との出会いもありましたね。そんな中、就職活動を迎え、大好きな絵を書くことを仕事にしたいという気持ちもありましたが、考えた末、美大に通っていなければそういう仕事に就くのは難しいだろうと、諦めました。就職活動も疎かになってしまい、中学校のときに好きだった塾関係の仕事に就こうと決めて、「個人塾 新卒」と検索して出てきた会社を選択し、約1週間で決めちゃいました。
その後、予備校の事務員として働くことになりました。比較的小さい規模の予備校だったので、生徒の名前と顔が一致するような環境でした。窓口に一番近い席で仕事をしていたので生徒との関わりは多かったです。浪人生が多かったので、私と年が近い人もいれば、一回就職して医者になるために頑張っている人もいました。難関大に入るという目標に向かって一生懸命に勉強している彼らの姿を毎日見ているうちに、私ももう少し頑張れるのではないかと思いながらも、ひたすら家で絵を描いていました。
そんな中、夏季休暇で1週間スイスに旅行に行き、帰りの飛行機の通路側でノートに落書きしていました。そしたら、通りかかった日本人のCAさんが私の絵をすごく褒めてくれて。「あなたの絵はすごい!まだ着陸まで6時間あるから私のために書いて。」と言われたんで
す。6時間寝ずに絵を必死に書きました。着陸直前に、そのCAさんに書いた絵を渡したら本当に心から喜んでくれて。「仕事をやめて絵描きになりなさい」と言われました。今まで、画家になれるとか、絵で生計をたてられると言ってくれる人が誰もいなかったので、運命のようなものを感じました。その瞬間、私はやっぱり絵を書くことが好きだから事務員を辞めようと決意することができ、特に恐れもなく1年半でぱっと辞める決断をしました。
2年間の極貧生活を乗り越え、初のグループ展トップ入り
仕事を辞めてからは、学校でウェブデザインを学びました。まずは、自分のホームページを作ろうと思ったのですが、パソコンのスキルは一切なかったので、ファイルとはなんぞやという感じでしたね。先生にいちから教えてもらいながらホームページを開設する方法を学びました。
仕事を辞める前に貯金をしていなかったので、外食もできない程、貧乏でした。家賃も払わなければならず、前の職場の人にご飯をご馳走してもらったり、お米や野菜などをいただいたりもして、何とかやりくりしていました。
その間、絵を書きながらいろいろなコンペに応募をしていたのですが、なかなか入選しませんでした。私の絵は芸術的なものでもないし、コンペに通るような絵ではないのかなと不安を感じながらも、約2年間貧しい生活を送っていました。
そんな中で、銀座三越のグループ展に参加できる事になったんです。展示では26人の女性クリエイターが参加して、会期中の一週間で私の絵が売り上げトップになり、その結果、翌年個展を開けることになりました。
私の絵はすべて株式会社PILOTのHI-TEC-C(黒)を使っているので、三越個展に出展する前に、私の絵を見にきてくださいとPILOT宛に審査員の方が手紙を送ったところ、PILOTの社員さんが個展に来てくださったんです。その縁がきっかけで、PILOTとコラボ商品を開発したり、PILOT本社ビル内のペンステーションカフェで絵を展示させていただくことになりました。
ボールペン1本で可能性は世界に広がる
ボールペン画クリエイターを始めて3年目には、絵本を出版することになりました。絵を書く時には、修正液を一切使わないので少しでも間違ったら破棄してやり直しです。なので、集中できるようにネットやテレビは持ってません。絵本の中に出てくる動物の種類は年々
増え現在約1000匹以上にもなります。動物園に行ったり、図書館で図鑑や写真集を借り、その都度ネタ帳に書き集めています。多いときは朝7時位から10時間以上絵をかくこともあるので、だんだん手がハイテック仕様に変化してきていますが、私にとってHI-TEC-Cは人生そのものでもあり、娯楽です。ただまっすぐ絵に人生を捧げる気持ちと、自分なりのこだわりを持ちながら、ストイックな姿勢で活動しています。
書籍サイン会では、老若男女問わずたくさんの方と出会いの機会をいただきます。特に小さい子供が「明日香ちゃんみたいに絵が書けるようになりたい」と手紙をくれたときは、本当に癒されました。なので、私の絵を見る方一人ひとりに、楽しいと感じてもらえる絵を、ずっと書き続けていきたいです。
去年はアメリカで、「WHERE IN THE WORLD IS KONEKO CAT?」が海外初出版されました。ジャパニーズアメリカンナショナルミュージアムで、世界のアーティストがハローキティを書く展示に参加することもでき、たった一本のペンが秘める可能性は世界にも広がることを実感します。
私は大学生の時にボールペン画と出会い、小さい頃から画家を目指していたわけでもなければ、美大に行っていたわけでもありません。学生さんなど、世の中には絵を書くことは好きだけれど、画家になるには程遠いと最初から自信を失っている人も多くいると思います。ですが、「わたしがなれたんだからなれる」という風に、気軽に考えてもらえたら嬉しいです。
インタビュー:岡 みづき
2016.01.25