3社の会社経営を通じて「天下統一」を目指す。貧困のため、夢を諦めた少年時代を越えて。
通信回線の販売取り次ぎ事業・アフィリエイトのコンサルティング等、3社の会社経営をする戸上さん。「私利私欲の為」ではなく、周りや従業員の幸せを第一に考え、給与は社員の中でも一番低く設定しているそうです。主体性を意識し、日々勉強を怠らないよう努力をし続ける背景にはどのような思いがあるのでしょうか?お話をお伺いしました。
戸上 祐一
とがみ ゆういち|通信事業会社等3社の経営
通信回線の販売取り次ぎ事業・アフィリエイトのコンサルティング事業など3つの会社を経営。
両親の離婚・スポーツ選手の夢を諦め、高校中退まで
私は京都で生まれ、すぐ東京に引っ越しました。東京都内を転々として、小学校2年生から世田谷区で育ちました。父親が病気となり働けず、世田谷区ではかなり珍しい貧乏人でした。食べる物さえ我慢をして、電気が止まってロウソクで過ごした日もありました。
家庭では辛いこともありましたが、学校では楽しく活発に過ごしてました。志村けんが人気だったこともあり、面白キャラで周りを笑わせるのが大好きな明るい少年でした。
しかし、私が中学校に進学するタイミングで両親が離縁し、母姉と3人の母子家庭となり、家計は益々悪化していきました。それでも、学校では辛い姿は微塵も見せず、スポーツに熱中し、空手や柔道、サッカーに夢中になっていました。特にサッカーは誰よりも上手かったです。東京都第2学区で選抜までいったこともあり、高校はサッカー推薦をもらっていましたが、家庭の事情から推薦での進学は諦め公立高校に進学することに。経済的な事情を理解していたので、推薦をもらっていたことは、母親にも言いませんでした。
10代で最年少役員、独立、年収3000万に
中学校を卒業後は公立高校に入学するも、打ち込めるものが無く3ヶ月程で中退しました。家出同然の状態で仕事を始め、地元も離れて新宿区落合での初めての一人暮らしを始めたんです。寿司屋やテレアポといくつかのアルバイトを掛け持ちし、徐々にお金を稼ぐ楽しさを見出していきました。同世代は高校生活を楽しむ中、自分はお金を稼いでいる自負があり、仕事に夢中になっていきました。
その中でも群を抜いていたのが、テレアポのアルバイトでした。人懐っこい性格からか、営業成績でナンバー1になることができ、代表から「他のバイトを辞めて働いたら、月100万円の稼がせてやる」と言われ、こちらに集中することにしました。そんな金額を16歳で稼いでいる人はまず周囲にはいなかったですね。その後も、みるみる成果を上げ、周りが30代から50代ばかりの中、17歳で会社の最年少役員にまで上り詰めました。
しかし、そのうち、もともとのわがままな性格もあり、「独立したい」という気持ちが強くなっていきました。人に使われ続けるのが嫌だったんです。代表と何回もぶつかりながらも、18歳で会社を退職し、19歳で自ら起業に踏み切りました。
独立後は、前職と同じく営業会社として、有価証券や教材・不動産等の商材を、飛び込み営業を中心に販売していました。とにかくお金を稼ぐということに集中していましたね。仕事に貪欲で、若手社長ですと、六本木や渋谷で飲んでいる人もいますが、そんなことはせずに、毎日社員と仕事のことを熱く語っていました。そして、結果的には10代で年収3000万円を手にするようになりました。欲しいと思うものは何でも手に入るような環境でした。
ホームレス状態からの再挑戦
しかし、本来の自分ではなく、ブランド物などを身に着けて、身の丈に合っていない身なりや言動を続けていると、徐々にビジネスがうまくいかなくなっていきました。次第に人間関係ももつれるようになり、取引先とも関係が悪化、妻子とも別れることになりました。勢いだけの独立で、会社経営や、税金、マーケティング、マネジメント等を何も知らないままだったため、結果的に22歳で会社をたたむことになりました。地位も帰る場所も無くなってホームレスにもなり、手元には3万円だけが残るような状況でした。
そこで、16歳で離れた地元に戻ったのですが、予想に反し周りの友人はすごく暖かく迎えてくれました。ほぼホームレス状態になったことを知り、食べ物をご馳走してくれたり、衣服をくれたり、家に住ませてくれた人までいました。捨てたはずの地元だったはずが、ずいぶんと助けられましたね。次第に、「自分が死ぬまでに何人の人間と出会い、何人の人間を幸せにすることが出来るか。生きていく中で出会う人、全員に幸せをもたらせるよう考え、そして行動する。」という、生きる上での軸のようなものが生まれていきました。
また、昔の知り合いから読書を薦められたことで、私は「学ぶ」ということを知っていきました。それまでは、家が貧乏だったのもあり、お金を稼ぐことが軸になっていましたが、どこか自分の中で虚しく感じてしまいました。しかし、全くと言っていいほど読んだことのない経営の本や、様々な哲学書や歴史書物などを漁っていくと、生きていく上で大切な、お金では買えない物があることを学んだんです。特に、天下統一を目指した織田信長からは多くの学びがありましたね。
それからは、まず借金を返そうと大手営業会社で働き始めると、100人程メンバーが居る中、初月でナンバー1を穫ることができたんです。そこで、自分はまだいけるんじゃないかと思うようになり、これまでの経験を生かしてもう一度チャレンジしてみようと思い、26歳のタイミングで再び起業することに決めました。その会社の仲間や昔の仲間もついてきてくれ、株式会社ルーチェを立ち上げもう一度スタートを切りました。
主体性を発揮して、目指すは「天下統一」
会社を立ち上げてからは、昼は経営・夜は雀荘でのバイトという生活で、睡眠時間を3時間に抑えて必死に仕事をしていました。それでも、「自分が稼ぐのではなく、まずは稼がせる。」というスタンスで仕事をするようになってからは、事業が軌道にのっていきました。お客さんが儲かることで従業員が儲かる、そこではじめて会社が儲かる。その順番で考えているからこそ、会社の中で自分の給料が一番少ない状況です。
現在は、3つの会社を経営し、主に通信回線の販売取り次ぎ事業・アフィリエイトのコンサルティング事業等を行っています。特に、経済が劇的に変動し就職難と言われているため、老若男女すべての人が輝ける仕事を創らなくてはいけないという使命感を持って仕事をしています。そのため、会社では人材育成・人材教育にとても力を入れており、面接からの採用率も90%、どんな人でも働けて、どんな人でも稼がせるという気持ちで走り続けています。
将来のビジョンとしては、通信の世界での「天下統一」と上場を目指しています。男として、仕事をする以上何事においても、ナンバー1では無いと意味が無いと思っています。現在は営業やパートナー様からも支えられ、日々通信回線の獲得を伸ばしているので、このまま高みを目指したいです。
また、もう1つの目標として、世界で一番携わる、関わる人数が多い会社にすることを目指しています。そのため、全国どこでも在宅で働ける環境を作れるよう、アフェリエイトのコンサルタント、スクールを運営してます。全国に在宅でビジネスをしたいという主婦の方々のマーケットは500万世帯と言われており、景気が安定していないこの時代は自営業の方、サラリーマンの方、学生さん問わず、副収入なんて要らない。なんて言う方の人の方が少ないと思います。現在は、日本で在宅ビジネスのコンサルタントを行っていますが、将来は全世界に展開していきたいですね。私がとても貧乏な家庭で、且つお金に困っていた家庭で育ったからこそ実現できた事業、マーケットとだと思います。
今では、自分の私利私欲の為に稼いでいた時代を恥と思い、勉強を日々怠らないようにしています。読書はもちろんですが、例えば、最近のアニメから昔に流行った映画など、若い人の文化から目上の方々の文化や、みんなが何を見て何をして感動し、行動するのか、何を求めていて、自分が何を実現しなくてはいけないのかを常に考えています。
周りが変わったのではなく、周りを変えているのは自分自身。逆に言えば自分が変われば周りを変えることが出来る。そう気づいて背伸びするのをやめて、色んなことを色んな人に相談するようになったことで、変わった気がします。だからこそ、主体性を発揮することを意識し、常に一期一会の心で人と接し、出会う人の幸せを考えるという習慣を大切にしていきたいと考えてます。
※インタビュー:松岡 佑季
2015.10.01